『ゾディアック』真犯人は誰か?未解決事件を追い続ける正義という名の狂気

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


デヴィッド・フィンチャーの作品にはダークでシリアスなものが多い。映画監督デビュー作となった『エイリアン3』はアクション・エンターテインメントだった『エイリアン2』とは異なり、一作目の『エイリアン』に原点回帰したようなホラー要素が強かった。もっとも『エイリアン3』は公開当時、興行的には成功したが、批評的には酷評された。フィンチャーは「また映画を撮るくらいなら大腸癌で死んだ方がマシ」との迷言も残している。

だが、フィンチャーのそんな言葉を覆したのが次の監督作である『セブン』だ。キリスト教における七つの大罪をテーマにしたこの作品は救いようのないラストも有名だが、作品は人気を集め、批評的にも高い評価を得た。フィンチャーも今作を機に映画監督としての地位を確立していく。
その後に監督した『ゲーム』『ファイト・クラブ』『ゴーン・ガール』などを初めとしてやはり、フィンチャーの作品にはシリアスでダークなものが多い。一作品ごとに全て解説したらそれだけでこのページが埋まってしまうので、今回は割愛させていただこう。

『ゾディアック』

さて、今回はそんなデヴィッド・フィンチャーの作品の中でも、2007年に公開された『ゾディアック』を見ていきたい。
『ゾディアック』は実在の未解決事件であるゾディアック事件をテーマにした作品だ。主演をジェイク・ギレンホールが務めている。原作はロバート・グレイスミスのノンフィクション小説『ゾディアック』。

ゾディアック事件とは1968年から1974年にかけてサンフランシスコを中心に起きた連続殺人事件だ。ゾディアックとは犯人自らが名乗った名前に由来する。ゾディアック事件では確実視されているものだけでも5人ものが犠牲者となり、ゾディアックの犯行を疑われているものも含めると30人以上にもなる。
事件から約50年経った今現在においても捜査は続けられているが犯人は明らかになっておらず、ゾディアック事件は未解決となっている。だが、今なお毎年のようにゾディアック事件の新たな証拠や犯人の正体については新説が流される。事件は未だに多くの人の関心を惹き続けている。

ゾディアックに人々はどう向き合うのか

だが、映画『ゾディアック』は事件そのものよりも、事件を追うジャーナリストの方をメインに描いている。
フィンチャーは「初めて脚本を読んだ時、連続殺人鬼ではなく新聞社の物語だと思った。それが映画の核心になった」と述べている。フィンチャー自身、ゾディアック事件真っ只中のサンフランシスコに暮らしていた。ゾディアック事件を幼い時から身近に感じていた。そしてそれを追う人々のことも。だが、幼いフィンチャーの脳裏にはゾディアックの正体を突き止めることよりも、両親はゾディアックから自分を守れるだろうか?という疑問の方がよぎったという。事件の核心よりも、事件に対して周囲の人々がどう向き合うのか。その視点が『ゾディアック』の原点となったのだろう。
「『正義にとりつかれること』、『正義とは何か』、『どこにあるのか』、『どこまでやれば満足できるのか』、『どこで満足して前に進むか』…それを問う物語だ」

『ゾディアック』の主役は殺人犯ではない。原作者でもあるロバート・グレイスミスが主人公だ。グレイスミスは新聞社サンフランシスコ・クロニクル紙の風刺漫画家であった(ちなみにフィンチャーの父も漫画家であったという)。
ゾディアックは警察や新聞社に暗号を送りつけ、翻弄される様子を楽しむかのように殺人を行う劇場型犯罪としても有名だ。グレイスミスはそんなゾディアックの暗号を解いたことからゾディアック事件に大きく関わっていくことになる。

『ゾディアック』にはグレイスミス以外にも同じくサンフランシスコ・クロニクル紙の記者であるポール・エイヴリー、サンフランシスコ市警の刑事であるデイヴ・トースキーが登場し、彼らもまたそれぞれの立場からゾディアックを追っていく。
指紋もなく、現場に残されたのは靴の跡のみ。だが、それは軍用靴であり、軍人でなければ購入できないものだった。

そんな中、ゾディアックを自社のコラムで「ホモだ」とこき下ろした記者のポール・エイヴリーが次のゾディアックの標的となる。エイヴリーは独自に匿名の情報提供者と接触し、新たな情報を手に入れる。そしてエイヴリーは自身の説についてテレビの取材に答えた様子が速報として放送され、警察署にはゾディアックに関する情報提供者が押し寄せるようになる。

その中でトースキーはある男から興味深い話を聞く。その男の口から語られたのは、失業中だった知人がゾディアックという名前で人間狩りをしたいと話をしていたことと、スクールバスを襲って子供をころしたいという話だった。
その知人の名はアーサー・リー・アレン。アレンにはかつて軍に所属していた経歴があり、また子供にいたずらを働いた前科もあった。筆跡にはまた疑いがあったが、アレンは両利きであり、多少の不自然さもそれならばあり得るとトースキーは考えた。だが、積み上げた状況証拠も物的証拠の鑑定結果はアレンがシロだと示すものだった。

『ダーティハリー』と『ゾディアック』

そんな捜査の苦労を嘲笑うかのように世間ではゾディアック事件を意識した映画がヒットしていた。それが『ダーティハリー』だ。『ダーティハリー』はクリント・イーストウッドの出世作にして代表作だ。
同作の敵役としてスコルピオと名乗る連続殺人犯が登場するが、このキャラクターはゾディアックの影響を強く受けている。クロニクル紙に犯行予告を送りつけるところや、スクールバスを襲うなどもゾディアックの手紙の犯行予告と重なってくる。『ダーティハリー』の公開は1971年。世間ではゾディアック事件をエンターテインメントとして受け入れるだけの余裕も生まれていたのだろう。
ちなみに同じ年には『サンフランシスコ 連続殺人鬼』というゾディアック事件を意識したテーマにした映画も公開されている。もっとも、この映画の公開にあたっては自己顕示欲の強いゾディアックならば映画館に足を運ぶのではないかという捜査上の目的もあって製作されたという逸話もある。
『ダーティハリー』はフィクションだが、グレイスミスやトースキーにとってゾディアックは現在進行形の事件だった。トースキーはたまらずに映画館を後にする。

グレイスミスの執念

『ダーティハリー』では犯人のスコルピオは主人公のハリー・キャラハンに射殺されて幕が閉じる。だが現実はそうはいかない。犯人を挙げられないまま、時間だけが過ぎていく。ゾディアックを追いかけていた者達も次第に事件から離れていく。
しかし、グレイスミスは何年経っても執拗にゾディアック事件に執着していた。グレイスミスを演じたジェイク・ギレンホールは「グレイスミスはゾディアック事件の調査を楽しんでいた」と述べている。それは警察として正義を掲げゾディアックを追いかけていたトースキーとはある意味で逆のスタンスだ。劇中でも夢中でゾディアックの暗号解読に取りかかるグレイスミスに対してエイヴリーは呆れたように「何の得が?」と尋ねるシーンがある。
また、エイヴリー対してゾディアックの確実な殺害人数は3人だと言われると露骨にがっかりした表情になるのが印象深い。
グレイスミスにとってゾディアック事件は謎解きであると同時に英雄になるチャンスでもあっただろう。グレイスミスは妻と離婚し、仕事を失くしても「ゾディアック事件」を追いかけ続けた(離婚の事実は映画では語られないが)。
英雄的行為をしているという自己愛の強さが家族すら置き去りにしたのではないかとも思う。

フィンチャーはゾディアック事件について「平凡な事件だ」と語り、「もし犯人がすぐにわかっていれば、これほどなかった」と述べている。事実が明らかでないからこそ、人は真実に取り憑かれる。『ゾディアック』は真実探しに人生を翻弄された男たちの物語だ。

ジェームズ・ヴァンダービルトとジャーナリズム

また本作の脚本を務めたジェームズ・ヴァンダービルトについても触れておこう。私が今回『ゾディアック』の解説を書こうと思ったのも、ジェームズ・ヴァンダービルトがきっかけだった。
同じように真実に取り憑かれたジャーナリストを描いた作品か2015年に公開された『ニュースの真相』だ。
それまで脚本家として映画に携わっていたヴァンダービルトは『ニュースの真相』で映画監督としてデビューする。『ニュースの真相』は実際に起きたブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑とその誤報事件をテーマにしている。
『ニュースの真相』もまた一つの事件にのめり込んだ人々を描いている。
「アメリカのジャーナリズムにとどまらない、普遍性をはらむ話だと思い、是非映画化したいと思った」
事件の当事者でもあり、映画の原作となる『大統領の疑惑』を出版したメアリー・メイプスを訪ねたことが映画化の大きなきっかけだった。

もともとヴァンダービルトは若い頃ジャーナリスト志望だったという。
当サイトで『ニュースの真相』の解説を書いたときにヴァンダービルトが『ゾディアック』の脚本を担当していたことを知った。映画界に身を置いていても、ヴァンダービルトが変わらずにジャーナリズムに強い関心を抱き続けていたことがわかる。
ヴァンダービルトはジャーナリズムについて次のように語っている。
「ジャーナリズムは本当に崇高な職業だと思っている。懸命に取り組み、話を組み立て、調査をし、そして、力を持つ人への疑問を投げかける、そういったことがジャーナリストの肩にかかっているからね」
だが、ヴァンダービルトが『ニュースの真相』と『ゾディアック』の両作で表したものは「ジャーナリズムの限界」とでも言えるものだ。

2時間で終わらせられない物語

『ゾディアック』ではジャーナリストは正義のヒーローではない。むしろ現実は映画のようにはいかないことを示している。
正義に迷いこんで真実が見えなくなることもあるだろう。誰の人生も二時間で都合のいいエンディングを迎えられるわけではない。

本作の公開から13年後の2020年、「Z340(340暗号文)」と呼ばれるゾディアックからの暗号文が民間人の手によって解明された。事件から実に51年の時が経っていた。

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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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