『ギャング・オブ・ニューヨーク』なぜスコセッシは暴力を描くのか?

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


マーティン・スコセッシはニューヨークのリトル・イタリーで育った。喘息持ちでやせっぽちだったスコセッシは薬が手放せず、「薬のマーティ」とよばれいじめられていた。喘息のために他の子供と同じように外で遊べなかったために子供の頃から映画に親しんでいた。

暴力に怯える少年時代を送ったスコセッシだったが、それとは裏腹にスコセッシの作品には暴力を描いたものが少なくない。
タクシードライバー』『グッドフェローズ』『ディパーデッド』『アイリッシュマン』、そして今回取り上げる『ギャング・オブ・ニューヨーク』もそうだ。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』

今回紹介する『ギャング・オブ・ニューヨーク』は2002年に公開された マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演の歴史映画。
19世紀のニューヨークのファイブ・ポインツを舞台にアイルランド移民とアメリカ白人のギャングの争いを描いている。

1846年、ファイブ・ポインツの利権を巡るアイルランド移民の組織「デッド・ラビッツ」とアメリカ白人の組織「ネイティブ・アメリカンズ」の対立は頂点に達し、決闘の末に「ネイティブ・アメリカンズ」のリーダーであるビル・ザ・ブッチャーが「デッド・ラビッツ」のリーダー、ヴァロン神父を倒す。
ビルはヴァロン神父に敬意を払い、「誰も神父の体に触れてはならぬ」と言うが、ヴァロン神父の幼い息子であるアムステルダムは、神父に駆け寄り、父親を刺したブッチャーのナイフを奪う。
アムステルダムは捕らえられ、ブッチャーにより少年院に入れられる。
それから16年後の1862年、成長したアムステルダムはファイブ・ポインツに戻ってくるが、そこはビルの組織である「ネイティブ・アメリカンズ」が牛耳っており、「デッド・ラビッツ」だったメンバーも「ネイティブ・アメリカンズ」側に寝返っていた。
アムステルダムはブッチャーに近づき、復習の機会を伺っていく。

19世紀のアメリカとアイルランド移民

まずアイルランド移民について当時の歴史的な背景も見ておこう。
経済成長や領土の拡大に伴って アメリカ政府は移民を積極的に呼び込んだ。イギリスは1801年にアイルランドを併合し支配したが、1827年にはアイルランドからの移住制限を撤廃したことで多くのアイルランド人がアメリカへ移住した。その数は1820年代から南北戦争期において500万人にも達した。

しかし、アイルランド出身の移民は国民に大きな反移民感情を抱かせることになる。その原因の一つはアメリカではプロテスタントが主流だが、アイルランド系の移民は大半が貧しく、カトリックだったからだ。カトリックではローマ法王のアメリカにもカトリックの司祭は多く存在していた。プロテスタントにとってはカトリックの司祭が無学なアイルランド人に誰に投票すべきかを説き、政治的な発言力を持つのを恐れていたとスコセッシは語っている。
政党員同士の結束よりもカトリック同士の結束は強く、アイルランド移民はアメリカの社会で経済界や政治の世界で大きな影響力を持つようになる。
アメリカで初めてのカトリックの大統領は年に就任したジョン・F・ケネディだが、ケネディの先祖はアイルランドからの移民だった。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』の舞台は主に1862年のニューヨークだが、同時期のアイルランドは深刻な飢饉に見舞われた。
1845年から49年にかけてアイルランドで起きたジャガイモ飢饉によってアイルランドの人口は少なくとも20%から25%減少した。10%から20%がアイルランドから主にアメリカやカナダへ移住した。アイルランドでは結婚や出産数も減少し、最盛期の人口の約半分まで落ち込んだという。アイルランド移民は英語が話せたために、北東部の都市で職業や教育をめぐってアメリカ住民と争いが起きるようになる。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』でもニューヨークの港に降り立ち、アメリカに入国したアイルランド移民たちに容赦なく排斥の言葉や暴力が浴びせられる。
貧しいアイルランド人はニューヨークのスラム街でもあるファイブ・ポインツに住み着いた。ファイブ・ポインツは『ギャング・オブ・ニューヨーク』の舞台だ。ニューヨークがアイルランドから最も近い大きな港町であったし、ファイブ・ポインツはニューヨークで最も物価が安かったからだ。

ファイブ・ポインツとデッド・ラビッツ

ニューヨークでは1827年に奴隷制が廃止され、多くの黒人がファイブ・ポインツに暮らした。現在、ニューヨークのスラムといえば ‎サウスブロンクスを指すが、当時のスラムはファイブ・ポインツだった。
ファイブ・ポインツは世界で最も貧しい地域であり、殺人事件も絶えない街だった。
前述の通り、ファイブ・ポインツにもアイルランド人は多く移住したが元々の住民であるアメリカ白人や黒人との対立があった。
1834年には反奴隷解放主義者による黒人に対する暴動である「ファレン暴動」、1957年にはアイルランド移民と反移民・反アイスランド・  反カトリックを唱えるギャング組織「バワリー・ボーイズ」との戦いである「デッド・ラビッツ暴動」である。
ちなみに『ギャング・オブニューヨーク』でダニエル・デイ=ルイス演じるビル・ザ・ブッチャーは半架空の人物で、バワリー・ボーイズであるを基に想像されたキャラクターだ。また、ブッチャーと敵対するギャング組織「デッド・ラビッツ」は実在は確認されておらず、当時のメディアによる、騒々しいアイスランド人の個人や団体を指す記号としての一方的な呼称だという。余談だが、「デッド・ラビッツ」のリーダーのヴァロン神父を演じたリーアム・ニーソンは実際にアイルランド出身の俳優でもある。
スコセッシはファイブ・ポインツを自分の育った街と似ていると語っているが、それもそのはずで、スコセッシの育ったリトル・イタリーの場所はかつてのファイブ・ポインツの一地域でもある。

なぜスコセッシは暴力を描くのか。

このような歴史もあり、スコセッシの育ったリトル・イタリーはカトリックの文化の強い地域でもあった。
幼いスコセッシもカトリックの教会に安らぎを見いだす。いじめられっ子だったスコセッシにとって、安息の場は映画館と教会だった。そこで働くジョン・フランシス・プリンシペ神父はスコセッシにとって兄のような存在であり、幼いスコセッシは神の道を志す。14歳になると聖職者になることを決意し、初級神学校のカテドラルカレッジに入学する。しかし、ラテン語に苦労し、さらには若い女性にも夢中になってしまい、一年で学校をやめてしまう。

だが、映画監督となってもスコセッシは宗教への関心を持ち続けた。暴力と同時に宗教をテーマにした作品も多く、キリスト教社会に物議を巻き起こした『最後の誘惑』や遠藤周作のキリシタン文学を映画化した『沈黙ーサイレンスー』や、チベット仏教をテーマにした『クンドゥン』がある。
神への道をドロップアウトとしたスコセッシだが、その後も映画を通して信仰とは何かを問い続けた。
「教会で罪は購えない。我々は街や家庭で罪を購う。それ以外はまやかしだ」
1973年に公開されたスコセッシの自伝的映画『ミーン・ストリート』はそんな言葉で幕を明ける。

罪や暴力、それは聖書の中の事ではなく、スコセッシにとっては街の中に溢れた生きる現実だった。ファイブ・ポインツで生きる人々と同じように。
スコセッシは子供の頃にエリア・カザンの『波止場』を鑑賞している。『波止場』はギャングの支配するニューヨークの港湾で仲間を裏切り苦悩する男の話だ。
「あの作品に登場する人物は僕の家族や友人、知り合いそのものだった。そんな映画を観たのはイタリア映画以外では初めてだった。『波止場』を観たことで僕の人生を映画にしてもきちんと成立することに気づくことができた。」
『波止場』はスコセッシが映画監督を志すきっかけになり、カザンは後にスコセッシの師になった。カザンもまたギリシャからの移民であった。カザンはアメリカへの入国を手引きしてくれた伯父の人生をモチーフに『アメリカ、アメリカ』を製作している。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』における宗教

個人的には『ギャング・オブ・ニューヨーク』には『波止場』の要素も強く感じる。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』の舞台も同じニューヨークのギャングの支配する港町だ。『波止場』の主人公テリーはギャングの一味であり、ギャングに歯向かった友人を裏切り、死なせてしまう。だが、テリーは友人の妹であるイディと出会い、改心し、自らがギャングの不正に立ち向かっていく。
『波止場』をスコセッシに観せたプリンシペ神父はスコセッシに「これは聖書的な映画だ」と言ったという。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』もまた宗教的な物語を持っている。『ギャング・オブ・ニューヨーク』ではイディの立ち位置にキャメロン・ディアス演じるジェニーがいる。アムステルダムはブッチャーの人柄に触れるにつれて彼への敬意も感じ始め、復讐との狭間で苦しみ葛藤する。だが、幼馴染のジョニーの裏切りによってブッチャーにアムステルダムの素性がバレてしまう。
「ネイティブズ」の祝祭の日(ヴァロン神父の命日)にブッチャーに奇襲をかけるアムステルダムだが、逆にブッチャーに返り討ちにされる。ブッチャーに半殺しにされたアムステルダムはジェニーの看病もあり、再び「デッド・ラビッツ」を率いて立ち上がる。
アムステルダムを裏切ったジェシーはキリストを裏切ったユダにあたる。ジェシーはブッチャーに瀕死の重傷を負わされ、アムステルダムに「殺してくれ」と頼む。ユダも最後は自ら命を絶つ。
再起したアムステルダムは磔刑の後に復活したキリストだとも言える。

宗教はスコセッシの人生においても大きな位置を占めている。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』はスコセッシのルーツを掘り下げた作品でもある。
幼い彼の日常であった暴力と宗教。リトル・イタリーの原点となったファイブ・ポインツという舞台。そして移民という自らの血についての映画だ。
アムステルダムは全く架空の人物だが、アメリカ生まれの移民の子というアムステルダムにはスコセッシ自身が重ねられているのではないか。

スコセッシの目線は自身を育んだアメリカではなく、自身の出生でもある移民の方へ向いている。
主人公はアメリカン・ギャングのビル・ブッチャーではなく、アイルランド移民の息子であるアムステルダムだ(アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたのはビル・ブッチャーを演じたダニエル・デイ=ルイスだったが)。
また本作のテーマソングはU2の『The Hands that Built America』。U2はアイルランド出身のロックバンドだが、彼らが歌う「この手がアメリカを作った」という歌詞もスコセッシの移民に向ける思いを代弁しているかのようだ。

何がアメリカを作ったのか

人種のるつぼと言われるアメリカで、スコセッシが光を当てたのは歴史の中に埋もれてしまいそうな名も無き人々だった。
ヴァロン神父の墓の隣にブッチャーも埋められる。
時代は流れ、大都市として発展していくニューヨークの一角でいつしかその墓も草木に埋もれ、誰にも気づかれないまま朽ちていく。
スコセッシはそんな歴史に光を当てた。それが自身を、アメリカを作り上げた本当の歴史だったからだ。
無常に全ては流れて忘れ去られていく。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

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そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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