『殿、利息でござる!』日本から無私という美徳は消えたのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


「貧困から極貧へ」そんなキャッチコピーの横で笑顔を見せる岸田総理。そんなコラ画像がTwitterで流れてきた。物価高の中、増税の可能性を示唆した岸田政権への痛烈なブラックジョークだ。

我が身を切れない政治家達

国民が物価の高騰に苦しんでいる最中、いかに政治家が国民の方を向いていないかを考えさせられる出来事だった(その後、岸田総理は「消費税の増税はしない」と明言しながらも防衛費の増大を増税で対応することを示唆している)。
こうした場合のときに怒りと共に沸き上がるのが「まずは我が身を切れ」という声だ。
確かに国民に負担を求めるのであれば、まずは政治家自身が率先して負担を負うべきでもあるだろう。
だが残念ながらそのような動きは見られない。

さて、日本において税金をテーマにした映画は数えるほどしかない。税金をテーマにした映画と言えば伊丹十三監督の『マルサの女』が挙げられるが、これは国税庁と脱税者の攻防を描いた作品であり、ここで求める「まずは我が身を切る」そんな描写とは無縁である。

『殿、利息でござる!』

ではそのようなことが描かれている映画として、個人的に近いと思うのが2015年に公開された『殿、利息でござる!』だ。監督は中村義洋、主演は阿部サダヲが務めている。ポスターを見ると一見コメディ映画のように見えるが、内容はヒューニズムに溢れた人間ドラマだ。阿部サダヲと監督の中村義洋にとっては2011年の映画『奇跡のリンゴ』以来二度目のタッグとなる。
原作は歴史学者の磯田道史氏の『無私の日本人』。その中に登場する穀田屋十三郎のエピソードが元になっている。

負担に苦しむ住民たちの絶望

本作の舞台は仙台藩の吉岡宿。今の宮城県黒川郡大和町吉岡にあたる。吉岡宿という言葉からもわかるように、吉岡宿は宿場町であった。宿場町の住民には年貢のほかに伝馬役という負担もある。藩が公用で街道を往来するときに、人や馬を強制的に徴発していく。この人や馬を負担するのも吉岡宿の住民の役割だった。仙台藩では藩主の伊達家が「伝馬御合力」という助成金制度を作り、伝馬役の負担を減らそうとしたが、伊達家の直轄領ではない吉岡宿にはその助成金も下りて来ず、徐々に衰退していくのは明らかだった。

映画も吉岡宿から夜逃げする住民のシーンから始まる。
住民が減れば減るだけ、残された住民はさらに重い負担を負うことになる。そしてまた住民は減っていく。吉岡宿はその悪循環に陥っていた。
吉岡宿に住む酒屋の穀田屋十三郎はこの町をどうにかせねばならないと考えていた。ある時、ついに思い詰めた十三郎はお上へ直訴を試みる。この時代、庶民がお上へ何かを直接訴えることなど自殺行為に等しかった。十三郎共にいた茶屋の管原屋篤平治は十三郎を必死に止める。

誰かのために生きるということ

十三郎を演じた阿部サダヲは、この時の目について『生きる』の志村喬をイメージするように監督から指示があったという。
『生きる』は1952年に公開された黒澤明監督の映画だ。主人公は渡辺という市役所の職員。常日頃、怠惰に仕事をこなすだけだった渡辺だったが、ある時胃癌が見つかる。余命幾ばくもない彼は残された時間で子供たちのために公園の整備に命をかけていく。
『生きる』は黒澤明監督の映画の中でもヒューニズムを描いた作品としては随一との評価を得ている名作だが、『殿、利息でござる』もまた同様にヒューニズムを描いている。この二作に共通するのは、追い詰められてなお、私欲ではなく誰かのために自己を犠牲にするその生き方の崇高さだろう。

町を救う、たった一つの奇策

吉岡宿を救うために何ができるのか?十三郎は町一番の知恵者とも言われる篤平治に相談を持ちかける。
篤平治の出したアイデアは、「吉岡宿の住民が金を出し合い、それを藩に貸付け、利息をもらう」というものだった。つまり、今でいう国債のようなものだ。
その額、なんと1000両。今の貨幣価値に換算して約3億円。途方もない夢物語と篤平治は笑いながら話すが、十三郎はこれこそが吉岡宿を救うたった一つの方法だとその実現を固く信じるのだった。

仙台藩も決して裕福な藩ではなかった。
原作の『無私の日本人』では仙台藩の藩主の歴史と共にその財政事情にも触れられている。伊達家はかつては鴇田駿河という財政係のお陰で財政的にも借金を返済し、蔵に金を貯えるまでに至ったが、6代目の伊達宗村の正室に将軍家からの養女を迎えることで、出費は膨大に増え、財政は傾いていった。将軍家からの娘をもらえば、幕府からの印象は良くなるが、その娘のために警備碑などの費用が膨大な金額に上ったからだ。その時の出入司であり、藩の財政を一手に引き受ける立場であった萱場杢はその負担を民に転嫁した。
仙台藩が貧しいのにはこういう理由もあった。

見栄を満たすための散財で言えば、今の海外への資金援助もそうだろう。援助をするなというわけではないが、国民が負担増に苦しんでいるときに海外にはポンと資金援助を決めてしまうその感覚はいかがなものだろうか。

さて、十三郎らは生活を切り詰め、小銭を貯めていく。そのがむしゃらさは凄まじいもので、食事や風呂はおろか、形見の品や家財まで売り払い貯蓄に励んでいく。
吉岡宿では十三郎の想いに共感した者たちが計画に加わっていく。十三郎の叔父である穀田屋十兵衛、両替屋の遠藤寿内、村のまとめ役である肝煎の遠藤幾右衛門、その肝煎達をまとめる大肝煎の千坂仲内、そして、守銭奴として有名だった十三郎の弟である浅野屋甚内は意外にも1000貫文(6千万円)もの金を計画のために差し出す。だが、以前から何故か長男である自分が養子に出され、賢い弟が家をついだという事実に引け目を感じていた十三郎は、甚内の行為を自分への当てつけと思い込み、計画を降りると篤平治に打ち明ける。

だが、浅野家には十三郎に伝えられなかった真実があった。劇中の言葉を借りれば「守銭奴、しみったれ」と呼ばれた浅野家だが、十三郎の父もまた倹約に努め、十三郎と同じように貯めた金で伝馬役の負担を減らしてもらえるように、藩にかけあう心づもりであった。そして、その意志は父亡き後は弟の甚内に引き継がれていたのだった。そして十三郎が養子に出されたのは、甚内は目が悪く、養子先に迷惑をかけないよう、兄である十三郎が養子に選ばれたからであった。

原作『無私の日本人』との違い

『殿、利息でござる!』は実話を元にしているが、エンターテイメントらしい脚色も見受けられる。それが十三郎と十三郎の実家である浅野屋とその跡継ぎであり弟の甚内や、十三郎の子供である音右衛門との確執だ。原作にはこの設定はない。十三郎は最初から父の思いを理解し、吉岡宿を救おうと奔走する(父が内緒で銭を貯めていたことは映画同様知らされていないが)。また、十三郎の子供である音右衛門も十三郎の思いを聞いてすぐにその考えに賛同している。音右衛門も十三郎の実子ではなく養子なのだが、原作では逆に十三郎の計画を知ってから、親子の絆は深まり、音右衛門は父以上に計画の実現に奔走していったとある。また余談だが、十三郎が思いを寄せる飲み屋の女将であるトキも架空の人物である。

こうして千両を集めた十三郎らは藩に嘆願書を提出する。実は原作における最大の見せ場は嘆願書を役所にどうやって受け入れさせるかの攻防である。
役所手続きの煩雑さは江戸時代にも存在していたのは興味深い。磯田氏によれば、戦のない江戸時代、仕事にあぶれた武士にために、一人一人の権限と業務の幅を狭くし、より多くの武士に仕事が行き渡るようにしたという。そして、前例のないことを嫌うという役所の風土もこの時代にはすでに存在していたことがわかる。

人を救う覚悟

嘆願書はたらい回しにされ一度は萱場によってあっさり不許可にされてしまう。だが、そこで今回の計画が前述の十三郎の父である先代浅野屋の代からの悲願であることを再度伝え、ようやく嘆願書は許可される。しかし、このまま無事に一件落着とはいかなかった。萱場によって、藩に貸す金は銭ではなく、小判で納めるように言われてしまう。江戸時代には銭と小判は変動相場制になっており、更にその頃仙台藩では銭の鋳造を行っていたために、銭と小判の交換比率において、銭の価値が下がっていた。
つまり、例えるならそれまで小判1枚が100枚の銭と交換できていたとすると、銭の価値が下がったために、小判1枚に対し120枚の銭が必要になったということだ。
これは少しでも多くの金を得たいがための萱場の策略だが、今も昔も政治家の行いは非常にしたたかなものだと言わざるを得ない。そうなると手持ちの金にあとが800貫文足りない。ここでも浅野屋甚内は500貫文(3千万円)差し出すと申し出る。浅野屋は既に1000貫文(6千万円)もの金を差し出しているにも拘らずだ。

映画を通して最も大きなインパクトを残すのは主人公の十三郎ではなく、この浅野屋甚内ではないだろうか。十三郎は浅野屋を訪れ、弟の甚内にこれ以上金を出すのは家が潰れるからやめろという。
ふと十三郎は浅野屋の家の様子がおかしいことに気づく。いつも酒蔵から聞こえる職人たちの歌声がないのだ。十三郎は強引に蔵の方へ向かう。そこには空になった大桶があるばかり。既に浅野家にはもう何も残っていなかった。
十三郎らが考えたこのアイデアでは出資した金が戻ってくることはない。浅野屋はそれを承知で家が潰れるのも覚悟で吉岡宿のために何もかもを犠牲にした。甚内の覚悟の程を重い知った十三郎、篤平治は甚内から500貫文を受けとる。そして甚内とその母親は初めて心からの安堵の笑顔を見せる。この場面にはとりわけ心を打たれた。一見は百聞にしかず。俳優の演技力もあるだろうが、映画だからこそ表現することのできる何とも言えない穏やかさを感じた。と同時に、かつてこれほどまでに無私で人を救うことに心から喜びを感じられる人間がいたのかと改めて驚きもした。

無私の政治家

一方で財政を司る萱場の姿には出費を増税で賄おうとする今の政府の姿が重なって見える。
だが、この浅野屋甚内の姿こそ、政治家としてのあるべき姿ではないか。

ここで一人の政治家を思い出す。維新三傑の一人である大久保利通。彼は明治11年、紀尾井坂の変で不平士族の襲来に遭い命を落としたが、大久保の死後、彼の財産をみると、残っていた金はわずかに140円、残された借金が8000円というものだった。明治時代の貨幣価値は1円が今の2万円相当に値する。つまり、今でいうと1億6000万円もの金を個人で借金していたことになる。
この借金の多くは公共事業のために使われ、大久保の個人名義での借金であったという。
大久保利通の例は極端だが「まずは我が身を切る」かつてはこのような政治家が確かにいたのだ。

だが、今はどうか?国民の望むことであっても、自分達の損になるような法改正はことごとく否決、もしくは骨抜きになっているのではないか?
例えば、2021年には文書交通費として議員に毎月支給される100万円が例え一日のみ議員の立場であったとしても満額支給されてきたことが問題となった。法改正で支給に関しては日割り計算となったものの、求められてきた使途公開の義務付けは先送りになった。また同時に文書交通費の名称を変更しようという動きもあるそうだ。変更した名称によっては今までより幅広い事に費用が使えるようになってしまう懸念もある。
世襲議員の多さをみると、つくづく政治家(特に与党議員)というのはオイシイ職業でもあるのだろう。

さて、浅野屋や息子の音右衛門、トキの尽力もあり、十三郎らはなんとか追加のを工面できた。途方もない計画を実現させた彼らは藩に呼ばれ萱場から褒美の金を受けとる。彼らはそれを浅野屋甚内に譲ろうとするが、甚内も金は吉岡宿の人々に与えるべきと頑として譲らない。どこまでも無私の人々なのだ。
吉岡宿にはその後、毎年利息として100両が藩から払われるようになったという。これは途中反故にされるということもあったようだが、その後復活し幕末まで続いたという。
また、十三郎が養子に出された穀田屋は今も同じ場所で営業を続けているそうだ。

なくてはならないもの

磯田道史氏は自身の著作が映画化された『武士の家計簿』が公開された後のある日、一通の手紙を受けとる。そこにはかつての仙台藩の吉岡で町を救うために九人の篤志家が1000両もの金を集め、藩と交渉した。この実話をなんとか本にしてもらえないだろうかというものだった。磯田氏は手紙の中にあった『国恩記』という吉岡宿を救った人々の顛末を記した本や古文書なども辿り、それらを『無私の日本人』としてまとめ上げた。
磯田氏が『無私の日本人』を書き上げた動機は吉岡宿の人々のこうした生き方こそ、日本人の無くしてはならないものと感銘を受けたからだった。
磯田氏は十三郎らの姿に、金の有無だけが幸せになる条件ではないと安堵したと述べている。
また『無私の日本人』以外にも磯田氏は史書から様々な人の在りし日の生活を発掘し、本にまとめている。その一冊である『江戸の備忘録』の中には武士道を体現した男として山岡鉄舟のエピソードが紹介されている。山岡鉄舟は極端なほどに武士道を貫き、私よりも常に公を優先していた。国事に奔走する浪士がいれば家に連れてきて妻そっちのけで飯を振る舞ったという。妻は食べるものもなく、野山で野草を採っていたとの話もある。当然家屋もボロボロで壁は崩れ、天井からは雨漏りもしていたという。
山岡鉄舟は江戸城の開城への道を開き、明治期には静岡藩、茨城県の大参事、伊万里県の知事などを歴任した。勝海舟、高橋泥舟と並んで「幕末の三舟」として称される人物でもあるが、まさに私無き無私の人物だったとも言えるだろう。
磯田氏は鉄舟の章の終わりをこう結んでいる。「無私というものは、まことに始末に困るとのだけれども、やはりなくてはならないもののようである。」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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