『シザーハンズ』エドワードのモデルは誰なのか?ハサミが意味するものとは

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


『ワインライダーフォーエバー』

筋肉少女帯の楽曲に『ワインライダーフォーエバー』という曲がある(『クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃』のレビューに引き続き筋少ネタから入ります。すみません)。
ワインライダーとは耳慣れない言葉だが、これは造語。主人公の俳優が恋に落ちた女性の名前だ。彼女の名前をタトゥーにしたのだが、結局別れてしまい、そのタトゥーをレーザーで消すという歌詞なのだ。
鋭い人はピンと来ただろうが、これ元ネタはジョニー・デップとウィノナ・ライダーのこと。

ジョニー・デップはウィノナ・ライダーと交際していた時、腕に「winona forever」とタトゥーを彫っていたが、彼女と破局すると、少しタトゥーを修正して「wino forever(アル中よ、永遠に)」に変えてしまった。

さて、なんだかゴシップ記事の芸能面みたいな導入部になってしまったが、今回紹介したい映画はティム・バートンが監督を務め、1991年に公開された映画『シザーハンズ』。

『シザーハンズ』

町外れの丘の上の孤城に住む人造人間のエドワード。生みの親である発明家の急死によって、彼は両手がハサミのままになってしまった。エドワードはその後も町外れの城に一人で住んでいたが、ある日そこを訪れたセールスマンのペグによってエドワードは町へ下りることになる。
両手がハサミのエドワードは造園やヘアカットなどで能力を発揮し人気者になりり、またペグの娘であるキムとも惹かれ合っていく。

エドワードを演じたジョニー・デップとキムを演じたウィノナ・ライダーはこの時、映画の中でもプライベートでも恋人同士だった。
だが、今回紹介したいのはジョニー・デップやウィノナ・ライダーの恋模様ではない。今回注目したいのは監督のティム・バートンだ。『シザーハンズ』のエドワードは実はティム・バートン自身ではないか。そう思ったからだ。

ティム・バートンの生み出した作品を振り返ってみると、ほとんどの場合、その主人公にはある共通点が見受けられる。それは誰も孤独で少々風変わりで社会の枠組みから大なり小なり外れていることだ。

人気のない丘の上で一人で暮らしている人造人間が主役の今作はもちろん、誰にも理解されずに情熱だけで映画を撮り続けた「史上最低の映画監督」エド・ウッドを描いた『エド・ウッド』、中世と近代の間の時代に近代的な科学捜査を信条とする風変わりな刑事を主人公にした『スリーピー・ホロウ』、SF映画の傑作『猿の惑星』を再構築した『PLANET OF THE APES/猿の惑星』は言うまでもないだろう。人間が言葉を失くし、猿に支配される世界の中で宇宙船に乗ってやってきた主人公を異端と言わずになんと言おう。

ティム・バートンと父親

バートンは1958年にアメリカのカリフォルニア州で生まれる。幼少期から周囲と馴染めず、「変わった子」と言われ続けていたという。「十代の頃、僕はコミュニケーションが取れないと感じていた」バートンは子供の頃をそう振り返る。
そんなバートンが夢中になったのがホラー映画やSF映画だった。ティム・バートンは映画監督として活躍するようになると、幼き日の映画の主役だったスター俳優たちを自身の映画に起用するようになる。
エドワードの父親となる発明家を演じたヴィンセント・プライスもその一人。『ハエ男の恐怖』や『地球最古の男』などへの出演で知られるプライスはピーター・カッシングやクリストファー・リーとともにのハリウッドで三大怪奇スターと呼ばれていた。

ティム・バートン自身は実父とは距離があったという。
バートンの父親は元マイナーリーグの選手で毎日学校から帰るとバートンはキャッチボールをさせられていた。外で遊ぶことやスポーツにも興味のなかったバートンにとっては地獄のような日々だったろう。
そんな中、のめり込むように観ていた怪奇映画のスターたちが幼いバートンの心の中で父親代わりとなったのだろう。1992年に製作されたティム・バートンのデビュー作『ヴィンセント』はヴィンセント・プライスのファンの少年をテーマにした短編アニメーションだ。

父性の不足

映画ファンにしばしば指摘されるようにティム・バートンの映画には父性の不足が描かれていることが多い。
『シザーハンズ』では、エドワードにとって父親のような存在の発明家は最初から故人になっている。
エド・ウッド』では、ベラ・ルゴシが重要な役柄として登場する。スターとしてのピークはとうに過ぎ、老いさらばえた老人となったベラ・ルゴシをエド・ウッドは自身の映画に出し続けた。
『エド・ウッド』でエド・ウッドはベラ・ルゴシに会った感激を映画スタッフの仲間に伝えて回るが、皆からの反応は「まだ生きていたのか」というそっけないものだった、
だからこそ、『エド・ウッド』におけるベラ・ルゴシは余計にエド・ウッドにとっては特別な存在だということを印象づけられる。エド・ウッドが生み出した映画が彼にとっての子どものようなものであるならば、ベラ・ルゴシは彼の父親代わりと言えるだろう。ベラ・ルゴシもまたヴィンセント・ブライスより前の時代に、戦前のハリウッドの怪奇スターであった。
他にも『チャーリーとチョコレート工場』は父親との確執が物語の一つになっているし、『ビッグ・フィッシュ』もまたわかり合えない父と息子が主人公だ(『ビッグフィッシュ』に関してはティム・バートンの実父の死が大きく影響を与えており、他の監督作品と同列に語るべきではない気もするが)。

エドワードのハサミ

さて一旦『シザーハンズ』の内容に戻ろう。
高度な造園に独創的なヘアカット。そのハサミの技術で一躍人気者となるエドワードだったが、ある時誤ってキムを傷つけてしまう。
バートンによると、エドワードのハサミは矛盾を表しているという。「何かに触れたいが、触れることができない。創造的だが破壊的。エドワードはそういうキャラクターなんだ」
キムはエドワードの無垢な性格を知っており、故意に傷つけたわけではないこともわかっていた。しかし、キムのボーイフレンドのジムは次第にキムがエドワードに惹かれていくことへの嫉妬もあり、エドワードに敵対するようになる。
そしてやけ酒を飲んだ勢いで車を運転し、キムの弟のケヴィンを轢きそうになってしまう。エドワードはケヴィンを助けるが、その際にまたもやハサミで怪我を負わせてしまう。
キムを演じたウィノナ・ライダーはエドワードについて「子供のようだ」と述べている。「ジョニーが演じているのは正直で何でも顔に出てしまうタイプのキャラクター。子供って本当のことを平気で口走るでしょう?それがエドワードなの」
エドワードは危険人物と見做され、町から追い出される。城に戻ったエドワードをキムは追いかけるが、さらにジムもキムを追いかけてエドワードの城へ向かっていた。ジムはエドワードを殺そうとするが、それを止めようとしたキムにも危害を加えたため、やむを得ずエドワードはジムを殺す。
一緒に暮らせなくなったエドワードとキムは別れるが、キムは予備のハサミの腕を城から持ち出し、町の人にハサミを見せ、「エドワードとジムは崩れた屋根の下敷きになった死んだ」と言うことでエドワードを守った。
それ以来、キムの町には降ったことのない雪が降るようになる。それはあの城からエドワードがキムとの日々を懐かしみながら、雪像を作っている氷の破片だったのだ。

『シザーハンズ』のキャスティング

映画はここで終わるが、もう少し解説を加えよう。
この人造人間のエドワードだが、当初オファーを受けたのはトム・クルーズであった。
しかし、トム・クルーズはエドワードについて「男らしくない」と言い、ハッピーエンディングへの修正まで求めたためにトム・クルーズ版のエドワードは実現しなかった。
この頃は若手の演技派俳優のイメージが強かったトム・クルーズだが、後に『ミッション・インポッシブル』シリーズで頑なにアクションと男らしさにこだわっていくようになる。トム・クルーズがなぜ男らしさにこだわっているのかは別の機会に考察したい。他にもトム・クルーズはエドワードに対して顔の傷を消して普通の顔になることを望んでいたという。
もっともこのトム・クルーズへのオファーはスタジオ側の希望だったらしく、ティム・バートンの思い描くエドワード像とはまったくかけ離れていたものだったそうだ。

こんな作品に出会えるのは一度きり

そこでエドワード役が回ってきたのがジョニー・デップだ。当時のジョニー・デップはまだ無名の俳優だった。ティム・バートンに言わせれば箸にも棒にもかからない程に下手な役者だったそうだが、この映画をきっかけとして、『エド・ウッド』、『スリーピー・ホロウ』、『チャーリーとチョコレート工場』、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』、『ダークシャドウ』『アリス・イン・ワンダーランド』など6作品でタッグを組んでいる。
一方のジョニー・デップも『シザーハンズ』のエドワードは俳優としてのキャリアを変えてくれた最も重要な役と語っている。
ジョニー・デップにとっては、これが初めてのメジャーな映画作品への主演だった。当時は『21ジャンプ・ストリートと』いうTV番組でアイドル的な人気を獲得していたジョニー・デップだが、本人としてはなんとかしてそのような環境やイメージから抜け出したいという想いがあったという。「『シザーハンズ』の脚本を読んだとき、こんな作品に出会えるのは一度きりだと思った。逃したら次はない」
ジョニー・デップも幼少期から各地を転々とする生活を送っていたという。ジョニー・デップもまた一般には風変わりな役を多く演じてきた。エドワードというキャラクターが自分自身に思えた。

ジョニー・デップとエドワード

ティム・バートンも、ジョニー・デップの中にエドワードと共通するものを見出していた。それはパブリックイメージと内面とのギャップだ。エドワードがその見た目とは裏腹に子供の心を持っているのと同様に、当時は気難しい変人というイメージを持たれていたジョニー・デップだが、バートンはジョニー・デップについて「温かくていいやつだった」とその印象を述べている。
「1990年の『シザーハンズ』で、まだ無名だった僕が主役を演じられるよう、ティムは争いも辞さなかった。僕のキャリアが順風満帆ではないときにも、彼はいつも味方でいてくれた」とバートンへの信頼も揺るぎない。
ちなみにジョニー・デップはエドワードを演じるに当たって、チャップリンの映画を参考にしたという。エドワードのやけに幅の太いスラックスもそんなところからインスピレーションを受けているのかもしれない。
また、ウィノナ・ライダー同様、ジョニー・デップもエドワードを小さな子どものな内面を持ったキャラクターだと考えており、本作の脚本を手掛けたキャロライン・トンプソンの書いた台詞を半分ほど削ってしまったというエピソードもある。
ジョニー・デップはこのエドワード役に強い思い入れを抱いており、続編を強く希望しているという。

そんな『シザーハンズ』だが、エドワードとキムの間の息子をテーマにした作品が公開されている(第55回スーパーボウルで流されたキャデラックのCM)。息子を演じたのはティモシー・シャラメ。エドワードの遺伝子を受け継ぎ、両手がハサミのままの息子に母のキムがハンズフリーの車をプレゼントするという内容だ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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