『ゴジラ対ヘドラ』の解説でもチラリと触れているが、2023年の春に「特撮のDNA」と題されたゴジラ展に行ってきた。
元々『ゴジラ』シリーズの大ファンだが、実際に撮影で使われた小道具や着ぐるみ、怪獣の頭部などを間近で目にできるのは正に至福の時間だった。
特撮とは
特撮という言葉にはアナログな温かみが感じられる一方で、古さも感じる言葉になった。
長らく特撮映画の代名詞だった『ゴジラ』シリーズも、2016年に公開された『シン・ゴジラ』、そして最新作となる『ゴジラ-1.0』はフルCGでゴジラが作られるようになった(正確には『ゴジラ FINAL WARS』ではCGでエメリッヒ版ゴジラが描かれている)。
特撮の歴史
特撮の歴史は古い。映画が発明されたのは1895年だが、それから10年にも満たない1903年には合成技術を用いた『大列車強盗』が上映され、人気を博した。
また、特撮のエポック・メイキングとなったのが1925年の『ロスト・ワールド』と1933年に公開された『キング・コング』だろう。
どちらもコマ撮りで撮影されており、今観るとカクカクした不自然な動きではあるものの、公開当時はこの2作が世界に与えた衝撃は極めて大きなものだった。
『ロスト・ワールド』を観た人は恐竜は本当に存在するのだと信じたほどであった。『キング・コング』は特撮の神様と呼ばれた円谷英二にまでも多大な影響を及ぼした。当時32歳だった円谷英二は『キング・コング』を観て、特撮一筋に生きることを決意したと言われる。また、円谷は研究用と称して『キング・コング』のフィルムを取り寄せ、一コマずつ分析したという。
世界が驚いた『ゴジラ』
そんな円谷英二は日本で「特撮の神」とも呼ばれているが、海外ではレイ・ハリーハウゼンが特撮技術の歴史を作った人物として有名だ。ハリーハウゼンの特撮は『ロスト・ワールド』や『キング・コング』と同じくコマ撮りではあったが、そのリアルさはジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグなど多くの映画監督に影響を与えた。
中でも1953年に公開された『原子怪獣現わる』は『ゴジラ』の大元にもなった。
『ゴジラ』の特撮技術を手掛けたのも円谷英二だ。当時の怪獣映画と言えば、人形を1コマずつ撮影していく、ストップモーション・アニメーションと呼ばれる撮影方法が主流だった。
当初、円谷も『ゴジラ』を海外の特撮映画と同じようにコマ撮りで撮影する予定だった。だが『ゴジラ』をコマ撮りで撮影していたら到底完成までには間に合わない。そこで円谷が思いついたのが着ぐるみ方式で演者が着ぐるみの中に入り、怪獣を演じるというものだった。
この画期的なアイデアによって、日本の特撮技術は世界でもトップクラスの評判をとるようになる。
幼い頃に『ゴジラ』を観たスピルバーグは「どうやってあんなに滑らかに動くのかわからなかった」とまで述べている。
しかし今の時代に怪獣映画を作ろうとしたら、怪獣はCGでの表現になるだろう。
着ぐるみの怪獣たちに目を輝かせていた子供たちは大人になってしまった。
私もその一人だ。子供の頃、一番最初にに観た特撮映画は『ゴジラvsキングギドラ』だった。土屋嘉男演じる新藤とゴジラが見つめ合い、そしてゴジラがに向かって画面いっぱいに放射火炎を放つ場面は子供ながらにトラウマものだった。
それはさておき、新宿で暴れまわるゴジラと逃げ惑う人々がまさか作り物だとはとても思えず、「ゴジラ映画はドキュメンタリーに違いない!」と幼稚園の頃はずっとそう思っていた。そうじゃなければ説明がつかない。スクリーンに映る本物の街並みの中にゴジラが確かにいるじゃないか。どう考えてもゴジラはいる。存在している。そう思った。
そして小学生になり、特撮という言葉を知ることになる。あれほどリアルな町並みがジオラマだと知ったときは本当に驚いた。
特撮技術は不要になるのか?
だが、CGでは格段にその表現力が上がってしまった。
本当に大きな生物が海面に姿を表したときの水しぶきの細かさや、燃え上がる炎の大きさ。地面は地震のように大きく揺れ、窓ガラスはひび割れ飛び散る。
やはりミニチュアでは再現できない部分もCGであれば再現できる。
ゴジラ映画においても『ゴジラvsビオランテ』までは100%ミニチュアだったが、『ゴジラvsキングギドラ』からはCGを使うことも増えてきていた。
ゴジラそのものにしても平成ゴジラではゴジラの目はCGで制作されていたと記憶している。
CGがスタンダードとなった今、特撮技術はもはや不要になってしまうのだろうか?
その答えはノーだ。CGを排して100%特撮のみ、というのは絶滅するかもしれないが、仮面ライダーやウルトラマンなど、人間型のいわゆる「特撮ヒーローもの」であれば、まだ特撮の技術は求められているだろう。
ただ、着ぐるみの怪獣に関してはもう絶滅するかもしれない。だが、それでも着ぐるみにはCGが持ち得ないものがひとつある。それは本物を目にすることができるということだ。冒頭で述べた「特撮のDNA」もそうだが、着ぐるみは映画で実際に使われた本物をこの目で細かい部分まで観ることができる。その時の興奮はとてもCGでは体験できない。