『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』なぜゴジラは日本を襲うのか?

シン・ゴジラ』について、各界の著名人が語る『「シン・ゴジラ」、私はこう読む』という本がある。
その中で加藤典洋氏は1954年に公開された『ゴジラ』の初代ゴジラは、太平洋戦争で亡くなった日本兵を意味しているのではないかという説を唱えていた。
一般的には初代ゴジラが意味しているものは戦争であり、原爆だ。
以前何かで初代ゴジラの初期デザイン案を見たことがある。ゴジラのファンには有名だが、初期デザインにおいてゴジラの顔はキノコ雲をモチーフにしていた。実際にそのデザインを見てみたら、まさにその通りだった。ゴジラが原爆や戦争の象徴であるのは疑いようがない。『ゴジラ』の監督を務めた本多猪四郎もゴジラの根本にあるのは「自らの戦争体験」と述べている。本多猪四郎は戦時中、三度徴兵され、合わせて8年間を軍で務めた。中国から日本へ帰るときに見た、原爆によって何もかもが無くなった焼け野原の広島の風景が『ゴジラ』の出発点でもあった。
だが、ゴジラが太平洋戦争で亡くなった日本兵の象徴というのは間違いとは言い切れない。今回紹介する『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』においてはゴジラは太平洋戦争で犠牲になった英霊の怨念の集合体という設定だからだ。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は2001年に公開されたゴジラ映画だ。
監督を平成『ガメラ』シリーズで有名な金子修介、主演を新山千春が務めている。他にも宇崎竜童や大和田獏などが助演を務めている。
今改めて観ると、役名もつかないようなほんのチョイ役でも有名な俳優が出ていて驚く。村松利史、笹野貴史、山寺宏一、塚本高史、篠原ともえ、温水洋一、近藤芳正らがそうだ。
また、『ゴジラ』シリーズ関連で言うと、熱心なゴジラファンとして知られる佐野史郎が新山千春演じる立花由里の上司役で出演している。新山千春の役どころはオカルト番組のリポーターだが、それを意識してか佐野史郎はオタク評論家の宅八郎そっくりの外見となっており、クスリと笑わせてくれる。他にも、平成ゴジラシリーズで特技監督を務めた川北紘一氏が防衛軍の将校役として出演している。

怖いゴジラ

このサイトでも度々言及しているが、個人的には『ゴジラvsデストロイア』以降はしばらくゴジラ映画から遠ざかっていた。
『ゴジラ2000』から始まるミレニアムシリーズは今もなおほとんど観ていない。
だが、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』だけは別だ。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は中学校3年生の時に地元で無料上映をやっていて観に行った記憶がある。
観に行った理由はこの頃好きだった新山千春が主演だったから田舎で娯楽も金も少ない中学生だから、というのもあるが、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラが白目を剥いた「怖いゴジラ」だったからだ。
ゴジラはそのシリーズを通して、ほとんどが人類の味方であり、子供たちのヒーローとして描かれてきた。
だが、前に述べたように、一番最初の『ゴジラ』は怖いゴジラだった。その恐怖が表していたものは戦争であり、原爆であり、『ゴジラ』は怪獣映画、特撮映画であると同時に強烈な反戦映画、反核映画でもあった。
もちろん、人間の味方として描かれることでその後多くのファミリー層や子どもたちを惹き付けるのには成功しただろう。
だが、時代の流れに耐えて残っていくのは、ただ娯楽性だけの作品ではないと思う。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』に話を戻そう。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』もまたこの1954年の『ゴジラ』への意識は強い。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の設定自体が『ゴジラ』以外の作品をなかったことにして、「ゴジラは1954年に一度だけ日本を襲った怪獣」だということになっている。
戦後間もない日本を再び恐怖に陥れたゴジラが、半世紀経ったとしても正義の味方であるはずはない。

白目の意味

ゴジラの白目はこちらのゴジラへの感情移入をシャットアウトする役割も持っている。『エイリアン』シリーズのゼノモーフを見ればわかるが、ゼノモーフは眼球を持たない。なので感情が掴めず、純粋なモンスターとして映画に存在している。
だが、『エイリアン4』では眼球をもつゼノモーフである、ニューボーン・エイリアンが登場する。悲しみや疑問、怒りなどの様々な感情がその表情から読み取れる。目があるだけでこうも違うのかと感じる。
余談だが、このニューボーン・エイリアンは残酷な最期を迎えることでも有名だ。Googleで「ニューボーン」と検索すると「かわいそう」というサジェストキーワードが表示される。多くの人がニューボーン・エイリアンに感情移入している。それはニューボーン・エイリアンに目があったことと無関係ではないだろう。

純日本の怪獣たち

今回は国を守る怪獣としてモスラ、バラゴン、キングギドラが登場する。当初はバラゴンとアンギラス、バランモスラはシリーズを通して善のイメージが強いが、バラゴンは『フランケンシュタイン対地底怪獣』で最初に登場した際は悪役であり、キングギドラもそうだった。1991年に公開された『ゴジラvsキングギドラ』でようやく人間側の怪獣として登場することになった。
やはり20年以上前の特撮映画なので、演出の大袈裟さ(恐怖の演技がほぼワンパターンでみなコントにしか見えないのだ。病室でゴジラに気づく篠原ともえは良かったが)、CG、特撮の陳腐さは正直ないとは言えないものの、純日本風に立ち返ったようなずんぐりした堂々たる体型のゴジラとキングギドラには、それまでの海外の恐竜映画やSF映画の流行を取り入れてきたゴジラ映画とは一線を画すものがある。

最も残酷で凶暴なゴジラ

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラはファンの間では数多いゴジラ映画の中でも最も残酷で凶暴なゴジラだと言われている。明確な人間への殺意があるからだ。そんなゴジラは今まで存在しなかった。敵の宇宙人に操られて日本を襲ったりしたことはあるものの、人を殺すまでの目的には至っていない。
例えば、ゴジラ被害によって負傷した篠原ともえの病院にゴジラは近づく。再び襲われるかと思うその時、そのまま通り過ぎて安堵した所に尻尾で病院を破壊する。近藤芳正演じる観光客もそうだ。バラゴンとのツーショットを撮ろうとするその背後にはゴジラが迫ってきており、ゴジラによる山崩れに巻き込まれるように亡くなる。
今作ではゴジラによって傷を負った傷病者が描き込まれているのも見逃せない。病院が傷を負った人や家族を亡くした人々で溢れかえる、これは1954年版の『ゴジラ』にも描かれたシーンだ。また、ゴジラの体内に入った立花が帰還後、娘の由里に残留放射能の値が不明のため、一定の距離をとろうとするシーンがある。このようにゴジラが放射能を撒き散らす生物であることを強調しているのもそうだ。オリジナルへの敬意を感じるとももに作品の持つ本質やメッセージは基本的に変わっていないことも示唆している。

なぜゴジラは日本を襲うのか?

今作のゴジラは太平洋戦争で犠牲になった英霊たちの怨念の集合体が怪獣の姿になったものだ。

なぜ、あの戦争の犠牲者が祖国である日本を襲うのか?劇中では太平洋戦争の犠牲者には日本のアジア侵攻によって犠牲となったアジアの人々や、連合軍、また原爆の被害者などの一般人も含まれるからという説明がされていたが、それならば日本人の犠牲者は何処に行ったのか?という話になる。 もちろん、太平洋戦争での犠牲には日本軍の判断ミスによる負けもある。日本兵の中にも日本国を恨みながら死んでいった者もいるとは思うが、それにしても犠牲者の怨念が向かう先が日本だという説明にはまだ足りない。
個人的には、怨念が向かう先は「戦争を忘れかけた今の日本」ではないかと思う。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』が公開されたのは2001年の12月。その年の9月には世界同時多発テロが起きるが、本作の企画はそのずっと前にあっただろう。
冷戦が終わり、それからの10年間は日本も戦争やテロの脅威から最も遠かった時期ではなかったか。

1968年に公開された岡本喜八監督の『肉弾』という作品がある。
終戦の時期の一人の特攻隊員を喜劇調に描いた作品だが、このラストシーンが衝撃的だ。
ドラム缶の中に入って敵の母艦に魚雷を打ち込む任務を負った主人公だが、気づいたときには戦争は終わっていた。やるせない憤りを主人公はドラム缶の中で叫ぶ。ここで、場面は変わって現在(1968年同時)の東京湾をカメラは映す。マリンスポーツに興じる若者たちに混じって、海の中に一つのドラム缶が浮かんでいる。その中には干からびて白骨になった主人公が未だに怒りの声を上げているという幕切れだ。

『肉弾』は単純な反戦映画ではなく、戦争を省みることもなくなった現代人への牽制の意味もあっただろう。
『肉弾』の解説で武内浩三の『骨のうたう』という詩を紹介しているが、あの詩のように戦争でひょんと死んでしまった名もなき人々の犠牲の上に今の私たちが存在しているのだ。それは1968年でも2001年でも今でも変わらない。

そして、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』のゴジラはそうした名もなき犠牲者の集合体ではないかと思いもするのだ。 世界は9.11を境に再びサウジアラビアやイラクとの戦争を経験し、「テロとの戦い」は当たり前のものになった。その前の最後の平和の時期が『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』に重なっている気がするのだ。となればゴジラが日本に向かい現代人へ殺意を向けるのも理解できる。私たちがひょんと死んだ戦争の犠牲者のことを忘れているのならば、ゴジラは白目を剥いて襲いかかってくるはずだ。
監督の金子修介は『平和な日常の中で賢明に生きる若い世代が、いきなり戦争の影に脅かされる恐怖を意図した』とのべている。

原点回帰したとも言われる『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』は2000年代のゴジラ映画でトップの興行収入となった。
今後日本が戦争に巻き込まれるかは分からないが、その可能性は2001年当時より格段に上がっているのは確実だ。安易な反戦や非戦、もしくは勝ち馬に乗るような参戦でもなく、もう一度「今」の日本の下にある犠牲を悼む気持ちも必要ではないか。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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