『アイ・アム・レジェンド』から見えるアメリカの病理

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


時に映画の内容自体ではなく、「どうしてその判断に決定したのか?」というプロセスを辿っていくことで見えてくるものがある。
今回紹介したい『アイ・アム・レジェンド』はその好例だ。

価値観の逆転

今作はリチャード・マシスンが1954年に著した『吸血鬼』を原作としている。『吸血鬼』の映画化は『アイ・アム・レジェンド』で3作目となる。
『吸血鬼』は価値観の転換をテーマとした作品だ。人類がほとんど死に絶えた世界で生き残ったわずかな人類であるロバート・ネビル博士は、ウイルスによって死んだ後に吸血鬼としてよみがえった人間たちに苦闘している。
そんな時にウイルスに冒されながらも耐性を持ち、死を免れた「新人類」がネビルを襲う。彼らはウイルスのために吸血鬼同様に夜間しか行動できないが、彼らにとってもネビルの存在は脅威であり、ネビルを処刑しようとする。
ネビルは吸血鬼退治をしていた自分こそが、新人類側にしてみれば自分たちが寝静まるころに仲間を殺しまくる伝説(レジェンド)の怪物であったという物語だ。

ところが、 公開版の『アイ・アム・レジェンド』では原作にあった価値観の逆転は描かれず、ネビルは英雄的に怪物(ダークシーカーズ)と相打ちになって爆死する。

『アイ・アム・レジェンド』のネビル

『アイ・アム・レジェンド』 の内容をざっくり説明しておこう。
2009年にアリス・クリピン博士がはしかウイルスをもとにガンの治療薬を開発する。被験者の全員のガンが治癒し、試験投与は成功したかに思われたが、その半数から狂犬病のような症状が出始め、治療薬のウイルスが人類を死に至らしめるクリピン・ウイルスに変異していることがわかる。クリピン・ウイルスの発生源となったニューヨークは軍によって封鎖されるが、クリピン・ウイルスは空気感染によって世界中に広まっていった。
3年後の2012年、米国陸軍中佐であり科学者ロバート・ネビルは廃墟となったニューヨークで愛犬のサムとともに昼は食料と生存者を求め、一日も欠かさずまだ見ぬ生存者へ向けてメッセージを送りつづけていた。

人類の大半は死に絶え、残りの10%は紫外線への耐性を失い人間を捕食するダーク・シーカーに変貌してしまった。ネビルは自宅の地下で日々ダークシーカーを人間に戻す実験を繰り返していた。
ある日ネビルは一体の女性ダークシーカーをとらえるが、それをきっかけにダークシーカーズは執拗にネビルを狙うようになる。ダークシーカースの罠にかかり、愛犬のサムも失ったネビル。自暴自棄になった彼は自身も顧みず、ある夜に多数のダークシーカーズを罠に仕掛け車で轢き殺す。しかし多数のダークシーカーズの前にはネビルも敵わず絶体絶命の事態に陥ってしまう。
ネビルは間一髪で数少ない生存者であるアナとイーサンに助けられる。翌朝、自宅へたどりついたネビルだったが、アナから「感染していない生存者達が暮らしている場所がある」と北部へともに向かうことを提案されるが、ネビルはアナの誘いを断る。

ここで一旦ネビルの思想に触れておこう。『アイ・アム・レジェンド』を考察するときにこの部分は興味深い意味を持つ。
ネビルは劇中で自らを陥れた罠についてアナに「やつら(ダークシーカーズ)には使えない」、「(ダークシーカーズ は)愛することも憎むこともできない」と語る。アナはそんなネビルに「(ダークシーカーズは)進化しているのかも」という。
アナは敬虔なクリスチャンだ。アナの車には十字架が飾ってあるし、ダークシーカーズになり、実験によって死亡した人たちの写真を見て「神様…」とつぶやく。キリスト教の教えではすべての出来事は神によって決められているとされる(予定説)。なぜこのような運命を神は与えたのか。しかしそんなアナの言葉にネビルは「違う、人間が行ったことだ」と答える。
アナが感染していない生存者達が暮らしている場所があると信じているのもクリスチャンだからだろう。キリスト教とユダヤ教において約束の地という言葉がある。神がアブラハムとその子孫とに与えると約束したカナンの地のことだ。中東では放っておけば土地は砂漠になる。約束の地は種を植えれば緑が繁る豊饒な土地と言われている。
もちろんネビルにそのような考えはない。もし神がいるならなぜ妻と幼い娘は死ななければならなかったのか。神は人類を救わない。人類は自分の手でしか救えない。そう信じているからこそネビルはアナの「生存者達が暮らしている場所」の話を拒絶し激高する。

アナとイーサンとつかの間の人間らしい時間を過ごすネビルだったが、彼の家はダークシーカーズに突き止められようとしていた。
ネビルは二人を連れて地価の研究室に逃げ込む。そこでネビルが見たものは人間に戻ろうとする女性ダークシーカーの姿だった。
しかし、もはやネビルと狙うダークシーカーズたちからは逃れられないことを悟り、女性ダークシーカーから採取した血清をアナに託し、ネビルはダークシーカーズを巻き込み爆死する。

以上が公開版の内容だが、なぜ原作のエンディングは改変されてしまったのだろうか。

別エンディングに隠されたアメリカの病理

実は原作の価値観の逆転をしっかりとらえた別エンディングも存在する。そのエンディングではネビルはダークシーカーズの真の目的はネビルが実験用に捉えた女性のダークシーカーズの奪還であったと知る。それに気づくとき、ネビルは彼らにも知性や愛情があったことを理解する。そして、そのことに気づかず、数多くのダークシーカーズの命を奪ったことを思い知るのである。
公開版のエンディングは試写の反応を受けて公開1ヶ月前に差し替えられたものだ。  ここから当時のアメリカが何から目を背けていたのかがわかる。

2003年に当時のアメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュはイラクへの戦争を開始した。のちにイラク戦争は2000年のブッシュ政権誕生時からの計画であったことが暴露されているが、表向きは9.11に端を発する「テロとの戦い」の一環であった(イラク戦争に関するブッシュ政権の内実は2008年に公開されたオリバー・ストーン監督の『ブッシュ』に詳しい)。
「イラクこそがテロの黒幕であり、大量破壊兵器を隠し持っているはずだ!」
それがブッシュの唱えたイラク戦争の動機であったが、結局開戦から今日まで大量破壊兵器は見つからず、今日におけるイラク戦争の大義は大きく揺らいでいる。当時ブッシュの開戦理由に納得できずフランスとドイツ、ロシア、中国は開戦には反対の立場をとっていた。
しかし、「テロの黒幕はイラクである」という意見はイラク戦争開戦当時のアメリカ世論では7割、それから4年たった2007年の時点でも3割となっていた。『アイ・アム・レジェンド』が公開されたのは2007年。当時の世論からすると当初のエンディングは受け入れられないものだったのだろう。

ネビルをアメリカとして見てみればよく分かる。アメリカは常に世界をリードし、自由と民主主義を広める英雄でなければならない。
だが未公開版のエンディングはその価値観が根底から覆される。自由と民主主義を広めるというのは自らの勝手な使命感であり、思い上がりではないのか?
独裁は絶対悪ではない。社会の成熟過程において独裁制が必要とされる場面がある。
イラクの民主化の象徴として女性がブルカを脱ぎ肌を見せるようになったことが喜ばしいことのように盛んに報道されたが、一方で多くのムスリムの女性たちは自分の意志でブルカを着ているという意見もある。
どんな状況においても絶対的に正しい価値など存在しないのではないだろうか。他国の文化や歴史を軽視し、「自由と民主主義を与える」という考えこそが野蛮で暴力的だろう。

『アイ・アム・レジェンド』の公開版のエンディングはこの部分から目を背けてしまってはいないか。ダークシーカーズは絶対的な悪で、ネビルは絶対的に善の存在であってほしいと試写のスタッフたちは思ったのだろう。でなければアメリカの正義は途端によりどころを無くしてしまう。
アメリカは「世界の警察」と呼ばれていたが、それが多様性を認めず画一的な価値観しか認めない警察であったならば意味はない。昨今のコロナ禍における「マスク警察」「自粛警察」と同じではないか。

ネビルは何が「聞こえた」のか

もう一つ気になることがある。前述のネビルの思想とも関わってくるのだが、実は公開版のエンディングではネビルは神の存在を信じるようになっていることだ。
「聞こえたんだ」というセリフ、血清をアナに託したこと、家族の写真を観て微笑む、ネビルのこれらの行動からそれを推察することができる。
順に見ていこう。

「聞こえたんだ」というセリフ。ここでキーワードになるのは蝶だ。
娘のマーリーが遊んでいた蝶、ダークシーカーが蝶の形に破壊したガラス、そして目の前に止まった蝶。これらは本当に偶然なのだろうか?
蝶はキリスト教において復活を意味する。キリストは磔刑での死から三日後に復活する。神を信じないネビルにとって、死は無そのものだったはずだ。だからこそ、彼は家族を失うという絶望の中でも自死に向かうことなく、一人研究を続けてきたのだ。何がネビルに聞こえたかは劇中では明かされない。だが、死は無ではないとその声によって悟ったのだろう。
ネビルはダークシーカーから採取した血清をアナに渡す。これも彼がアナの話を信じたことの証明だ。アナだけでは血清を活かすことは難しい。ネビルは自身が科学者であったからこそ「この手で治す」と言える。
ネビルは生存者たちの代表として血清をアナに託したのだろう。生存者の中に必ずこの血清を活かせる者がいるはずだというネビルの希望だ。
そして、最も大きなネビルの希望は天国だ。神を信じたことで、天国の存在もまた受け入れられるようになった。死を決意したネビルは家族の写真を手に取り微笑む。まるでもうすぐ会えるとでも言うかのように。

では未公開版のエンディングはどうか。ここにも「聞こえたんだ」というセリフはあるが、これはダークシーカーの心の声を示しているように思う。
ダークシーカーが窓ガラスに描いた蝶の形と、女性ダークシーカーの蝶のタトゥー。
ネビルは蝶が何を示しているのかに気づき、ダークシーカーの本当のメッセージを受けとる。それを指して「聞こえた」と言ったのではないか。
そう考えれば、公開版のエンディングは非常に宗教的だとも言える。無神論者がキリスト教に改宗したとも受け取れるからだ。

現在、アメリカは全国民の約8割がキリスト教徒であると言われている。ネビルのキリスト教への目覚めという視点から見ても公開版のエンディングは実にアメリカらしい結末だとは言えまいか。

2023年になって『アイ・アム・レジェンド』は続編の企画が進行中だと報じられた。なんと未公開版のエンディングの続きの物語となるらしい。
公開から16年。そこに見えるのは「偉大なアメリカ」の仮面を脱いだ、善悪入り混じるアメリカの素顔かもしれない。

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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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