『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の遺言なのか?

(C) 2023 Studio Ghibli

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


幼い頃からジブリ映画には親しんできたが、ジブリ映画を映画館で観たことはほとんどない。恐らく唯一は『もののけ姫』だった。その時のエピソードは『もののけ姫』の解説に書いているが、個人的には『千と千尋の神隠し』以降の宮崎駿の作品は明快なストーリーは影を潜め、複雑で考察を求めるような作品が多くなったように感じ始め、近年のスタジオ・ジブリ作品からは距離を置いていた。

事前情報0の新作映画

たが今回『もののけ姫』以来、25年ぶりにジブリ映画を映画館で観てきた。それが『君たちはどう生きるか』だ。
宮崎駿が『風立ちぬ』での引退宣言を事実上撤回し、新作の制作が始まっていることは数年前にはすでにアナウンスされていたが、今回異例だったのは事前の情報はおろか、予告編すら全くない状況での公開だったことだ。
プロデューサーの鈴木敏夫は「この情報過多の時代の中で、逆に情報を全く明かさないのは強力なエンターテインメントになるのでは」と語っていたが、それにまんまと乗せられて映画館に足を運んだというわけだ。

21時前からの上映でしかも大型スクリーンというのに、席はほぼ満席。改めてジブリというブランドの凄さを感じた。ちなみに『風立ちぬ』公開後にスタジオジブリは制作部門を解体、今作ではスタジオ地図やスタジオポノックなど、外部のアニメ制作会社が多く名を連ねている(ポノックはもともとジブリのスタッフだったメンバーが中心だが)。言わば今作はOEM生産みたいなもので、生産は外注し、出来上がったものにはジブリの名を冠するという形だ。ジブリは名実ともに一つのブランドになったのだと思う。

さて、『君たちはどう生きるか』の舞台は戦時中の日本。主人公の少年、眞人は戦闘機の部品の製造会社を営む父と裕福な暮らしをしていたが、開戦から二年目の年に火事により母親を亡くす。その一年後、父親は実母の妹と再婚することになり、片田舎へ家族で疎開する。

『君たちはどう生きるか』

眞人には宮崎駿の幼い頃が投影されているのは間違いない。宮崎駿の父親もまた宮崎航空製作所という航空機の部品を製造する会社を営んでおり、宮崎駿自身も裕福な暮らしをしていたという。眞人は東京からへ田舎への疎開するが、宮崎駿も東京から宇都宮への疎開を経験している。

眞人の疎開先はナツコと実母の久子の実家であり、そこには一羽のアオサギが住み着いていた。アオサギは眞人にちょっかいを出す。どうやら古い塔にアオサギは住んでいるらしい。眞人は塔へ入ろうとするが、入り口が塞がれており入ることはできない。その夜、ナツコは眞人に塔の秘密を伝える。塔は頭は良かったが読書のし過ぎでおかしくなった大叔父が建てたものだという。その後、大叔父は塔の中で姿を消してしまったこと、塔の地下には巨大な迷路があることを眞人に伝える。

アオサギはその後も眞人に干渉し続けついには人語をしゃべり、母に会わせるという。眞人はその言葉に死んだ母を侮辱されていると感じ、アオサギ退治の準備を始める。

『もののけ姫』アシタカの子孫?

さて、この眞人、顔が誰かに似ていると思ったら『もののけ姫』のアシタカに似ている。作品を観ていくうちにある設定の可能性が大きくなっていった。『君たちはどう生きるか』の眞人は『もののけ姫』のアシタカの子孫ではないか?(ちなみに『千と千尋の神隠し』よ千は『もののけ姫』のサンの子孫だという裏設定があるそうだ)。
さらに言ってしまうと今作は『もののけ姫』と共通の世界なのではないだろうか。つまり『もののけ姫』から数百年後の世界が『君たちはどう生きるか』の世界ということだ。

そう考える理由はいくつかある。まず、眞人がアオサギを射つために弓矢を作るのだが、アシタカの武器も同様に弓矢だった。また、自分で覚悟の上で完全に治ることのない傷をつけるというのも同じだ。アシタカは自身の村を襲うタタリ神から村の娘たちを救うために、覚悟の上で死に至る呪いを受ける。眞人の場合は学校での喧嘩を大げさにするために自らの手でわざと大きな傷を頭につける。なぜそんなことをしたのだろうか?

眞人の悪意

眞人は頭の傷について「悪意を持ってつけた」と語っている。眞人の悪意とは何だろうか?
眞人は母を亡くした傷が癒えていないうちに新しい「母」となったナツコに戸惑いと嫌悪感をもっている。ナツコは眞人に受け入れてもらおうと丁寧に世話を焼くのだが、眞人は呆れるほどそっけない。
最初は大きな傷を得ることで養母へ向かっている父の愛情を再び自分のもとへ取り返そうとしたのではないかと思った。だが、父が取り乱すほど眞人のことを心配しても眞人は醒めた表情をしている。眞人は大きな傷をつけることで、ナツコを苦しめたかったのだ。大切な姉の息子を守れなかったという後悔と罪の意識をナツコに与えたかったのだ。

だが、眞人にしてみればナツコは眞人の全てを奪うようにも思えたのだろう。ナツコはすでに父との子供を身籠っており、既に眞人の安心できる家族の形が変わっていくこと、そして母を愛していたはずの父もまたナツコを愛するようになってしまったこと。表面上は家族だが、その中身の関係性はこれまでとは一変してしまっている。

ある日、つわりに苦しんでいたはずのナツコが庭へ出て森へ向かうのを眞人は見かける。明らかに不自然な状態なのに声もかけないのが眞人のナツコに対する思いを表している。その後、眞人は久子が眞人に遺した本を見つける。本作のモチーフにもなった吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』だ。

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は中学生のコペル君が主人公だ。彼が身の回りで起きるいじめやとの関わりを通して、自分の考えを深めていく、道徳教育小説だ。
眞人はナツコを探しに女中のキリコとともに森へ向かう。その中には古びたトンネルがあり、例のアオサギがいた。
アオサギは母に会わせるとまたも眞人を誘惑する。罠だと怯えるキリコに対し、眞人は罠と知りつつも足を進める。
眞人の目に飛び込んできたのは、眠っている母の姿。
だが、眞人が触れた瞬間に母はドロドロに溶けてしまう。眞人は激昂し、アオサギに矢を放つ。その矢に使われているのはアオサギ自身の羽であり、矢はどこまでもアオサギを狙って追いかけてくる。そしてアオサギの嘴を貫く。そのせいでアオサギは半分人間の姿になってしまった。
塔の主の命令でアオサギはナツコがいるという下の世界へキリコと眞人を案内することになる。

下の世界

下の世界では眞人は一人きりになり、突如襲ってきたペリカンたちに「我を学ぶものは死す」と書いてある墓の門を破られ、墓の主のテリトリーに入ってしまう。そこを助けたのが漁を営む女性だった。その女性はここの住民たちで生きているものは少ないという。彼らに殺生はできないから、女性が魚を捕らえて彼らに渡しているのだった。

下の世界を単純に考えるとそれは黄泉の世界だ。死んだものが多いというのはそういうことだろうし、わらわらと呼ばれる人間の種のようなものが多数いることからも下の世界は黄泉の世界と考えられる。
だが、そこは単純な死後の世界というものではない。様々な時間が交錯し、死も生も全てが溶け合ったような世界だ。

キリコの正体

女性にはわらわらという生物が熟したときにきちんと上の世界へ飛べるよう、その時に必要になる魚の内蔵を手に入れるという仕事もあった。眞人は女性の仕事を手伝いながらしばらく共に暮らす。
そして、彼女の正体がキリコであると見破る。だが、キリコは眞人のことは全く知らなかった。それどころか生まれも育ちもこの世界だという。ここで大きな矛盾が生まれる。もし本当にそうなら、キリコも下の世界の住人となり、殺生はできないはずだ。
実は『君たちはどう生きるか』を読み解くために大事なものは吉野源三郎の本ではない。ジョン・コナリーが2006年に著した『失われたものたちの本』という小説の方がストーリーに与えた影響は大きい。
このキリコのキャラクターは『失われたものたちの本』でいうところの木こりのキャラクターに相当する。言わば、異世界の説明役であり、少年の守護者だ。だが、その本の中でも木こりの正体は明かされない。 書いてあるのは邪悪な人狼(『君たちはどう生きるか』の中のペリカンに相当するだろうか)の成り立ちだ。彼らは現世の人間と異世界の狼が交配したことで生まれたそうだ。
キリコもまた現世と異世界の両方をルーツに持つのではないか?そうだとしたら、下の世界で生まれ育ったにも関わらず、住民ではないと言えるのもわかる。

眞人がトイレを借りに外に出たとき、わらわらがついに飛び立つ瞬間に遭遇する。多数のわらわらが螺旋状に連なり、空へ昇っていく。わらわらは上の世界で人間として誕生するのだ。螺旋がDNAの配列のように見えてくる。
だが、そこにペリカンが現れ、わらわらを食べ始める。それを止めたのは火を司るヒミと呼ばれる少女だった。
ちなみにヒミの声を演じたのはミュージシャンのあいみょん。彼女はブレイク前の時期の楽曲『どうせ死ぬなら』という楽曲の中で生まれ変わったらスタジオ・ジブリで助手をしていると歌っているが、生まれ変わらずに助手どころか声優まで務めてしまった。
ヒミは自らの生み出した花火でペリカンを撃退するが、眞人はそれによって瀕死となった老ペリカンの最期を看取る。
ペリカンは海にはほとんど魚がおらず、わらわらを食べるしかないと嘆いて絶命する。いつの間にか、そばに来ていたアオサギと再会し、翌朝キリコと別れ、二人はナツコを探しに行く。

なぜアオサギは異界へ誘うのか?

『君たちはどう生きるか』でのアオサギはキーパーソンだ。異界と現世の架け橋となって誘う。その目的は何だろうか。
ナツコ、眞人、キリコが異界へ足を踏み入れたあと、現世では女中や町の人たちによって大がかりな捜索が始まっていた。「三人も一度に神隠しなどあり得ない」眞人の父はそう言う。眞人の母である久子も、幼い頃に神隠しに遭い、一年後に消えた時のままの姿でひょっこり現れたという。
女中半分の一人が父に塔の真実を伝える。あの塔は大叔父が建てたものではなく、隕石によって誕生したものだという。その塔を建物で覆い隠し守ろうとしたのが大叔父だったのだ。

その頃、下の世界ではアオサギがナツコは鍛冶屋の小屋の中にいるという。だが、その小屋は人を食うインコに占拠されていた。アオサギは自らを囮にしてその隙に眞人に小屋に入るように指示するが、眞人が小屋の中で目にしたのはアオサギに釣られなかった多くのインコたちの姿だった。
インコは胎児のいる妊婦は食わないというが、男の眞人は別だった。解体されようかというときにヒミが現れ、眞人を自分の家へとワープさせる。

ナツコの視点

そして、ナツコが産屋にいることがわかり、二人はインコに追われながらもナツコのいる場所を目指す。だが、ヒミはナツコは元の世界へ帰りたがっていないという。
眞人はナツコに会い、共に元の世界へ戻るように説得するが、ナツコは眞人を拒絶する。

ここで観客の視座は一気にナツコの方へシフトする。眞人以上に傷ついていたのはナツコだったのかもしれない。眞人は母を亡くしたが、ナツコは姉を亡くした。眞人の父と結婚したのも本当に恋愛感情がナツコにあったのかは疑わしい。実際にこうした結婚はソロレート婚と言われ、日本では近代まで割と寛容に扱われていたようだ。
眞人の父とは対称的に、ナツコには妻としての愛情というよりも、姉が遺した子供への責任があったのだろう。だが、当の眞人はナツコとの間に一線を引き、決して懐こうとはしない。そんな眞人への愛憎が拒絶という形で感情に表れたのだろう。

大叔父との邂逅

眞人は産屋からはじき出され、ヒミと共に気を失う。その中で眞人はある夢を見る。
目の前にたたずむ一人の老人。それは塔の中で姿を消したと言われていた大叔父だった。大叔父は13個の石を積み上げ、それはギリギリのところで均衡をかろうじて保ち、崩れないようになっていた。大叔父は眞人にこの世界に残って役割を継いで欲しいという。その役割は血の繋がった人間にしかできない。
ここでいくつかの疑問の答えに仮説を立てることができる。
まず、なぜアオサギは眞人をあれほど誘惑したのか。大叔父と血の繋がった人間を下の世界に取り込む必要があったからではないか。そして、アオサギに案内役をやれと命じた謎の人物も姿を変えた大叔父だったのではないか。

目を覚ました眞人は囚われの身になっており、インコに解体される直前だった。インコに化けて侵入していたアオサギに助けられ、同じくインコの手に落ちたヒミを助け出そうと行動する。
実は産屋に立ち入るのは絶対の禁忌だった。眞人は当然その事を知らなかったが、インコたちの王はそのことを取引材料とし、加えてヒミを差し出すことで大叔父から下の世界を支配する役割を得ようと考えていたのだ。
アオサギと眞人は屋敷でヒミと再会する。そして大叔父に会いに行くが、そんな彼らを尾行していたのがインコたちの王だった。

眞人は大叔父から改めてこの世界を継いで欲しいと頼まれる。しかし、眞人の心は決まっていた。大叔父は言う。「殺し合い、奪い合う、愚かな世界にまた戻るのか」
「此処に残って、豊かで平和な美しい世界を作りたまえ」と。
下の世界がバランスを崩しかけていることは明白だ。それは老ペンギンが死の間際に話したことでもある。海には魚がいなくなっていて、命の素であるわらわらまで食べねばならなくなっている。これも大叔父の積み木が著しく安定を欠いたものになってしまっているからだ。

ヒミの正体

大叔父は新しく積み木を組む役割を悪意のない血の繋がった人間である眞人に譲ろうとするが、眞人頭の傷を指して自身が悪意のある人間だということ、そしてキリコ、ヒミ、アオサギのような友人を元の世界で作りたいと言う。
だか、下の世界を手に入れることができないと悟ったインコの王は怒りに任せて積み木を奪い、でたらめに組んだせいで積み木は崩れ、下の世界は崩壊を始める。

眞人はナツコやキリコと合流、ヒミにも一緒に元の世界へ来るように誘うが、ヒミは眞人とは違う時代へ帰るという。ヒミの正体は眞人の実の母だった。
そして、ヒミとキリコはヒミの少女時代へ繋がる扉から元の世界へ戻っていく(この物語が眞人の冒険だけでなく、久子の神隠し事件であることが示唆される)。
そしてナツコと眞人、アオサギは元の場所へ戻る。眞人がお守りがわりにポケットに入れていたキリコそっくりな人形は女中のキリコとして復活。
そして2年後、戦争は終わり、眞人には弟ができた。一家は東京に戻ることになる。ナツコが眞人に呼び掛けるシーンで映画は幕を下ろす。

解けないパズル

『君たちはどう生きるか』は近年の宮崎駿作品と同様の難解さがある。事前情報もないので謎解きは観客に委ねられる。
だが、どうしてもわからないものも散りばめられており、永遠に解けないパズルのようになっている。監督の宮崎駿自身も「作った本人もわかっていない」と述べている。裏を返せば世界の全てを人間が理解することなど到底不可能なのだ。

『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の遺言なのか

『風立ちぬ』は宮崎駿のノスタルジーと夢に溢れた作品だった。そして今作『君たちはどう生きるか』には宮崎駿の「遺言」だと感じた。
大叔父は宮崎駿自身なのだ。
もののけ姫』は室町時代をその舞台にしながらも、アシタカという主人公のキャラクターには当時(1997年)の若者の置かれた状況や不条理が重ねられていた。

恐らく今作の眞人もそうだ。戦中と戦後で人々の価値観は大きく変わった。
だが現代は既に普遍の価値観などどこにもないようにすら思える。そして眞人らを襲った無数のペンギンやインコたちは匿名性の元に個人を傷つける今のネット社会の縮図にも思えてくるのだ。誹謗中傷による自殺者の増加や先の見えないままもう30年以上も続く不景気、どう頑張ってもギリギリの均衡にしかならないのは今の時代の宿命なのか、これはこれで最適解だというべきなのか。その諦めと次世代への希望の狭間に宮崎駿もいるに違いない。

今作で初めてプロデューサーの鈴木敏夫は「思うとおり、好きなものを作って下さい」と宮崎駿に告げたという。
『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の未来への遺言だったのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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