『ペンギン・ハイウェイ』「海」とお姉さんの正体とは?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


『ペンギン・ハイウェイ』は不思議な映画だ。
多くの謎を残したまま映画が終わってしまう。それはパズルの最後のピースがハマらないというよりも、いくつものパズルのピースが存在しないと言ったほうがいいかもしれない。
今回は『ペンギン・ハイウェイ』の謎に迫ってみよう。

『ペンギン・ハイウェイ』

『ペンギン・ハイウェイ』は2018年に公開されたアニメ映画だ。 2011年に設立された新鋭のアニメ制作会社のスタジオコロリドの初の長編作品となる。
監督は同じく今回が長編劇場アニメの監督デビューとなる石田祐康。声の出演は北香耶、蒼井優らが務めている。
原作は森見登美彦が2010年に発表した小説『ペンギン・ハイウェイ』だ。

私は『ペンギン・ハイウェイ』は公開当時に映画館まで観に行った。元々そんなにアニメに興味がある方ではないが、なんとなく攻めた作りだと感じたことと、宇多田ヒカルのテーマソングに惹かれたのだ(それまでいくら好きなミュージシャンであっても、それが映画選びの基準になるとは思っていなかったので、自分でも驚くが)。
理屈で観ようとすると、内容は難解なのだが、感覚で観ると子供時代の夏休みの冒険やワクワク感が甦るような作品で、概ねは満足できた。
物語の主人公はアオヤマ君という小学校4年生の男の子だ。彼は自他ともに認める勉強家かつ努力家で、友人のウチダ君ともに身の回りのあらゆることに興味を持ち、「研究」を行っている。ただ、アオヤマ君も研究一筋というわけではない。彼が目下のところ気になっているのは歯科医院のお姉さんだ。

さて、そんなアオヤマ君の住む街に突然ペンギンが現れる。
アオヤマ君はウチダ君ともにペンギンがなぜ街の中に出現したのか、研究を開始する。
ある時アオヤマ君はいじめっ子のクラスメイトであるスズキ君から嫌がらせをされ、自販機にくくりつけられてしまう。通りかかったお姉さんに助けてもらい、窮地を脱したのだが、その時にお姉さんが投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。
なぜお姉さんはペンギンを生み出せるのだろうか?
謎が謎を呼ぶ中、アオヤマ君はもう一つの謎を知ることになる。それはクラスメイトのハマモトさんから教えられた、森の中にある「海」と呼ばれる球体の不思議な物体のことだった。
こうしてアオヤマ君はペンギンと「海」と2つの謎を研究することになった。

原作者の森見登美彦は『ペンギン・ハイウェイ』について、 「子供の頃にこだわっていた原点を小説にしたもの」と述べている。
この物語で一貫しているのは「わからないものの真相を追求する」ということだ。
例えば自然のある場所に育った人であれば、子供の頃に冒険みたいに山の奥に踏み入った人もいるかもしれない。それでなくとも、自転車で隣町にいくだけでも冒険だったのかもしれない。では、そのひとつ向こうの町には何があるだろうか?その繰り返しの世界の果ては一体何があるのだろう?
森見登美彦が『ペンギン・ハイウェイ』で描いたのは、そんな子供の頃の疑問やノスタルジーだった。

「海」の正体とは?

劇中での「海」という存在はまさにそんな好奇心と恐怖を具現化したものだと言える。
「海」という名前の由来はハマモトさんが物体の外観からそう名付けたものだ。確かに海をそのまま球体に丸めたような見た目をしている。
ここで押さえておきたいのはアオヤマ君らの住む街には海がないということ。実際にアオヤマ君もその目で海を見たことはない。
大人では実際の海を見たことがないという人の方が珍しいだろう。だが、子供の世界はそうではない。このこともまた「海」が未知なるものの象徴だと考える理由の一つだ。
もちろん、好奇心と恐怖心は隣り合わせだ。そんなことも見透かすかのように「海」はどんどん巨大化し、ペンギンを食べる生物であるジャバウォックを生み出し、ついにはハマモトさんのお父さんを始めとする街の人々を飲み込んでしまう。
原作者の森見登美彦が本作の執筆時に影響を受けた映画がアンドレイ・タコルフスキー監督の『惑星ソラリス』だ。

ソラリスの海

『惑星ソラリス』は1972年に公開されたSF映画。ソラリスという惑星では知性を持った海がそこへ近づいた人間の深層心理を読み取り、幻を見せている。
劇中でアオヤマくんのお父さんは、小さな袋を取り出し、アオヤマ君に「これで世界を包むことはできるか?」と問題を出す。
その問題の答えとしてお父さんが示したのは「袋を裏返す」こと。そうすれば、袋全体が世界を包むことになり、また逆に袋の中にあるものは、異世界や世界の外だとも言える。
「海」もまた世界を包む異世界なのかもしれない。
人々の恐怖心を反映するかのように「海」は巨大化し、ハマモトさんのお父さんら街の人々をまで飲み込んでしまう。

「海」の中に入るにはお姉さんの力が必要になり、アオヤマ君はお姉さんを喫茶店へ呼び出す。
そして、そこで研究結果として「海」とペンギンたちの関係をお姉さんに説明する。
まず、ペンギンが本物のペンギンではないように、お姉さんも人間ではないということ。そして、「海」から発せられるエネルギーによってペンギンもお姉さんも生きていること。そのために、お姉さんは食事を取らなくても平気だが、「海」から遠く離れてしまうとエネルギーを失ってしまう。
「海」の正体をアオヤマ君は海をこう推測する。
世界の果てであり、世界の壊れたところだと。そこでは時間や物理法則がねじ曲がっている。アオヤマ君にしている曰く、まるでブラックホールのように。

2015年に公開された『インターステラー』ではブラックホールの中身が描かれているが、それも「海」同様に、物理法則はおろか、時間軸まで無視したものになっている。
本来異世界は世界の中には存在し得ないが、世界が一部破れてしまった状態が「海」ではないか。お姉さんはペンギンを出すことで世界を直そうとしていたのではないか。
だとしたらジャバウォックまで出てきたことと矛盾してしまう。そうアオヤマ君は悩んでしまうが、お姉さんはそれが自身のこの世界への未練によって無意識に作られたのではないかと推測する。

お姉さんの正体は?

『ペンギン・ハイウェイ』のお姉さんもまた不思議な存在だ。
サバサバしていて、子どもの面倒見も良く、かつ大人としてもきちんと自立している。
だが、アオヤマ君から「人間ではない」という仮説を突きつけられた時にはあっさりとそれを受け入れ、両親との記憶や、過去の記憶を不思議がっている。
個人的にはこのお姉さんのキャラクターと言うか存在自体が、思春期に差し掛かった男の子にとっての「理想の大人の女性」そのもののように思えてならない。
アオヤマ君はお姉さんのおっぱいのことを日々30分考えているように、まだそこに性的なものこそ感じていないようだが、お姉さんとそのおっぱいに特別な感情を抱いている(ちなみに公式資料集によると、お姉さんのおっぱいのサイズはFカップとのこと)。
しかし、その頃の少年にとっては女性そのものが謎であり、未知の存在だろう。

アオヤマ君はお姉さんが「人間ではない』という答えにたどり着くが、それはアオヤマ君にとって悲しい別れをもたらすものでもあった。
『ペンギン・ハイウェイ』の中でアオヤマ君のお父さんは「調べない方が傷つかなくて済む問題もある」と言う。
結果的にそれは「海」であり、お姉さんのことだった。どちらも、アオヤマ君には完全には理解できない「世界の果て」なのだ。
この作品の主題は謎解きではない。かといって子供向けの作品でもない。
『ペンギン・ハイウェイ』は、終わらない謎を通して、私達を少年の頃へ再び誘おうとしている。

 

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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