ハリウッド映画とロナルド・レーガンから見る1980年代のアメリカ

バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ウォール街』、『フロントランナー』、『ジョーカー』80年代に作られた映画、もしくは80年代を舞台にした映画を考察していくと、ロナルド・レーガンの名前を登場させなければならない作品が多いことに気づく。
レーガンが元々ハリウッドの俳優だったことは有名だが、大統領としてのレーガンをハリウッドはどう扱ってきたのだろうか。
ロナルド・レーガンとハリウッドの関係をまとめておきたい。これによって80年代のアメリカの姿がおぼろげにでも見えてくると思う。

ハリウッドと大統領

アメリカは日本と違い、実在の大統領をテーマにして様々な映画が作られてきた。スティーブン・スピルバーグ監督の『リンカーン』、オリバー・ストーン監督の『ブッシュ』や『ニクソン』が思い当たる。特にウォーター・ゲート事件で失脚したリチャード・ニクソンはそのスキャンダル性からしてもハリウッドの格好の「獲物」と言えた。

ニクソンをテーマにした映画は前述の『ニクソン』の他にもロン・ハワード監督『フロスト×ニクソン』、『キルスティン・ダンストの大統領に気を付けろ!』、『エルヴィス&ニクソン』などがある。これにウォーターゲートを描いた映画も含めると『大統領の陰謀』『フォレスト・ガンプ/一期一会』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』などが挙げられる。ニクソンの名前が登場する映画まで加えると完璧なリストは不可能だろう。
ニクソンの後に大統領に就いたジミー・カーターは映画的な魅力に乏しかったのだろう、ハリウッドはカーターには惹かれなかった。カーターを描いた映画はほとんど無い。
では、カーターの後に大統領になったロナルド・レーガンはどうか。

レーガンは映画の「素材」としてどうかよりもレーガン自身が誰よりもハリウッド気質であった。
レーガンは小難しい話よりも明快でユーモアに富んだ話し方で人気を呼んだ。
レーガンの大統領当選時の年齢は69歳。2期目を賭けた大統領選の時には73歳という高齢になっていた。当然、年齢はレーガンにとって不安材料のひとつと見られていた。対抗馬は当時57歳のウォルター・モンデール。モンデールとの公開討論で「年齢は大統領の職務進行の妨げになるか」そう問われたレーガンはこう切り返している。
「私は政治目的のために相手の若さや経験不足を利用するつもりはありません。」
この言葉に聴衆は爆笑し、モンデールすら苦笑したという。のちにレーガンは「私はこの十四語の台詞によって大統領当選を確実にした」と述べている。

そしてしばしばスピーチに映画の台詞を引用した。
税制改革法が成立した際には連邦議会にくすぶる増税の動きに対して「やれよ、楽しませてくれ」と述べている。これはクリント・イーストウッド主演の『ダーティハリー』でのハリー・キャラハン刑事の名セリフだ。
また、ソ連は今でも敵だと思うかと記者に訊かれた際には「それは別の時、別の時代の話」だと応えている。これは『スター・ウォーズ』の冒頭のナレーションからの引用。
1986年の一般教書演説では「我々の行き先に道が敷かれている必要はない」と述べた。これは1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』からの引用にあたる。

レーガンが掲げた「偉大なアメリカ」

ロナルド・レーガンは1981年に「アメリカを再び偉大に!」のキャッチフレーズで大統領に選ばれた。

レーガンは81年から89年までアメリカ合衆国大統領に就いていたが、レーガンはソ連を敵視し、社会福祉費を削減する代わりに軍事費を増大させた。レーガンは小さな政府と強いアメリカを志向していた。
レーガン支持の背景には80年代を通して、アメリカ国民自身が強いアメリカを望んでいたということでもあるのだろう。
ハリウッドにおいてもマッチョなアクション・ヒーローが人気を席巻していく。

『ターミネーター』『ランボー』が描く強いアメリカ

1984年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』は機械との戦争をテーマにしている。
審判の日と呼ばれる、人工知能による人間への全面核攻撃で人類の半分は死滅し、生き残った人間と機械の戦争が始まる。
当初は優勢だった機械も人類側の救世主、ジョン・コナーの登場により、敗北間際まで追い込まれる。機械は殺人マシンのターミネーターを過去に送り込み、ジョンの母親を殺す任務を負わせる。母親が死ねばジョンが生まれることもないからだ。
『ターミネーター』の着想自体はキャメロンが夢で見た「殺人ロボットが自分を追いかけてくる」という悪夢がきっかけだったが、今作にはレーガンと共鳴する部分も見受けられる。
審判の日は8月29日だが、この日はソ連が初めて核実験に成功した日でもある。また、『ターミネーター』は言い換えれば世界の危機をアメリカが救う物語でもあり、救世主の到来はキリストをイメージさせる(救世主であるジョン・コナーのイニシャルはイエス・キリストに重ねられている)。レーガンはキリスト教福音派から多くの支援を受けていた。

また、1982年に公開されたシルヴェスター・スタローン主演の『ランボー』はアクション映画でありながらも根底はベトナム帰還兵の悲哀を描いたシリアスなドラマであったのに対し、1985年に公開された『ランボー』が好戦的な暴力を主としたアクション映画に変貌したのもレーガン政権への時代の流れを反映していると言えるだろう。
逆にレーガン政権下でバッシングされた映画もある。1988年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』はその代表例だ。

『最後の誘惑』とキリスト教福音派の台頭

レーガンの大統領就任は、カウンターカルチャーの終焉と保守的なアメリカの台頭を象徴していた。
レーガンの当選に大きな役割を果たしたのがキリスト教福音派の牧師として政治的に絶大な影響力を持っていたジェリー・ファルエルだ。ジェリー・ファルエルは保守主義者であるロナルド・レーガンを強力に後押しした。

このような時代の中では『最後の誘惑 』はあまりに危険な映画でもあった。
『最後の誘惑』は神の子であるはずのイエス・キリストが世俗の誘惑に負け、複数の女性と性行為をするという描写があるからだ。
もちろんスコセッシの主題はそこにはなく、スコセッシは最終的にキリストがその誘惑に気付き、打ち克つことでキリストの偉大さを讃えようとした。
しかし、この映画は製作当初よりキリスト教福音派からの抗議を受け、撮影の4週間前には当初予定していたパラマウントが映画化の企画をキャンセルされた経緯を持つ。

その後、ユニバーサルで製作されることが決定したが、キリスト教右派の「米国家族協会」のドナルド・ワイルドモンや、バプテスト・タバナクル教会のR・L・ハイマーズ・ジュニア牧師らがユニバーサルに抗議活動を行ったのに加え、「キャンパス・クルセード・フォー・クライスト(CCC)」のビル・ブライトに至っては破棄することを目的としてこの映画の権利を買い取りたいという申し出を行ったという(ブライトは映画の買い取りに失敗すると、『最後の誘惑』公開後にのメンバー25000人を導入して、映画館の前でボイコット活動を展開した)。
このように映画の公開後もキリスト教保守派、福音派からの抗議は続いていた。キリスト教メディアは映画の内容を酷評し、レンタルビデオ店にも『最後の誘惑』は置かれなかった。その抗議活動の激しさは劇場の爆破予告まで起こったほどだ。

『ロッキー4/炎の友情』とソ連への敵意の変遷

 

このようにレーガンは保守的な男であったものの、ユーモアは抜群であり、反レーガン派であり、「レーガンは貧しい人々をレイプしている」とさえ語った俳優のクリストファー・リーヴもレーガンと話した際にその人柄に魅了された一人だった。
だが、レーガンのユーモアとソ連への敵視は前代未聞の舌禍を引き起こす。
キリスト教福音派のラジオ番組に出演した際にレーガンはマイクテストで次のように述べた。
「国民の皆さま、喜ばしいご報告があります。私はただいまソビエト社会主義共和国連邦を永遠に葬り去る法案に署名しました。爆撃は5分後に始まります」

このようにレーガンはソ連を強く敵視していた。
それに呼応するような映画が1985年に公開された『ロッキー4/炎の友情』だ。監督と主演をシルヴェスター・スタローンが務めている。
ソ連の新鋭ボクサー、イワン・ドラゴに親友のアポロ・クリードを殴殺されたロッキーは、アポロの仇を取るためにソ連へ乗り込み、完全にアウェイの環境の中、ドラゴとリベンジマッチに臨む。
ドラゴは感情のない、鋼鉄の機械のような男であり、感情のない鉄仮面といったキャラクターである。
『ロッキー4/炎の友情』はその内容からソ連には反共プロパガンダ映画だと批判されたが、 レーガンはスタローンとともにホワイトハウスで『ロッキー4/炎の友情』を鑑賞し、大いに気に入ったという。
また、『ロッキー4/炎の友情』は政治的な観点から見ても反ソ連のイデオロギーのみで成り立っている作品ではない。
ソ連での試合にはゴルバチョフと思わしき人物も登場するが、実際にレーガンはゴルバチョフには深い親しみを覚えていたという。ゴルバチョフがペレストロイカでソ連の民主化を推し進め、アメリカとソ連の冷戦は雪解けに向かう。
『ロッキー4/炎の友情』でもソ連でのドラゴとの試合の中でもロッキーの善戦により、徐々にロッキーへの声援が増えてくる。ドラゴを倒したロッキーは観客に向かってこう呼び掛ける。
「最初は観客の自分に対する敵意に戸惑い、自分も観客を憎んだ。しかし戦いの末に互いに気持ちが変わっていった。もし俺が変わることができるなら、みんなも変わることができる。誰でも変わることができる」
ここではレーガンがそうしたように、ソ連への歩み寄り、そして雪解けのムードを大きく感じさせるエンディングとなった。

『フィラデルフィア』とエイズ問題

強いアメリカを目指したレーガンだったがらその中には失政と思われるものもある。『最後の誘惑』ではレーガンとともに、台頭してきたキリスト教福音派だが、映画だけでなく、現実の政治の中にもキリスト教福音派の影響は根強かった。

レーガン政権で顕在化したのがエイズの問題だ。
ジョナサン・デミが発表した『フィラデルフィア』はエイズが死に至る恐ろしい病として、エイズ患者が人々の差別や偏見の的になっていた時代を描いている(もちろん今でも差別や偏見が無くなったわけではないが。)今では考えられないことだが、当時エイズは「同性愛者への天罰」だという意見があった。この考えを主張していたのが前述のジェリー・ファルエルだった。
ロナルド・レーガンもファルエルと同じ考えだったのかは不明だが、大統領となったレーガンはエイズに対して有効な政策を打つことがなく、ワクチンすら認可しなかった。
その結果、エイズ患者は急増した。レーガンがエイズ対策を国家の優先事項として認めたのは友人でもあるロック・ハドソンがエイズで亡くなったことがきっかけだった。

『ウォール街』とレーガノミクス

レーガンはレーガノミクスという経済政策を通して不況を脱しようとした。レーガノミクスは「小さな政府」を志向し、規制緩和によって市場競争を活性化しようとする政策だ。
その一つが企業や個人に対する大幅減税だった。特に最大税率を払っている富裕層に対しては、税率を70%から50%に引き下げた。しかし、その一方で政府の歳出は削減した。歳出の30%をカットし、貧困層への福祉を縮小させたために、貧富の差が拡大した。
また貿易赤字でドル高の状態が続いていたために多くの工場が海外へ移転し、経済の中心は金融や投資へと変化した。その影響でレーガン政権の一期目にはアメリカはカーター政権を上回るほどの貧富の拡大と不況を生み出した。
オリバー・ストーン監督の1987年の映画『ウォール街』の舞台は1985年のアメリカで、まさにこの時期にあたる。
製造業がドル高のために軒並み国外にその工場を移す一方、レーガン政権下で財務長官のドナルド・リーガンは証券取引を大幅に自由化し、株式ブームを起こした。その結果、アメリカの主要産業は製造業から金融へとシフトした。金融自由化のおかけで金融業界は活気づき、主要産業は製造業から金融へとシフトした。一夜にして大金を手に出来る投資銀行家の人気が高まり、ウォール街を目指す若者が増えていた。
オリバー・ストーンは行き過ぎた拝金主義と資本主義の増長に警報を鳴らす目的で『ウォール街』を撮った。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とアメリカの理想

一方で1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では当時のアメリカの没落が描かれている。
1985年はアメリカの没落と対称的に日本はバブル期で勢いがあった頃だ。
高校生のマーティ・マクフライはロックンロールを愛する高校生だが、マクフライ家は誰もパッとせず、
学校ではマーティはのオーディションに落とされ、教師には「マクフライ家は代々落ちこぼれ」とまで言われてしまう。
しかし確かに父親は弱気で冴えないサラリーマン、母はキッチン・ドランカー、兄はブルーカラーのフリーター。姉も異性とデートさえしたことのないという家庭環境であった。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はそんなマーティがタイムマシンに乗って1955年のアメリカへタイムスリップする話だ。レーガンもまた保守的なアメリカの時代である1960年代を理想としていた。
今作は公開後「フューチャー現象」とも呼ばれるほどの人気を巻き起こしたが、それは多くのアメリカ人が古き良き時代へのノスタルジーを感じていたのだろう。

『キャロル』の描く「理想のアメリカ」の実態

だが、本当に1950年代はレーガンの言う「黄金時代」は本当にそうだったのか?LGBTや有色人種などのマイノリティにとっては決してそうではなかっただろう。
ここでは『キャロル』を例に1950年代のLGBTの状況を見ていこう。

『キャロル』は1951年のアメリカ・ニューヨークを舞台に互いに惹かれ合う3人の女性の恋愛を描いた映画だ。今では考えられないことだが、50年代、同性愛は「精神病」であり、治さなければならない疾患と見なされていた。
1952年にアメリカ精神医学会は同性愛について「精神疾患、反社会的人格障害」という声明を出した。同性愛者は社会のなかで雇用や住居などあらゆる面で差別された。40年代から50年代にかけて行われた赤狩りの中でも、同性愛者は追放の目に遭った(ちなみにレーガンは俳優組合の代表として、積極的に赤狩りに協力している。50年代の赤狩りを描いた『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』では当時のアーカイブ映像としてレーガンが登場している)。
このような時代にアメリカの正義と現実に失望した若者は反戦運動をはじめとしてカウンターカルチャーの旗手として既存の価値観に反発した。
黒人たちは公民権運動を起こし、権利と平等を求めた。またLGBTたちも同様に権利と平等を求めて抵抗を始めた。ニューヨークでは「ゲイ解放戦線(GLF)」や「ゲイ活動家同盟(GAA)」などの団体が生まれ、LGBTは積極的に自らの権利を求めていくようになる。

レーガン政権の終焉とその後

1989年1月にレーガンは政治の世界を去る。それから5年後、レーガンは大統領として初めてアルツハイマーに罹患していることを公表し、表舞台から姿を消していった。
ただ、『バック・トゥー・ザ・フューチャー PART3』にてレーガンに保安官役のオファーがあったという。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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