※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
三木聡監督のファンになって10年以上が経つ。きっかけは今はなき天神の国体道路沿いにあったTSUTAYAだ。麻生久美子さんが大好きな私は、可愛らしい麻生久美子さんがメインビジュアルになっていた『インスタント沼』のDVDを気づけば手に取っていた。
『インスタント沼』の麻生久美子さんはもちろん素晴らしかった。劇中でコロコロ変わる衣装も素敵だった。
だが一方で『インスタント沼』の独特なシュールさも衝撃だった。冒頭のオープニングシーンだけですっかり三木聡監督の世界に引き込まれてしまった。
その魅力はシュールさだけではなかった。
『ベンジャミン・バトン』の解説でも書いたが、当時私は将来について迷い、悩んでいた。
『インスタント沼』のラストシーンで麻生久美子さんがこう絶叫する。
「世の中の出来事のほっとんどが大したことないし、人間、泣いてる時間より、笑っている時間の方が圧倒的に長いし、信じられないものも見えるし、一晩寝れば大抵のことは忘れられるのよ。
とにかく、水道の蛇口をひねれ!
そして、その嘘と意地と見栄で塗り固められた、しょーもない日常を洗い流すのだ!」
その眩しさに戸惑いつつも、確かに励まされたのは事実だ。
以来、三木聡監督の作品は全て観ている。
『インスタント沼』で出会った独特のシュールさを「脱力系コメディ」と呼ぶとは後々に知ることになるのだが、三木聡監督作品は大きく2つに分けることができると思う。
一つは『インスタント沼』『転々』『亀は意外と速く泳ぐ』などの三木聡監督のイメージそのままの脱力系コメディだ。
シュールな笑いが続いても、最後は前向きな気持ちにさせてくれる。
もう一つはシリアスな要素が強い作品だ。
こちらは『俺俺』や『音量』、またドラマだが『熱海の捜査官』などが該当すると思う。
今回紹介する『コンビニエンス・ストーリー』は後者の映画だ。
『コンビニエンス・ストーリー』
『コンビニエンス・ストーリー』は2022年に公開された三木聡監督、成田凌、前田敦子主演の・・・ジャンルは何といえば良いんだろう?
「気温9度、あまり感じのよくない目眩がする。私は、さっき飲んだ薬の事を、少しばかり後悔していた」
そんなセリフからこの映画は始まる。セリフの主は売れない脚本家の加藤。加藤はコンビニで異世界へ迷い込む。そこで出会った山奥のコンビニ店員の人妻恵子と恋仲になる。
一方、加藤の恋人で女優のジグザグはいなくなった加藤の行方を探している。
言葉にすればシンプルだが、ストーリーをわかりやすく説明しようとすると難しい、難解な映画だ。正直に言えばよくわからない。
映画の意味や物語について考察するのもまた正しい映画との向き合い方の一つだと思うが、三木聡監督はあえてこの映画をパズルのピースがハマらないように仕組んでいる。
ただ、一つキーワードとなるのが「死後の世界」だろう。
死後の世界
三木聡監督作品において死後の世界は繰り返し登場するモチーフだ。
2007年に公開された『図鑑に載ってない虫』では主人公のルポライターの「俺」が一度死んでも生き返ることのできる方法を調べるために「シニモドキ」という虫を探し求めるロードムービーだ。
また2011年に放送されたテレビドラマの『熱海の捜査官』では最終話で主人公たちの暮らす街があの世だったことが明らかになる。
三木聡監督にとってあの世とはどのような意味を持つのか。
監督は死後の世界そのもの、死後の世界と現世が地続きになっているみたいな考えに関心があったという。
確かにどの作品でもあの世に迷い込んだ主人公は最初はそこがあの世だとは気づかない。
『図鑑に載ってない虫』のエンディングで「俺」はあの世から生還するが、「生きてるのも死んでるのもそう変わらない」と回想している。
『コンビニエンス・ストーリー』でもそれは同じだ。
加藤がコンビニでジグザグの愛犬のためにドッグフードを買い物していると、そこに車が突っ込んでくる。
当然無傷ではいられないほどだが、加藤は何事もないようにそのまま家に帰る。家に帰ると脚本を書いていたPCの上にジグザグの愛犬が座っており、そのせいで、脚本はすべて消えてしまっていた。
加藤は犬を捨てることにする。犬の名前はケルベロス。ケルベロスはギリシャ神話に登場する冥府の番犬のことだ。ケルベロスに餌を与え、ケルベロスが餌に夢中になっている間にまた加藤は速くその場を離れようとする。しかし、そのせいで焦って車で地蔵を一体倒してしまう。
恐らくそこでなにか不幸があり、鎮魂の意味で地蔵は建てられていたのではないか。
これによって今度は逆にあの世からこの世への入口が開いたのではないか。
ケルベロスがいなくなったことをジグザグに尋ねられ、気まずくなった加藤はケルベロスを捨てた場所へ再び向かう。
そこにはただポツンと古びたコンビニの「リソーマート」があるだけだ。
加藤はコンビニ店員の恵子と、その夫である店主の南雲と知り合う。乗ってきたはずの車もなぜか消えており、加藤は南雲の厚意で南雲の家に泊まることになる。
南雲は加藤を見ると「こっちの人ではないようですね」と声をかけている。
加藤が迷い込んだのはこの世とあの世の境目ではないか?
この考えを裏付けるヒントは劇中に隠されている。加藤が自分以外に異世界へ持ってきたものが車だ。レンタカーであるが、その会社の名前が「バニッシング・ポイント」。直訳すれば消失点だが、より詳しく言えば、平行な2つの線が交わるように見えるポイントをそう呼ぶらしい。
つまり、あの世この世、決して交わらないものが交じる地点ということだ。
また、あの世とこの世の境目であれば、現世にいる平坂らと加藤が電話で会話しているのも納得できる。三木聡監督作品ではあの世とこの世の明確な境目は存在しないからだ。
ジグザグは加藤とケルベロスの居場所を見つけるために探偵に依頼する。
江場土事件とは
劇中で語られる江場土事件もまた不思議な事件だ。江場土事件とはあるコンビニに強盗が押し入り、一家全員が殺された事件だ。
加藤はリソーマートで売られてた江場土事件の本を元に脚本のプロットを作り上げる。南雲の口から恵子は江場土事件の生き残りであることが語られるのだが、現世のは江場土事件ではコンビニの本のすべてが殺されたという。
興味深いのは、江場土事件が(現実世界ではほぼ忘れ去られているものの)にあった事件だということだ。
つまり、江場土事件で死んだ者とは、あの世で暮らしているものになる。
逆に江場土事件で生き残ったものはあの世にはいないはずだ。ここでまた「唯一の生き残り」である恵子の存在が宙に浮く。
彼女は生きているのか?死んでいるのか?
恵子は映画の中で初めて登場する時にコンビニの冷蔵庫の中から登場する。冷蔵庫は三木聡作品においては何かの入口になっていることが多い。先にも紹介した『図鑑に載っていない虫』では死者の世界に迷い込んだ「俺」がアイスを食べようと冷蔵庫を開けた瞬間、冷蔵庫の中から伸びてきた手に頭を掴まれる。
それをきっかけに「俺」は現世に蘇生したことから、手の正体は現世の人々だったのだろう。
だが、同じく冷蔵庫の中から出てきた恵子がこの世の人であるとは考えづらい。
恵子は南雲が指揮に出掛けている間に加藤を誘惑して関係を持ってしまう。
そして、「あなたのおかげでコンビニから抜け出すことが出来た」といい、加藤と恵子はバスに乗って温泉へ向かう。
そこでは永遠祭という祭りが開催されており、死者の集まる日だという。今日はその三日目で、それが終わると死者はあの世へ帰っていく。
恵子はその群衆の中に南雲を見つけ、隠れるように逃げ出す。
加藤は一人でコンビニに帰るが、南雲は加藤と恵子の関係に気づいていた。
南雲はすでにジグザグが依頼した探偵も殺していた。
加藤がたどり着いた場所があの世とこの世の境目であるならば、南雲は閻魔大王のようなキャラクターとも言える。
閻魔大王の前ではウソはつけない。だから加藤と恵子の関係もバレてしまった。
南雲が普通の人間とは違う役割があるとするならば、彼の胸に入れ墨がある理由もわかる。
南雲は恵子に後ろから倒される。そして恵子は加藤をコンビニの冷蔵庫の中へ導いていく。
そして、加藤はリソーマートへ戻る。そこには南雲もなく、車もケルベロスもいた。
加藤は脚本を印刷し、レジの方を見ると恵子がなにか呟いていた。
次の瞬間、コンビニに車が突っ込んでくる。
またしても加藤は吹き飛ばされる。
そしてコンビニの前にはドッグフードの瓶に花を挿したジグザグと探偵たちの姿が。ジグザグは探偵たちに「加藤君と向こうで会わなかった?頼りにならないわね」と言う。
「気温9度、あまり感じのよくない目眩がする。私は、さっき飲んだ薬の事を、少しばかり後悔していた」
冒頭のセリフが再度繰り返され、加藤は目覚めると、恵子のいる世界にいた。
三木聡監督は恵子にはファム・ファタールの役割があるという。ファム・ファタールとは映画などによく登場する、魔性の女のことだ。また三木聡監督はファム・ファタールを説明する際にデヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』を例に出している。
これもまた一つのヒントではないか。
『マルホランド・ドライブ』は一人の女性が死ぬ前に見た一瞬の夢の話だ。
『コンビニエンス・ストーリー』は加藤が死ぬ間際に見た一瞬の夢ではないだろうか。
作品に「正解」はない
このように『コンビニエンス・ストーリー』は無限に考察を楽しむことが可能だ。なぜ無限と言えるのか。この作品に「正解」はないからだ。
思いつくままに考察を述べてきた。確かに考察をせずにはいられない作品の作りをしている。
三木聡監督はしかし、確信犯的に正解を壊している。あえて整合性を無くしているのだ。
「『コンビニエンス・ストーリー』でも現実と異世界との整合性みたいなものをあえて崩しているところはある」とインタビューで三木聡監督は述べている。
監督は『インスタント沼』のワンシーンを例にあげている。
「スロットマシーンに文字が表示されるんですが、ビーフが出てきて、その次にチキン、そのまた次にシーフードって表示されて、これは何の機械?って考えた時に、カレーの具を決めるマシンではないだろうかという話になる。
次にスロットを回すと、インディアン・サマーが出て来て、カレーの具を決める機械じゃないという話になる」
※注 劇中で表示されるのはカレーではなくおでんの具。
『コンビニエンス・ストーリー』は謎解きを拒否した映画という意味ではかなり斬新な作品となった。
どうしょうもなく心に引っかかりが残る感覚を味わってみるのもいいかもしれない。