※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています
ダニエル・デイ=ルイスは史上唯一アカデミー賞主演男優賞を三度獲得した俳優だ。
その一つである『マイ・レフトフット』では脳性麻痺によって左足しか動かせない画家・詩人・作家のクリスティ・ブラウンを演じているが、ストーリーよりも ダニエル・デイ=ルイスのその演技の凄さが強く心に残った。だからだろう、『マイ・レフトフット』は誰が監督したか、監督の名前は全く意識しなかった。
『父の祈りを』
アラン・J・パクラ監督の『デビル』をきっかけにIRAの問題に関心を抱くようになった。今回紹介したい『父の祈りを』は1974年に起きたにおいて、イギリス司法史上最大の汚点と言われるギルフォード・パブ爆破事件を描いているが、その背景にはIRAの問題がある。
監督はジム・シェリダン。前述の『マイ・レフトフット』もジム・シェリダンの手掛けた映画だった。『マイ・レフトフット』に引き続いて ダニエル・デイ=ルイスとは二度目のタッグとなる。
今回は『父の祈りを』の解説としてIRAの歴史、そして司法制度の観点から冤罪が起きる背景について見ていきたい。その2つに共通するのは「差別」の問題だ。
最初はIRAから見ていこう。前述の『デビル』ではIRAをどちらかと言えば好意的に描いている。『デビル』の公開は1997年。時代的にもIRAとイギリスの間で和平への道が開かれてきた背景があるのだろう。アラン・J・パクラの映画には政治的な作品が多い。『大統領の陰謀』に代表されるように主人公は権力に抗い、自由を獲得しようとする。その意味で北アイルランドの独立を目指すIRAは一種の自由の闘志にも映るのだろう。
一方でジム・シェリダンは実際に北アイルランドで生まれ育った。『父の祈りを』では善悪の輪郭が曖昧な、北アイルランドの現実が映し出されている。
物語は1974年の北アイルランドのベルファストから始まる。現実の厳しさを表すようにディストーションの歪んだ重い音が響く。『父の祈りを』の音楽を担当したのはトレヴァー・ジョーンズとU2のボノ。U2は言わずと知れたアイルランド出身のロックミュージシャンだ。
ギルフォード・パブ爆破事件
当時20歳の若者ジェリー・コンロンは働きもせずに屋根に上って金属を盗むなどのコソ泥行為で生活していた。
その様子をイギリス兵にIRAの狙撃兵だと誤解されたことでイギリス兵から追われ、その騒動によりIRAにも目をつけられてしまう。
父親のジュゼッペは「ピーター、勘弁してやってくれ!」とIRAメンバーに頼む。
ここでジュゼッペとIRAとの距離感がわかる。一般民衆としてつかず離れず程度の軽い付き合いはあったということだ。本作の脚本を務めたのはテリー・ジョージ。テリー・ジョージ自身もジェリーと同じベルファストで生まれた。年齢もジェリーと二歳違いの同世代であり、ジョージも「アイルランドで育って、紛争を見てきた」と語っている。
テリー・ジョージはその後もシェリダンと再びタッグを組んだ『ボクサー』やアカデミー賞短編映画賞を受賞した『海岸』でIRAや北アイルランドをテーマにしている。
テリー・ジョージの代表作としては監督・脚本・製作を務めた『ホテル・ルワンダ』が挙げられるが、民族の対立という点ではIRAや北アイルランド問題と共通するものがある。
ジュゼッペはIRAから息子を守るためにジェリーをロンドンに逃れさせる。
ロンドンでも変わらず無為で堕落した日々を過ごすジェリーだったが、ある晩、高級娼婦の家に盗みに入るが、その日にギルフォードで爆破事件が起きたことを知る。ジェリーはその後、一時実家に帰省するがその時に警察に爆破事件の容疑者として逮捕されてしまう。
しかし、なぜロンドンから50㎞も離れたギルフォードの爆破事件でジェリーは逮捕されなければならなかったのか?
まず、ギルフォード・パブ爆破事件についてだが、当初から警察はIRAの仕業として捜査していた。その中でアイルランド人は真っ先に容疑者として疑われていった。ロンドンにいたジェリーもその一人だ。IRAはロンドンでも多く爆破事件を起こしていたことと、ジェリーは事件の時間にロンドンにいたというアリバイも証明できなかった(のちに警察が無実の証拠を隠蔽していたことが明らかになるが)。加えて、爆破事件の直後にベルファストに渡航したことで、犯行現場からIRAの拠点である北アイルランドに逃亡したと見られてもおかしくなかった。
アイルランド独立とIRAの歴史
では、なぜIRAはイギリスでテロ事件を起こしたのか、その背景を解説していこう。
遥か昔からイギリスとアイルランドの間に紛争は存在していた。17世紀にオリヴァー・クロムウェルはアイルランドを侵略。アイルランドはイギリスの植民地となるのだが、もともとアイルランドとイギリスでは人種も宗教も異なる。アイルランドで多数派を占めるカトリックは土地所有や進学の制限などさまざまな差別を受けることになる。 そのためアイルランドでは度々イギリスに対して反乱が起きるようになる。
そこで19世紀の始めにイギリスは正式にアイルランドを自国として併合した。だがアイルランド独立運動は止まず、1916年にはイースター蜂起が起きる。この蜂起の首謀者の多くが軍法会議にかけられ、わずか1週間あまりで銃殺刑に処された。このことはアイルランド国民の反英感情を悪化させた(民衆の多くは蜂起に無関心であったが、このことが逆に独立の機運を高めたという皮肉な結果になった)。
その結果、アイルランドでは独立を目指すシン・フェイン党が躍進。1919年にアイルランド共和国として独立を宣言する。もちろんイギリスも黙っているわけではない。アイルランドに軍隊を派遣し、1919年にアイルランド独立戦争が始まる。この時にアイルランドが募った義勇軍が後のIRAの元になる。
アイルランド独立戦争は1921年に終結する。その戦争の講和条約として英愛条約が結ばれる。その内容はアイルランドの独立を認めるが、プロテスタントの多い北アイルランドはイギリス領として残すというものだった。
社会科の授業でイギリスの正式名称が「グレートブリテン及び北部アイルランド連合」だと習ったことを覚えている人もいるだろう。だが、北アイルランドの人口の40%はカトリックだ。彼らはイギリスからの独立を求めていた。ここでIRAは北アイルランドの独立を目指す暫定IRAと、穏健派のオフィシャルIRAに分裂する。映画などで言及されるIRAはこの「暫定IRA」がほとんどだ。
1970年代に暫定IRAはアイルランドを越えてイギリスでもテロ行為を行うことが多くなった。その背景には1972年に発生したイギリス軍が非武装の市民を殺傷した「血の日曜日事件」など、イギリスによるアイルランドへの暴力的な抑圧が背景にあった(U2が「血の日曜日事件」をテーマに製作した『Sunday Bloody Sunday』は彼らの代表作となった)。ギルフォードの爆破事件はそのような流れの中で起きた事件だ。
冤罪の原因
9.11の直後にアメリカ国内のイスラム教徒、アラブ系の人々が差別されたように、爆破事件後のアイルランド人も差別を受けた。「ギルフォード・パブ事件の犯人を早く捕まえてほしい」社会からのそんなプレッシャーも警察が冤罪を生み出した要因の一つだろう。
そして容疑者の一人としてジェリーは取り調べを受けるが、最初からジェリーは犯人と決めつけられ、暴力と脅迫まがいの長時間にわたる聴取はジェリーの精神と体力を疲弊させ、ついにやってもいない白紙の供述書に署名してしまう。
父のジュゼッペもまたテロを手助けした容疑で逮捕、ジェリーと共に服役することとなる(父と子が同じ部屋に収監されるのは映画による脚色だが)。自棄になり、ドラッグに手を出すなど、相変わらずのジェリーとは対照的に、ジュゼッペは何とか無実を証明し、再審を得るために奔走する。
ダニエル・デイ=ルイスの演技が相変わらず見事だ。過酷な役作りで知られる ダニエル・デイ=ルイスだが、今作では撮影中は北アイルランド訛りを徹底して話し、体重も約15Kg減量。夜は独房のセットで過ごし、世間に非難される被疑者になりきるために、撮影クルーに自分自身に向かって罵りや水を投げつけさせるなどの役作りを行った。
だが、それと同じかそれ以上にピート・ポスルスウェイトが素晴らしい。良い俳優は役柄に余計な自己を感じさせない。子供を愛し、正しい道に導こうとする父親の姿と、自らの死期を悟り、徐々に弱々しくなっていく老人としての姿、その変貌ぶりには驚かされる。ポスルスウェイトは1997年に公開された『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』では自信家の恐竜ハンターを演じているが、『父の祈りを』のジュゼッペ役とは正反対の役柄を違和感なく演じきっている。私も途中までこの二人のキャラクターが同じ人物が演じているとは気づかなかった。1997年に公開された『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の監督のスティーヴン・スピルバーグはポスルスウェイトを「世界一の役者」と呼んでおり、次作『アミスタッド』でも検事のホラバード役に起用している。
『父の祈りを』は実話をもとにした作品だが、今まで見てきたようにその背景にはIRAと冤罪という問題がある。
IRAに関しては2005年に武器解除が完了し、2007年に北アイルランドに自治が復活した。
取り調べ可視化へのギルフォード・フォーの影響
冤罪に対しては防止策として1984年に警察及び刑事証拠法(PACE)が制定され、取り調べに厳格なルールが適用されるようになった。もちろんその背景にあるのはギルフォード・パブ爆破事件だ。この事件で主犯格として逮捕されたジェリー含む4名はギルフォード・フォーと呼ばれ1980年代には彼らの無実を訴える世論も大きくなっていた。
PACEでは被疑者は知る権利を与えられ、調書の内容を確認することができるようになった。留置期間の上限も定められ、上限は 96時間だが36時間を超える場合には治安判事の許可を得なければならなくなった。またかなりの取調べに弁護人が同席するようにもなった。取り調べの可視化には警察の側からも公正さを確認してもらえると歓迎の声が大きかったという。
日本でも今なお冤罪事件が発生している。最近の例では殺人罪で17年間服役し2009年に無実が確定した足利事件などがある。その他の冤罪事件に関しても取り調べ自体がブラックボックスになっていることで脅迫まがいであったり、暴力的な取り調べによって無理やり捏造された自白が証拠として採用されたケースが多い。
日本でも2019年には取り調べの録音・録画が義務付けられたのだが、その対象となる事件は裁判員裁判となる(厳密にはそれに加えて検察の独自捜査事件)。
裁判員裁判の対象となる事件は殺人罪でなおかつ死刑、もしくは無期懲役にあたる犯罪事件のみだ。これは警察が検挙するすべての事件のわずか0.4%。この場合だと懲役13年のジュゼッペは可視化事件の対象外となる。
またこの取り調べの可視化にはもう一つ大きな問題がある。取り調べの対象は容疑者が逮捕されてからの取り調べのみだ。つまり、任意同行での取り調べは録音・録画の対象外になってしまう。
個人的には取り調べの可視化について強く推し進めていくべきだと思っている。はっきり言って、なぜ可視化が問題なのかさっぱりわからないのだ。
ジェリー・コンロンは2014年に60歳で亡くなるが、服役のトラウマから、釈放後も長い間にわたりアルコールやドラッグ中毒に悩まされていたという。