なぜ日本では実際のジャーナリズムをテーマにした映画は作られないのか?

ジャニーズの問題が連日報道されている。
50~60年の長きに亘ってジャニーズの創業者が、ジャニーズ事務所所属の男性らにセクハラや性交を強要した問題だ。これに関しては昔から囁かれていた噂でもあった。さらに言えばこの件は2003年に裁判にもなっており、創業者の男性が敗訴、つまり司法の場で有罪ということで確定してさえいるのだ。

にもかかわらず大手メディアはこれらのスキャンダルを全くと言っていいほど報じなかった。
それなのに、創業者が亡くなり、かつイギリスのBBCの特番で性加害番組が放送されてようやく日本のニュースの話題に取り上げられるようになった。マスコミがマスゴミと呼ばれて久しいが、障害に向かって立ち上がろうともしなかったのに、障害物が消えた途端に正義漢ぶって執拗に責め立てるのはあまりに見苦しい。
もちろん、報じないよりは報じた方がいい。だが、なぜこのタイミングなのか。ジャニーズに公平性を求めるのならば翻って自分達は公平であったのか、その反省も合わせてなされるべきだろう。

SHE SAID/シー・セッド その名を暴け

先日『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』という映画を観た。
2017年にハリウッドの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインが長年に渡って女優やスタッフにセクハラや性犯罪を行っていた事件が明るみになったが、『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』はニューヨーク・タイムズ誌の記者がその事件を検証し報道するまでの過程を描いた作品だ。

ワインスタインの事件とジャニーズの問題はその構造が似通っている。ワインスタインの性加害も声を上げた女性の多くは黙殺されるか、示談金という形で解決済みにされた。
また、メディア対策においてもワインスタインは手を抜かなかった。もともと映画が芸術でなく、エンターテインメント・ビジネスに変化していった時代に、再び芸術映画に注目を浴びさせたのが、ハーヴェイ・ワインスタインだった。
つまり、ワインスタインはある意味では本当に映画の救世主でもあったのだ(ただ、ワインスタインは買い取った作品に対して徹底的に編集を加えることでも知られており、また露骨に金を注ぎ込んだキャンペーンやロビー活動でアカデミー賞を勝ち取るなどの実態もある)。
ではなぜ、ワインスタインの告発記事がメディアに掲載されたのか。それは時代が変わったからだ。様々なエンターテインメントコンテンツが増え、エンターテインメントの中において映画の地位は相対的に下落した。また、女性の社会的地位が上がってきたのも一つにあるだろう。

一方で日本はどうだったのか。時代が変わってもメディアは変わらなかった。変わらずジャニーズに忖度し続け、創業者が亡くなってもそれは変わらなかった。性加害は一般人でも薄々知っていたことだ。「知らなかった」は通用しないだろう。
どちらも権力の理不尽さに屈してきた事実は変わらないが、この違いは何だろう?とつい考えてもしまう。

なぜ日本では実際のジャーナリズムをテーマにした映画は作られないのか?

前置きが長くなった。本題に入ろう。先に述べた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』の他にもこのサイトで紹介しているだけでも『大統領の陰謀』、『フロスト×ニクソン』、『ニュースの真相』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、『グッドナイト&グッドラック』、『フロントランナー』など、ハリウッドには実際に権力と戦ってきたジャーナリストの実話を元にした映画が多い。

比べて、日本にはそんな作品がほとんどない。
ハリウッド映画の中のジャーナリストはたとえそれが負け戦であっても、真実を求める英雄として描かれており、実際に彼らの記事や発言は世間を動かし、時に歴史すら変えてしまう力を持つこともある。
一方で、なぜ日本では実際のジャーナリズムをテーマにした映画は作られないのか?
個人的には2つの理由があると考えている。

一つは日本の映画製作に原因があると思う。製作委員会方式だ。製作委員会という名前は目にしたことがあるだろう。邦画のエンドロールをよく見てもらえれば、多くの映画に「◯◯製作委員会」とクレジットされているのではないだろうか?
実際に2016年に公開された邦画の興行収入トップ10は『シン・ゴジラ』を除いてすべて製作委員会方式で作られたという。

製作委員会方式

製作委員会方式とは、複数の会社が制作費を出資して作品を製作する方式だ。
アニメや映画は莫大な制作費がかかり、単独の会社が出資する場合は当たれば利益は大きいものの、ヒットしなければ万が一の場合は倒産するリスクも負うことになる。製作委員会方式はそうしたリスクに備えるための仕組みでもある。
ただ、製作委員会方式のデメリットとしてはその作品の権利が様々な所に分散し、権利管理が複雑になるという事と、作品の出来として尖ったものは作りにくいということがある。複数の会社が出資するということで、作品の内容も無難なものに落ち着くケースが多いのだ(最近ではそれを嫌って、あえて単独で製作する場合も増えている)。
特に後者は映画をビジネスとして考えた場合には重要なポイントだ。言い換えれば、観客数が見込めない作品はそもそも製作されづらい状況が強まっているということでもある。
では実際の政治やジャーナリズムを元にした映画は果たして観客の関心を集められるだろうか?

例えばここで政治をテーマにした映画を考えてみる。前に挙げた作品の中でも『大統領の陰謀』、『ニュースの真相』、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』、『グッドナイト&グッドラック』、『フロントランナー』…これらは政治家とジャーナリストの攻防を描いた作品であり、ジャーナリズムと政治は切り離せないと思うからだ。

日本とアメリカの政治への関心・意欲の違い

内閣府が2014年2014年6月に発表した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」で国別の若年層の政治への関心について、日本とアメリカを比較したデータがある。
この中で、今の自国の政治にどの程度関心があるかについてはアメリカが約60%が「非常に関心がある」「どちらかと言えば関心がある」と回答したのに対し、日本は約50%の割合だ。特に「非常に関心がある」  だけで見るとアメリカが22%に対し、日本はその半分以下の9.5%に留まる。また「私の政治参加によって変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」との問いに「そう思う」と答えた割合はアメリカが52.9%に対し、日本はずっと少ない30.2%という結果だ。
こうしてみると、日本の若者の政治への無力感が感じられる。このような中で、政治やジャーナリズムをテーマにした作品は日本の中では集客が見込めないジャンルということになってしまい、そもそも製作されづらいということもあるだろう。

ただ、例外もある。2019年に公開された『新聞記者』という映画だ。『新聞記者』は中日新聞の社会部の記者である望月衣塑子氏の同名の著作を原作にして、当時の安倍政権の「加計学園問題」をモチーフに製作されており、日本アカデミー賞も受賞している(「日本アカデミー賞」にどれほどの権威があるのかは不明だが)。それでも興行収入はヒットの目安となる10億円には届かず6億円となっている。
だが同時に『新聞記者』では、例え多くの観客が映画館へ入ったとしても、出演者の問題で製作が難しい現実も露呈させている。俳優側にとって『新聞記者』への出演は「反政府」の人間であると見なされてしまうリスクもあった。そのようなリスクのある作品ということでヒロイン役が日本では見つからず、韓国の女優であるシム・ウンギョンがヒロインの吉岡エリカを演じることになった。俳優達も当たり前に支持政党をオープンにしているハリウッドとは対称的だ。

メディアの体質

もう一つはメディアの体質も挙げておきたい。
ここではまず日本とアメリカの国民のメディアへの信頼度と、それぞれのメディアのスタンスの違い、そして日本の大手メディアの特長を紹介していこう。
最初はマスコミへの信頼度からだ。イギリスのロイターが2022年に行った調査では、国民のニュースへの信頼度として、日本が44%、アメリカが21%となった。世界的な傾向としてメディアへの信頼性は低下しているが、アメリカと日本のこの差はなぜだろうか。

一つの推測だが、そもそも日本とアメリカでは情報の送り手であるメディアのスタンスの違いがあるのではないか。
『プレジデント・オンライン』の岡田豊氏のコラムによると、例えば選挙期間中であればアメリカのメディアはメディア毎に支持者をはっきりと主張する傾向があるという。だが、それがえこ贔屓というわけではなく、支持者であっても疑惑があればその情報もしっかり報道する。全体に中立性や公正さを保とうとする日本のメディアとは違い、様々な情報を選別し有権者は信頼に足る候補者を選んでいくわけだ。
そうなると、ニュースを信頼しないという言葉の意味合いも変わってくる。「鵜呑みにしない」と言ったほうが近いかもしれない。
つまり、アメリカではメディアと国民の間に強い緊張感があるとも言えるのではないか。もちろんジャーナリスト側にはスクープによって名を上げたい、売上部数を伸ばしたいという功名心もあるだろう。
だからこそ、一つのミスでも命取りになる。その代表的な例が『ニュースの真相』で描かれたことではないかと思う。あまりにも反ブッシュの立場での情報に固執し続けたため、情報の検証をおろそかにしてしまった。そのこと「今世紀最大のメディア不祥事と言われる誤報事件につながってしまう。

ただ、マスコミ、メディアは反権力である必要はないが、権力を見張る役割は負っていてほしいと思う。そのためには揺るぎない倫理や正義が求められる職業でもある。
そして倫理や正義と関連して取り上げておきたいのが日本における記者クラブの存在だ。これが日本の大手メディアの体質の一端を表しているように見えるからだ。

記者クラブ

記者クラブとは公的機関や業界団体などの特定の団体の継続取材を目的として大手メディアで構成される組織だ。
記者クラブはというメリットはあるものの、事実上大手メディアに会員が限定されている上に、取材対象の単なるスポークスマンになってしまうという問題や、または本来メディアとして監視しなければならない取材対象と癒着関係が生まれるというような問題点も多く指摘されている。
また、大手メディアはその中でスクープを奪い合うのではなく、各人が持ち合わせた情報を共有し合い、他社と報道の足並みを揃えるなど、ジャーナリストではなく、ただお互いの利益を守り合う組織に成り下がってしまっているとも指摘されている。
アメリカのメディアであれば、ホワイトハウスからの発表であっても、その情報には必ず裏付けを行うが、記者クラブでは伝えられた情報をそのまま発表していると言われている。

現実の権力を批判するような映画は作れるか?

SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』はハーヴェイ・ワインスタインの性加害を告発したニューヨーク・タイムズ誌の記者を主人公にした映画だが、ニューヨーク・タイムズ誌は日本の記者クラブについて次のように述べている。
「記者クラブは官僚機構と一体となり、その意向を無批判に伝え、国民をコントロールする役割を担ってきた。記者クラブと権力との馴れ合いが生まれており、その最大の被害者は日本の民主主義と日本国民である」

このような構造の中で、果たして現実の権力を批判するような映画が作れるだろうか?

ちなみに、現在批判の中心にあるジャニーズ事務所だが、今日(2023年9月10日)までジャニーズに忖度してきたメディア自身の構造の在り方を明らかにし、検証したメディアはない。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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