『エイリアン3』がエイズ問題を描いたというのは本当か?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


セブン』や『ゴーン・ガール』などで知られる映画監督のデヴィッド・フィンチャー。彼の長編映画デビュー作が『エイリアン3』だ。
だが、『エイリアン3』は公開当時批評家からは酷評され、観客からの評価も芳しいものではなかった。フィンチャーは「新たに映画を撮るくらいなら、大腸癌で死んだ方がマシだ」との言葉も残している。

『エイリアン3』

『エイリアン3』の製作がトラブル続きだったことは有名だ。
脚本は何度も書き換えられ、フィンチャーが撮影に入ってもなお脚本は完成していなかった。おまけに主人公のエレン・リプリー役のシガーニー・ウィーバーやスタジオとの対立もあった(シガーニー・ウィーバーは「監督こそエイリアン!」と言い切るほどだったという)。
フィンチャーは「『エイリアン3』は私の監督作ではない」とまで言っている。今でもインタビューでは『エイリアン3』が話題に出るのを嫌っているという。

『エイリアン3』酷評の理由

酷評の理由はわかる。前作『エイリアン2』で生存を果たしたリプリー以外のメンバーがオープニングで全員亡くなってしまうからだ。特に『エイリアン2』でリプリーが命を懸けて守り抜いた少女ニュートの死は『エイリアン2』を台無しにしてしまったと言われても否定できないだろう。
『エイリアン2』は実の娘を失ったリプリーが、エイリアンから唯一生き残った孤児のリプリーと擬似的な親子関係を築いていく物語だ(『エイリアン2』の完全版にはリプリーに娘が老衰で亡くなったと告げられる場面がある)。
リプリーにとって『エイリアン2』は失った娘をもう一度取り戻す物語でもあるのだ。(『エイリアン2』の監督はジェームズ・キャメロンだが、キャメロン自身も『ターミネーターニューフェイト』の冒頭でジョン・コナーを殺すという愚かな決断をしているわけだが)。

原点回帰したエイリアン

個人的には『エイリアン3』は単体で観ると決して悪い映画ではないと思う。
評価として一作目の『エイリアン』に原点回帰したというのはよく言われるが、やはり武器も何もない中で一匹のエイリアン相手にどう立ち向かっていくのかという部分と、一人一人殺されていく恐怖はダークで無機質な作品の雰囲気とも絶妙にマッチしていた。フィンチャーの監督作はどの作品も言い様のないダークさが漂っている(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』だけは違うかもしれないが)。実話を基にした『ゾディアック』、ベストセラー小説をハリウッドでリメイクした『ドラゴン・タトゥーの女』など、あらゆる作品にその独特の暗さがある。フィンチャーの画作りはコントラストが強めの影を意識したものが多いが、暗く薄汚れた囚人収用施設の設定もフィンチャーには合っていたのではないだろうか。
フィンチャーが自分の監督作ではないと言い切っていても、随所にフィンチャーらしさを感じるのも確かなのだ。

エイリアンを身に宿したリプリーは、自らの残された時間の中で、死が迫る中、エイリアンを倒す。そして全てが終わったことを確信し、溶鉱炉の中にその身を投げ入れる。決してハッピーエンドとは言えないが、これはこれで区切りの良いエンディングだったと思う。

『エイリアン3』に隠されたもの

そして、『エイリアン3』に関して日本の考察ではなぜか語られないポイントがある。
それは『エイリアン3』がエイズのメタファーであるという点だ。もちろん、これは断定できるものではなく、様々な考察の一つに過ぎないが、当時の時代背景を考えると簡単に一笑に付すことはできない。

エイズについて、1981年に大統領に就任したロナルド・レーガンは有効な対策をとらなかった。『フィラデルフィア』の解説でも書いているが、今では考えられないことだが、当時エイズは「同性愛者への天罰」だという意見があった。この考えを主張していたのがキリスト教福音派の牧師として政治的に絶大な影響力を持っていたジェリー・ファルエルだった。ジェリー・ファルエルは1979年にロビー活動団体「モラル・マジョリティ」を設立し、1980年の大統領選挙では保守主義者であるロナルド・レーガンを強力に後押しした。ロナルド・レーガンもファルエルと同じ考えだったのかは不明だが、大統領となったレーガンはエイズに対して有効な政策を打つことがなく、ワクチンすら認可しなかった。
強いアメリカを目指したレーガンだったがらその中には失政と思われるものもある。『最後の誘惑』ではレーガンとともに、台頭してきたキリスト教福音派だが、映画だけでなく、現実の政治の中にもキリスト教福音派の影響は根強かった。

レーガン政権で顕在化したのがエイズの問題だ。
ジョナサン・デミが1992年に発表した『フィラデルフィア』はエイズが死に至る恐ろしい病として、エイズ患者が人々の差別や偏見の的になっていた時代を描いている(もちろん今でも差別や偏見が無くなったわけではない)。今では考えられないことだが、当時エイズは「同性愛者への天罰」だという意見があった。この考えを主張していたのが前述のジェリー・ファルエルだった。
ロナルド・レーガンもファルエルと同じ考えだったのかは不明だが、大統領となったレーガンはエイズに対して有効な政策を打つことがなく、ワクチンすら認可しなかった。
その結果、エイズ患者は急増した。レーガンがエイズ対策を国家の優先事項として認めたのは友人でもあるロック・ハドソンがエイズで亡くなったことがきっかけだった。

それと呼応するように『フィラデルフィア』、『マイ・フレンド・フォーエバー 』などエイズをテーマにした映画が多く作られるようになる。1994年に公開された『フォレスト・ガンプ/一期一会』も劇中で明言こそされないが、ジェニーの死因はエイズである。
『エイリアン3』にもその要素は感じられる。男性だけの閉ざされた空間で突如蔓延するエイリアンへの恐怖。エイリアンはもちろんエイズを表している。

エイズは最初、アフリカのチンパンジーから人間へ感染したと考えられている。
『エイリアン3』のエイリアンも動物から誕生して人間を襲うという意味ではエイズと同じである(ちなみに劇場公開版は犬、完全版では牛からエイリアンは誕生する)。
また、男だけで暮らしていた所にリプリーが加わるが、リプリーと同時にエイリアンの脅威もコロニー内に広がっていく。これは性行為と感染の暗喩と考えることもできるだろう。

もちろん『エイリアン3』がエイズのメタファーというのには疑問もある。あれほど二転三転したシナリオのどこに一貫した暗喩を忍ばせる余裕があったのか?
例えば最初の脚本ではリプリーすら登場することはなく、その後も舞台は農場になったり、木製のコロニーになったりと目まぐるしく変わっていった。もちろん、前述のように撮影が始まっても脚本は完成していなかった。
そのような環境の中で、何かしらのメタファーを取り入れるような余裕はあったのだろうか?

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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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