『キャロル』結末のその後を考察。なぜその愛は禁じられたのか?

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角川書店 (映像)

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


2015年にアメリカ全州で同性愛が合法化された。それを祝してSNSの多くのプロフィール画像がレインボーになったのを覚えている人も少なくないだろう。
この虹は同性愛解放運動の象徴として用いられている。今でこそ同性愛は徐々に認められつつあるが、昔はそうではなかった。
なぜ同性愛は差別され続けたのか?時代とともに同性愛はどのように人々に受け止められてきたのか?
そのヒントとして今回取り上げたいのは2015年に公開された『キャロル』という作品だ。
監督はトッド・へインズ。主演はルーニー・マーラーとケイト・ブランシェットが務めている。自身もゲイであることを公言しているへインズは『エデンより彼方に』に続いて50年代の禁じられた愛をテーマにしている。

1952年のアメリカ、ニューヨーク。作家を目指す19歳のテレーズはデパートの玩具屋の店員として働いている時に一人の女性を接客する。彼女の名前はキャロル。
キャロルは娘へのプレゼントを買いに来ていたのだった。テレーズはキャロルが店に忘れた手袋を届けたのがきっかけで彼女と親しくなっていく。
キャロルは、娘の親権を巡って夫のハージと離婚調停中だった。キャロルは共同親権を望んでいたが、娘の親権者としてレスビアンは 「不道徳」であるとしてハージから単独親権を請求されてしまう。
娘に会えない間、キャロルはテレーズと二人で旅行にでかけるのだが、そこに思いがけない出来事が待ち受けていた。

『よろこびの代償』

『キャロル』の原作は1952年に刊行された小説『よろこびの代償』だ。作者はクレア・モーガン。しかし、その正体は長らく謎だった。

後年になって小説家のパトリシア・ハイスミスが『よろこびの代償』の作者クレア・モーガンの正体は自分であると明かした。
ハイスミスはサスペンスを多く書いてきた。アルフレッド・ヒッチコック監督の『見知らぬ乗客』の原作や、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』の原作も彼女の作品だ(『太陽がいっぱい』の原作は『リプリー』というタイトル)。
そのハイスミスがサスペンスというジャンルを越えて、唯一自伝的な小説として書き上げたのが『よろこびの代償』だ。

テレーズ同様、ハイスミスもデパートの店員をしていた。彼女は接客中に一人の女性に目を奪われる。
「彼女が私を見た瞬間、私も彼女と目が合った。その瞬間 、私は恋に落ちていた」
ハイスミスは日記にこう記している。
その一瞬の出会いはハイスミスに大きな影響をもたらす。ハイスミスは自宅に帰るとその女性を主人公にした物語を一気に8ページほど書き上げた。それがのちに『よろこびの代償』と題される小説になる。
その後、ハイスミスはデパートの伝票を手がかりに彼女の家を数度訪ねたと言う。
余談だが、その彼女、 キャサリーン・センは『よろこびの代償』の出版を知ること無く自殺している。
また、キャサリーン・センと出会う二年前にハイスミスは銀行家の妻であったヴァージニア・ケント・キャサーウッドと付き合っていた。二人は旅行先で密会していたところを探偵に突き止められ、それが原因でキャサーウッドは親権を失うこととなった。このエピソードも『よろこびの代償』には織り込まれている。

しかし、なぜ『よろこびの代償』は別名義で出版されたのか。それはハイスミスが自身に対して「レズビアン小説家」というイメージがつくことを恐れたからだ。

50年代、同性愛は「精神病」であり、治さなければならない疾患と見なされていた。
1952年にアメリカ精神医学会は同性愛について「精神疾患、反社会的人格障害」という声明を出した。同性愛者は社会のなかで雇用や住居などあらゆる面で差別された。40年代から50年代にかけて行われた赤狩りの中でも、同性愛者は追放の目に遭った。

しかし『よろこびの代償』は熱狂的に支持された。当時の映画にはヘイズコードという自主規制が敷かれており、露骨な性描写や暴力に加え、同性愛もタブーのひとつになっていた。
小説も同様で、同性愛をテーマにした作品では、彼らは治療されるかもしくは自殺や事故や病気で亡くなるという結末を折り込まれ、ハッピーエンドで終わる作品は存在しなかった。そんな時代にあって『喜びの代償』は初めて同性愛を肯定した作品となった。同性愛は病気ではなく、幸せにもなれるという希望を描いた。
『よろこびの代償』は発刊されると『見知らぬ乗客』を抜いて100万部を越えるベストセラーになった。発刊から30年以上経った1980年代においても『よろこびの代償』へのファンレターは途絶えることがなかったという。

ちなみに、『喜びの代償』の原題は『The Price of Salt』(塩の価格) という。これは聖書の記述に基づいている。
『創世記』において、ソドムとゴモラの2つの都市が滅ぼされるとき、神の使いがソドムの住人であるロトの家族へそれを予告する代わりに、町の方を振り返るなと言いつけた。しかし妻は誘惑に負けて途中で振り返ってしまい、塩の柱となってしまう。
『The Price of Salt』とは禁じられた行為への代償ということなのだろう。

同性愛とキリスト教

同性愛者への差別や迫害にはキリスト教が深く関わっている。
古代ギリシャでは同性愛は咎められるどころか、一般的に認められていた。同性愛が非道徳だという発想そのものがなかった。同時代の哲学者のプラトンは「精神的な恋愛は男とするもの、セックスは女とするもの」と述べている。

同性愛に対する価値観に大きな変化をもたらしたのはキリスト教だ。キリスト教では姦淫は罪になる。そのために厳格なキリスト教徒たちは生殖以外の性行為を禁じた。同性愛もその一つだろう。キリスト教の価値観においては同性愛は「不道徳」であり、19世紀には同性愛行為は死刑とされるほどであった。

前述のヘイズコードの始まりは1933年だが、そこにもキリスト教の価値観が強く反映されている。そもそもヘイズコードは1929年にカトリックの信徒であるマーティン・クィッグリーとイエズス会士であるダニエル・A・ロード神父が映画向けの倫理規定の作成を提唱したのがそのきっかけだ。

50年代のアメリカ

アメリカのミドルクラスの国民にとって50年代はアメリカが偉大だった時代だろう。ロナルド・レーガンは81年に「アメリカを再び偉大に!」のキャッチフレーズで大統領に選ばれた。レーガンが目指した偉大なアメリカこそが50年代のアメリカだった。しかし、その裏では常にマイノリティは抑えつけられていた。
その反動は60年代に爆発する。

アメリカの正義と現実に失望した若者は反戦運動をはじめとしてカウンターカルチャーの旗手として既存の価値観に反発した。
黒人たちは公民権運動を起こし、権利と平等を求めた。
またLGBTたちも同様に権利と平等を求めて抵抗を始めた。その嚆矢は1969年6月28日に起きたストーンウォール・イン事件だろう。
ストーンウォール・イン事件とはニューヨークにあったゲイバー「ストーンウォール・イン」で起きたLGBTの抵抗事件だ。
当時のニューヨークは他のアメリカの地域と比べて比較的LGBTに対する規制は緩かったものの、それでも公的な場で同性愛行為を行うことは州法で禁止されていた。そのためゲイバーが警察による踏み込みを受けるのは日常茶飯事であり、客同士が手を握り合ったりしていただけでも拘束の理由となった。いつもはおとなしく従うふりをしていた彼らもこの日は違った。誰かが警察官に空き缶や硬貨を投げはじめ、やがてこの抵抗はLGBTによる暴動に発展した。
これを機にニューヨークでは「ゲイ解放戦線(GLF)」や「ゲイ活動家同盟(GAA)」などの団体が生まれ、LGBTは積極的に自らの権利を求めていくようになる。

『キャロル』に見る抑圧と解放

『キャロル』では50年代の抑圧を音楽で表現している。テレーズの恋人であるリチャードは典型的なアメリカの一般男性であり、偉大な時代の日々をそれなりに謳歌しているが、テレーズとキャロルにとっては50年代の現実は迷いと苦しみの日々でもある。そんな二人を象徴するようにキャロルに流れる音楽はどれも悲しみを帯びている。

また、車窓もこの映画のポイントのひとつだ。曇ったり、雨に打たれた車の窓ガラスはテレーズの迷いや不安を示してもいる。

だが、それらが消え去るシーンがある。
テレーズとキャロルが旅行に出掛ける時だ。キャロルは「街全体が違って見える」という。
音楽も陽気なクリスマスソングになっている。テレーズはリチャードと離れ、キャロルとの旅行を選んだ。
「俺より人妻との旅行の方が大事か?目を覚ませ!」
そう詰め寄るリチャードにテレーズは「今ほど目覚めたときはないわ!」と返す。
それはそれまで自分の意思を持てなかったテレーズがはっきりと自分自身に気づいた時だ。
キャロルの車で宛てのない旅に出掛ける二人。その車窓にはどんな曇りもない。

だが、二人の旅はハージが雇った探偵によって唐突に終わりを迎える。
ハージは二人の情交を探偵に盗聴させ、離婚調停が有利に運ぶように画策していたのだった。
再び音楽は悲しみを帯びる。
キャロルはテレーズと別れ、ハージのもとで治療を始める。
それが同性愛者に対する当時の当たり前の措置だった。
ハイスミス自身も当時、異性と結婚できるように治療も受けていたという。

夫とお互いの弁護士を交えての協議の日、突然キャロルは娘の親権を自ら手放し、夫に譲ることを宣言する。それまでの主張を突然翻したキャロルはその理由をこう語る。
「自分を偽る生き方では私たちの存在意義がない」
それは偽名で自分を偽って『喜びの代償』を出版するしかなかったハイスミス自身の心の叫びでもあるのだろう。

アメリカの精神医学会が『精神障害の診断と統計マニュアル』 (DSM-II)から同性愛を除いたのは1973年。同性愛が精神病ではないと認められたのは『キャロル』の時代から20年も後のことだった。
さらにハイスミスが『喜びの代償』の作者だと公にしたのは1990年になってから。
そこにアメリカでの同性愛が受け入れられるようになるまでの時間の重さを感じずにはいられない。そしてそれはまだ道の途中でもあるのだ。

作品情報

『キャロル』
公開年:2015年
上映時間:118分

スタッフ

監督
トッド・ヘインズ
脚本
フィリス・ナジー
原作
パトリシア・ハイスミス
『The Price of Salt』
製作
エリザベス・カールセン
スティーヴン・ウーリー
クリスティン・ヴェイコン
製作総指揮
ハーヴェイ・ワインスタイン
ボブ・ワインスタイン
テッサ・ロス

キャスト

ケイト・ブランシェット
ルーニー・マーラ
サラ・ポールソン
カイル・チャンドラー
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