テロは絶対悪か?『ジョーカー』に見る社会が無視したもの

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2022年7月8日、安倍元総理が銃撃され亡くなる事件が起きた。間違いなく日本の憲政史に深く刻まれるだろう衝撃的な事件だ。
安倍氏の評価については人それぞれ色々な想いがあるだろうが、その死には素直に残念な想いがした。

「テロは絶対悪」

残念な想いはもうひとつあった。政治家達のコメントだ。
「テロは許さない」「テロに屈しない」「テロは絶対悪」
それは心からの言葉なのか?
どの言葉も9.11後からアメリカ大統領が幾度となく発してきた言葉だ。それを何の疑問もなくテンプレートかのように口にする様は否応なく政治家の劣化を感じさせた。

特に「テロは絶対悪」という言葉だ。
今回のケースではないが、追い詰められた弱者にとって、もはや残された手段がテロしかない場合もある。
誤解を招かないように言っておくと、もちろんテロを全肯定する気もない。テロとはいわば背後からの不意討ちでもあるために本質的には卑怯な行為でもあると思う。
だが、そもそも権力者が弱者を無視し続けたらどうなるのか?

『ジョーカー』アーサーはなぜジョーカーになったのか

2019年に公開された『ジョーカー』は捉え方によっては弱者がテロリストに変貌していく物語だと言える。
『ジョーカー』ではバットマンの宿敵であるジョーカーが誕生するまでが描かれる。主人公はアーサー・フレックというコメディアンを目指す中年の男だ。
アーサーの母親は病弱で、かつて仕えていた町の大富豪であるトーマス・ウェインに陳情の手紙を出し続けるが、ウェインからの返事はない。
アーサーは緊張状態に置かれると笑いの発作が出てしまう疾患に悩まされている(これはトゥレット症候群の一種でもある)。その疾患の治療のためにカウンセリングも受け続けているが、不景気の煽りを受け、打ち切られてしまう。

『ジョーカー』が舞台としてイメージしたのは1981年のニューヨーク。1981年当時のアメリカは貿易赤字と財政赤字に悩まされていたが、ロナルド・レーガンは不況脱却のために富裕層への減税と福祉の大幅な縮小を実施している。カウンセリングの打ち切りはレーガンの政策を彷彿とさせる。

アーサーはコメディアンを目指しているが、中々芽が出ず、仕事もうまくいかない。派遣されたピエロの仕事は一方的に打ち切られた。理由はアーサーが担当する店の看板をなくしたという理由だったが、事実はアーサーは若者の不良たちに襲われ、暴行を受けたおり、看板はその際に彼らに壊されたのだった。だが雇い主はアーサーの言い分を信じず、一方的にアーサーを責め立てる。
同僚のランドルからは半ば強引に護身用として拳銃をもらうが、ピエロとして小児科を訪れているときに誤って拳銃を落としてしまう。アーサーはその事が原因でついに解雇されてしまう。

ある日、母の手紙を見たアーサーは自分は母とウェインの間にできた子供ではないかと思うようになる。ウェインに事実を確かめに行くアーサーだが、執事の本人に冷たくあしらわれ、帰路に就く。
帰路についたアーサーだったが、自宅前は騒然としており、母親はストレッチャーで病院に搬送されようとしていた。
付き添いの病室ではアーサーは憧れのコメディアンであるマーレー・フランクリンがホストを務めるテレビ番組「フランクリン・ショー」で自身が紹介されているのを知り、つかの間の喜びを感じる。しかし、その内容はアーサーを嘲笑い、晒し者にするものだった。

翌日、ウェインのいる映画館に忍び込んだアーサーは、ウェインに直接真偽を確かめる。だが、トーマスから告げられたのはアーサーの母との肉体関係はなく、それどころかアーサーの母は逮捕され精神病院にも入れられていたという事実だった。
また、アーサーの発作は幼い頃に母に虐待され続けていたことが原因だった。

どうだろうか、少なからずアーサーに共感した部分はないだろうか。

『ジョーカー』のアーサーの中に人は自分の一部を見いだす。でなければここまでヒットした作品にはならなかっただろう。

切り捨てられた花

監督のトッド・フィリップスは『ジョーカー』についてこう言う。

「映画の始まる時点ではアーサーは有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。その花にあなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」

だが、その花を切り捨てるような言動も未だに散見される。 例えば子どもの頃に虐待やいじめを受けていて、それが原因で殺人を犯してしまったとしよう。
「虐待を受けていても、頑張って真面目に生きている人はいる」
という類いのコメントだ。それはそうなのだが、しかし誰もが強く生きられるわけではない。
このような論調は弱い人々にフォーカスするどころか、弾き出してしまう。もちろん過去がどうであろうと、それが他者を傷つけてもいいという免罪符にはならないのだが。

人それぞれにそれぞれの人生がある。強い人もいれば、弱い人もいる。そのことを無視して「テロは絶対悪」とはとても言えない。
絶対悪がないように、絶対的な善もまたないはずだ。それほど世界は単純には出来ていないだろう。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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