『グッドナイト&グッドラック』メディアのあるべき姿は何か

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


映画評論家の淀川長治氏の映画解説の最後はいつも「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」だった。
当初はサヨナラの回数を決めずに言っていたが、子供たちの間で「サヨナラが何回言われるか」という賭けの対象になっていたことを知ると、それ以降は3回に回数を固定していたそうだ。

グッドナイト&グッドラック

淀川長治氏は1909年生まれだが、その一年先にアメリカのノースカロライナ州ギルフォードで生まれたのがエドワード・R・マローだ。マローはCBSの人気キャスターであり、こちらは「グッドラック、アンド・グッドナイト(おやすみなさい、そして幸運を)」が締めの定番の挨拶だった。マローがこの挨拶を使い出したのは第二次世界大戦中、イギリスへの空襲をリポートした時だという。

今回紹介するのはその挨拶をタイトルにした『グッドナイト&グッドラック』だ。『グッドナイト&グッドラック』は2005年に公開された作品で、監督はジョージ・クルーニー、主演はデヴィッド・ストラザーンが務めている。クルーニーは監督以外にも脚本、出演という一人三役をこなしているが、それぞれで報酬はわずかに1ドルだという。そこまでしてジョージ・クルーニーがこの映画に情熱を傾けた理由は何だったのだろうか。
『グッドナイト&グッドラック』は赤狩りについての映画だ。赤狩りとは共産党員や共産主義者、もしくはその支持者を公職などから追放することだ。それを中心になって推し進めたのが共和党の上院議員であったジョゼフ・マッカーシー。

ポピュリズムの暴走

大衆の人気によって生まれたポピュリズムが権力と極端に激化し暴走するのは昔から変わらない。赤狩りの時代とほぼ同時期の1949年に公開された『オール・ザ・キングスメン』でもポヒュリズムの暴走が描かれている。『オール・ザ・キングスメン』は純朴で正義感あふれる教師  、ウィリー・スタークが主人公だ。彼は市民のためにという思いから州知事選挙に立候補するのだが、数度の落選ののちに大衆の支持を受けて知事に当選すると、権力に取りつかれ反反対派を買収や脅迫していくなど、反対派を一掃し独裁的な政治を強めていった。スタークは実在した政治家であるヒューイ・ロングをモデルにしている。ヒューイ・ロングは1893年にルイジアナで生まれた。『オール・ザ・キングスメン』で一度選挙に落選したスタークは弁護士となって働くのだが、ロングも元々は弁護士として働いていた。
弁護士として貧しい人々のために活動していたロングは「自らも民衆の一人」というスタンスで人々の支持を集めた。これもスタークと同じだ。ロングも理想に燃えて政治家を志した。
「誰もが王様(Every Man a King)」をスローガンに、大企業から貧しい人へ富の再分配を目指したが、知事になると買収や脅迫などを繰り返し、権力を一手に集めた。

1950年代になると赤狩りは一般市民からの支持を失いかけていたが、自分自身が標的にされることを恐れて誰も表立って赤狩りを推し進めていくマッカーシーを批判できない状態にあった。そんな中で最初に表立ってマッカーシーを批判したのがCBSの人気キャスターであったエドワード・R・マローだ。
今作では赤狩りを終わらせるきっかけとなったマローとマッカーシーの戦いを描いている。

マイロ・ラドゥロヴィッチへの嫌疑

そのきっかけは1954年に起きたマイロ・ラドゥロヴィッチの事件だ。ミシガン州の空軍予備役のマイロ・ラドゥロヴィッチは「父と姉が共産主義者である」との密告によって空軍を解雇されてしまう。
確たる証拠もなく、真偽のわからないたった一つの封筒で解雇されてしまう。これはもはや人権侵害に当たるのではないか?
「告発の是非は判断できません。なぜなら我々も視聴者も当事者も誰一人として封筒の中身を知らないのですから。
それが悪意のある噂なのか、裏付けのある事実なのかわかりません。」
マロ―はそう言いながらも
「父親の罪を子に負わせてはなりません。しかも今回の罪は立証されていないのです。(中略)国家の安全と同時に個人の権利も守られるべきです。
国家と個人の関係を築くのは他ならぬ私たち国民です。ソ連や中国や連合国のせいにはできない」とコメントし、「グッドナイトそしてグッドラック」で番組を締める。

同じく赤狩りをテーマにした『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』はハリウッドにおける赤狩りに抵抗した脚本家、ダルトン・トランボを主人公にした映画だが、その中でトランボはアメリカ合衆国憲法修正一条を盾に自身が共産主義者であるかどうかの証言を拒否している。合衆国憲法修正一条には、議会は言論の自由を制限する法律を作ってはならないという原則が示されている。本来、思想の自由は合衆国憲法で保障されているものにもかかわず、マッカーシーの反共活動は少しでも共産主義と関わりのあったり、自身に批判的なものを共産主義者であると決めつけ、排斥するなど極端なものへと変わっていく(これにはマッカーシーのアルコール依存症が関係していると疑う声もある)。
赤狩りの時代、少しでも共産主義と関わった者は職を追放される。『グッドナイト&グッドラック』の劇中にはこのようなセリフもある。「すでに離婚しているが、私の前妻の母親が昔共和党が主催した集会に出席したことがあるから私はブラックリストに載せられるかもしれない。」

メディアの役割

だが、皆を報復を恐れて、表立ってマッカーシーを批判するメディアはいなかった。ジョージ・クルーニーが『グッドナイト、グッドラック』を制作した動機もそこにあった。権力に対してメディアはどう在るべきかを問いかけ、反省を促すために『グッドナイト&グッドラック』は作られた。

そのきっかけは2003年に開戦したイラク戦争だ。イラク戦争はその開戦当初から「戦争の正当性」について大きく疑問が呈されていた。
「大量破壊兵器がある」「サダム・フセインの独裁政治を終わらせる」それが本来の開戦理由だったが、国連はしかし、ブッシュ政権は国連を無視し、イラク戦争へ突入する。
2008年に公開されたオリバー・ストーン監督の『ブッシュ』では、イラク戦争の真の目的はイラクに眠る石油だとされている。『ブッシュ』では、食事中にチェイニーがイラク戦争を開始するようブッシュに持ちかける。「湾岸戦争で止めを指さなかったから、今アメリカがテロリストに狙われるようになっている」
1991年、湾岸戦争の勝利の最中、当時だったチェイニーはなぜバグダッドまで侵攻しないのかと父ブッシュに質問する。父ブッシュはこう答える。「無駄にアメリカの死者を増やす必要はない。」「バグダッドまで侵攻すればかえってサダム・フセインを英雄にしてしまう恐れがある。」
父ブッシュにとっての湾岸戦争はそこで終わった。

しかし、チェイニーはそうではなかった。彼はイラクに眠る石油がどうしても必要だった。アメリカが世界を支配するにはイラクやイランにある天然資源を確保することが不可欠だった。そのためにはイラク戦争が必要であり、その正当性を保つためにイラクに大量破壊兵器があるという建前は絶対だった。
開戦の正当性に疑問を持ったフランスやロシア、ドイツ、中国、ベトナムなどはイラク戦争に強硬に反対した。イギリスでも当時の首相であるトニー・ブレアは戦争に賛成だったが、その姿勢を不服として閣僚が相次いで辞任を表明した。だが、アメリカのメディアは政府に追従するばかりであったという。
メディアのあるべき姿は何なのか。その大きな影響力ゆえに果たすべき役割は何だろうか。ジョージ・クルーニーは今一度それを問いかけるために『グッドナイト&グッドラック』を作った。

『グッドナイト&グッドラック』では鋭い目線をカメラに向けるマーロウの姿が印象的だ。もちろん、キャスターなのでカメラ目線は当然なのだが、その視線は視聴者というよりも、映画を観ている私たちに向けられているようにも感じる。

過ちは星のせいじゃない

共産主義との戦いを盾にして正当な根拠なく人々を追い詰めていくマッカーシーの横暴さに対してマーロウはこう言う。
「これはマッカーシー議員一人の責任でしょうか?彼は恐怖を生んだのではなく利用しているに過ぎない。カシアスの言う通り、悪いのは運命の星ではなく我々自身なのです。
グッドナイトそしてグッドラック。」
この言葉はシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』からの引用だ。『ジュリアス・シーザー』の中に「過ちは星のせいじゃない、我々の責任だ」というセリフがある。
シーザーが台頭した時代はローマの内乱の時でもあり、不安定な国家の中で独裁も辞さない強いリーダーシップが求められたのも事実だ。元老院から独裁官に任命されたシーザーはローマを共和制から君主制に変えていき、独裁体制を強化してゆく。シーザーの独裁的政治を止めるには彼を暗殺せねば。そう考えたカシアスは「過ちは星のせいじゃない、我々の責任だ」と言ってブルータスにシーザーの暗殺を持ち掛ける。ここでいう星とは運命のことだ。シーザーの独裁を招いたのは運命ではない。他ならぬ自分達の行動が生んだ責任だ。
赤狩りは現代版の魔女狩りとも呼ばれた。隣人への疑いと差別の感情は現代でも悲劇を生んでいる。例え魔女狩りそのものはもう起きないとしても。

エドワード・R・マローの批判をきっかけに多くのメディアもマッカーシー批判を繰り広げることになる。
対するマッカーシーも赤狩りの動きを空軍のみならず、陸軍に対しても見せるようになった。 次第にマッカーシーの主張は攻撃的かつ侮辱的なものになり、また告発内容の信憑性にも疑いを持たざるを得ないものになっていく。
「君、ちょっと話を止めて良いかね?……もう沢山だ。君には品位というものが無いのかね?」
『グッドナイト&グッドラック』では陸軍の弁護士であったジョセフ・ウェルチにこう叱責されている。
そのようなマッカーシーの言動は上院の中にも反感を広げ、その結果、上院はマッカーシーに対して65対22で「上院に不名誉と不評判をもたらすよう行動した」として事実上の不信任を突きつける。ここにマッカーシーがもたらした赤狩りは終焉を迎えることになる。
個人的にはハリウッドをはじめとする映画人から始まり、テレビが止めを刺したのが興味深い。人々の娯楽の中心も50年代になるとテレビになった。

エンディングでマローはこうスピーチする。
「“歴史は自分の手で築くもの”と言いましたが、今のままでは歴史から手痛い報復を受けることでしょう。
思想や情報はもっと重視されるべきです。
いつの日か日曜の夜のエド・サリヴァンの時間帯に教育問題が語られることを夢見ましょう
スティーヴ・アレンの番組の代わりに中東政策の徹底討論が行われることを。
その結果スポンサーのイメージが損なわれるか?はたまた株主から苦情が来るか?そうではなく、この国と放送業界の未来を決める問題について数百万人が学ぶのです。
“そんな番組は誰も見ない” 皆現状に満足だ”と言われたらこう答えます。
私の個人的な意見だが、確証はあるのだと。
だがもし彼らが正しくても失うものはありません。」

スピーチの最後は次の言葉で締めくくられる。
「もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら元々何の価値もないということですから。
テレビは人を教育し、啓発し、心さえ動かします。
だがそれは使う人の自覚次第です。
グッドナイトそしてグッドラック。」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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