『ジョン・レノン, ニューヨーク』ジョン・レノン生涯最後の10年の真実

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


FBIが要注意人物としてジョン・レノンのファイルを作成していたというのはビートルズ・ファンには有名な話だろう。
ジョン・レノンには音楽家としての顔と、平和運動家としての顔があった。『イマジン』『平和を我等に』『マインド・ゲーム』『ハッピー・クリスマス』『ワーキングクラス・ヒーロー』など、ジョンのソロの作品にはメッセージ性の強い曲も多い。

ジョン・レノン 生涯最後の10年

ロンドンで心無いゴシップに悩まされていたジョンとオノ・ヨーコは1971年9月にアメリカのニューヨークへ渡る。特にオノ・ヨーコには「ビートルズを解散させた女」として多くの非難が寄せられていた。
2010年に公開された『ジョン・レノン, ニューヨーク』はニューヨークでのジョン・レノンの活動に焦点を当てたドキュメンタリー映画だ。言わば、ジョン・レノンの生涯最後の10年を切り取った作品とも言える。

前半ではジョン・レノンがいかに体制と戦い、時代のヒーローになったのかが当時の関係者のインタビューも交え、克明に映し出される。
1994年のロバート・ゼメキス監督の映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』では戦後のアメリカを舞台に歴史上の人物と主人公であるフォレスト・ガンプのCGによる合成での共演が話題になったが、ケネディやニクソンなどの歴代大統領に混じってジョン・レノンも登場する。
『フォレスト・ガンプ/一期一会』の公開が1994年なので、ジョン・レノンは死後わずか14年で既にアメリカの歴史の一部になったのだろう。ちなみにロバート・ゼメキス監督のデビュー作はビートルマニアの女性たちを描いた『抱きめたい』という映画だ。もちろんタイトルはビートルズの楽曲『抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)』にちなむ。

確かに『ジョン・レノン, ニューヨーク』を観るとジョンが時代のヒーローになったのも納得できる。あまりに大きいその影響力は確かに歴史に刻まれるほどのインパクトを持っている。
ジョン・レノンの関わった運動と言えばベトナム戦争への反戦運動が有名だが、他にもアッティカ刑務所の暴動であったり、ジョン・シンクレアの釈放などジョン・レノンの平和運動は多岐にわたる。

ジョン・シンクレアはホワイト・パンサー党の党首だった人物で反戦活動家でもあった。ホワイトパンサー党はブラックパンサー党を支援する白人のための党として結成された。公民権運動の他にもベトナム戦争反対やマリファナの合法化を目指していた。シンクレアはマリファナで逮捕されていたが、マリファナの所持だけで懲役10年という不当な刑を課せられていた。なぜか。シンクレアが反戦活動など反体制的な活動を行っていたからである。ジョン・レノンはシンクレアの釈放のためのコンサートを開催したが、そのわずか2日後にシンクレアは釈放されている。ここからもジョン・レノンの影響力の強さがわかるだろう。

しかし、ジョン・シンクレア同様に政府は反戦活動家などの人物を逮捕し、不当に重い刑罰を課せらるようになっていた。ジョン・レノンに対してもそうだ。ニクソン政権はジョンの大麻での逮捕歴を理由に国外退去を命令しており、それを不服とするジョンとの間で裁判が起こされた。『ジョン・レノン、ニューヨーク』ではポール・マッカートニーやキース・リチャーズなど、ジョンと同じことをしながらも自由に国内外を行き来できる彼らとの違いは何かとジョンが不満を口にするシーンがある。アメリカでの永住権を望むジョンとアメリカとの戦いは実に4年間に及んだ。

『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』

そんなジョン・レノンが政治的な運動に傾倒していた頃の作品が『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』だ。収録曲も『アッティカ・ステート』や『ジョン・シンクレア』などそのままの楽曲が目立ち、音楽的なことよりも今メッセージを伝えるということに重点の置かれた作品となった(そのため、ジョンもヨーコも音楽的なクオリティには満足していないと語っている)。

また『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』のジャケットは裸躍りをする毛沢東とニクソン大統領をあしらったもので、このデザインも物議を醸した。
ニクソンについては『フロスト×ニクソン』でも取り上げているが、ニクソンはベトナム戦争を推し進め、「北ベトナムの共産主義作戦本部がカンボジアに存在する」という大義名分を掲げ、1970年にカンボジアに侵攻した。
ニクソンが行ったカンボジア侵攻だが、作戦本部は存在せず、逆に侵攻によってカンボジアで反米感情が高まり、クメール・ルージュの台頭へ繋がっていく。クメール・ルージュは1975年4月17日に首都プノンペンを占領し、首相となったポル・ポトは1975年から1979年の間に150万から200万人を虐殺した。

ジョン・レノンは反ニクソン派であった。ニクソンのベトナム侵攻に加え、反戦活動家を今までで以上に厳しく取り締まったのがその理由だろう。
ニクソンはニクソンで絶大な影響力を持つ危険人物ジョン・レノンをアメリカから追い出したかった。

ちなみに『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』で描かれているように若き日のジョン・レノンのアイドルがエルヴィス・プレスリーだったことは有名だが、プレスリーはニクソンにジョンの国外追放を求めたという逸話がある。ニクソンもまたプレスリーにジョン・レノンの監視を依頼していたという話もある。
ジョン・レノンはプレスリーが兵役につき、体制側となったことから、プレスリーに幻滅し、ビートルズとプレスリーが会談した時には「君たちのレコードはすべて持っている」と言ったプレスリーに対して、「僕はあなたのレコードは一枚も持っていない」と発言し、プレスリーを不快にさせた。また、プレスリーの訃報を聞いたときには「彼は軍隊に行った時に死んだのさ」とコメントしている。

失われた週末

話を戻そう。1971年にニクソンは選挙人の60%の得票を得て、合衆国大統領として二期目を迎える。この時のジョン・レノンの憤りと落胆は凄く、泥酔し、とヨーコとは別の部屋で行為に及んだという。

『ジョン・レノン, ニューヨーク』ではそのことがオノ・ヨーコ自身の口から語られる。
翌朝、ジョンはその事をひどく後悔し、ヨーコに土下座して許しを乞うた。この時の写真は『ジョン・レノン, ニューヨーク』でも紹介されている。『マインド・ゲームス』に収録されている『あいすません』はこの顛末を歌った曲だ。この事をきっかけにヨーコはジョンをロサンゼルスに追い出す。そこでジョンは個人秘書のメイ・パンと関係を持つのだが、ロスでもジョンの生活態度は堕落していくばかりだった。
ジョンとヨーコの別離期間を「失われた週末」と呼ぶが、それはビリーズ・ワイルダー監督の映画『失われた週末』に由来する。同作ではアルコール依存症の男が主人公だが、 ジョンもまたロサンゼルスでアルコール漬けの日々を送る。ロサンゼルス滞在中にカバーアルバムである『ロックンロール』の製作が始まるが、ジョンはアルコールのせいでほとんど使い物にならず、アルバムが完成したのはジョンがニューヨークに戻った後であった。

ハウス・ハズバンド

1975年にはジョンのアメリカでの永住権が認められ、自身の35歳の誕生日には息子のショーン・レノンも産まれる。ジョンには前妻のシンシアとの息子ジュリアンがいたが、仕事の忙しさもあり、ジュリアンを上手く愛することができなかった。その反省もあり、ビジネスはオノ・ヨーコ、家庭はジョンが看るという形態をとる。この時期はハウス・ハズバンド期と呼ばれ、音楽業界から離れていた時代だ。ここに来てジョンはようやく穏やかな暮らしを実現させる。

かつて、ジュリアン・レノンは父ジョン・レノンについてこう語っていた。
「父のだらしなさと愛と平和への態度にものすごく腹をたてていました。父の言う愛と平和は家庭には全くなかったのです」
ショーンとのハウス・ハズバンド生活でジョンは本当の愛と平和を知ったのではないだろうか。

そして1980年に音楽活動を再開。レコーディングスタジオのミキサールームのスピーカーには常にショーンの写真が飾られていた。
こうしてレコーディングされた『ダブル・ファンタジー』はそれまでのロックンロールの激しさも、政治的なメッセージも鳴りを潜めたものになった。
『ウーマン』『ビューティフル・ボーイ』など家族や身近な日常を歌ったものが多い。
だが、『ダブル・ファンタジー』発売から3週間後の12月8日にジョン・レノンはマーク・チャップマンの凶弾に倒れる。40歳の早すぎる死だった。

ジョン・レノンを扱った映画はビートルズのものも含めるとドキュメンタリー、出演作含め、その数は他のミュージシャンに比べ群を抜いて多い。それはジョンの人生がどれだけドラマティックであったのかの証明でもあると思う。だが、ジョンはそんな自身の人生をどう感じていたのか。
『ジョン・レノン, ニューヨーク』のエンドロールには『ウォッチング・ザ・ホイールズ』が流れる。

その中でジョンはこう歌う。

「みんなは僕が変だって行動を批判する 警告ばかりする
この僕を救う気で
平気さっていうと不思議そうに見る
一線から引いて幸せじゃないってね

みんなが僕を怠け者で夢ばっかり見るなって助言ばかりする
僕を立ち直らせる気で

でも僕は壁に映る影にこう言う

かつての全盛期が恋しくなんかない
僕はここに座り回る車輪を眺めるだけ
見てるのが好きなんだ
メリーゴーランドにはもう乗らない
あとは勝手に回ってくれ」

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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