
『クレヨンしんちゃん モーレツ!嵐を呼ぶオトナ帝国の逆襲』(以下『オトナ帝国』)はクレヨンしんちゃん映画というよりも、すべての邦画と比較しても名作と言っていいだろう。その人気は根強く、2010年に発表されたキネマ旬報創刊90周年オールタイムベスト・テン 日本映画アニメーション部門でも4位を獲得している。
[itemlink post_id="4085" size="L"] [sc name="review"][/sc] 子供の頃、『クレヨンしんちゃん』は大人たちの目の敵だった。 だが、時が経つにつれて『クレヨンしんちゃん』は一[…]
ただ、「クレヨンしんちゃん映画」として見た場合に異質であることも確かだ。クライマックスで敵と戦うシーンはなく、しんのすけが階段を駆け上る場面がその代わりとなっている。
監督の原恵一は本作の試写の際にスポンサーから「こんなに不愉快な映画は初めて観た」と声をかけられ、のちにそのことを「『クレヨンしんちゃん映画』ではないということなのでしょう」と述べている。
それは本作での敵であるケンとチャコというキャラクターに依る部分も大きいだろう。前述のように彼ら二人としんのすけ(野原一家)が戦うことはなく、二人は暴力によって世界征服を企むような悪役でもない。何とも異質なキャラクターなのである。だからだろう、ネットでは彼らの裏設定について闊達に意見が飛び交っている。
チャコは不妊症なのか?
その一つがチャコは不妊症ではないか?というのだ。
ケンとチャコのキャラクターは1973年のドラマ『同棲時代』に登場する次郎と今日子がモデルだと言われている。ひろしがケンとチャコの部屋を訪れたときに「『同棲時代』って感じだなぁ」との台詞があるため、『同棲時代』へのオマージュはほぼ間違いないだろう。
『同棲時代』において、ヒロインの今日子は堕児手術が原因で不妊症となっている。
『オトナ帝国』で大人達は懐かしい匂い(20世紀の匂い)に引き寄せられ、幼児退行してしまう。しんのすけは自分と同じくらいの年齢の子供になってしまったひろしに、大人のひろしの靴の匂いを嗅がせ、正気を取り戻させる。みさえも同様の方法で正気に戻り、野原一家はケンとチャコの計画を阻止しようとする。
ケンは野原一家に自らの計画を明かす。それはタワーから20世紀の懐かしいニオイを噴出させ、ひろしの靴の臭いでは直せないほどの懐かしさで大人たちを洗脳することだった。
「お前たちが本気で21世紀を生きたいなら行動しろ。未来を手に入れて見せろ。早く行け、ぐずぐずしていたらまたニオイが効いてくるぞ」
野原一家はニオイの放出を阻止するべく、タワーを目指す。そして、ケンとチャコもまたニオイを放出させ、日本を古き良き時代へ戻すという計画を完遂するためにタワーを目指す。
「戻る気はないか」そう言うケンの問いにひろしは「ない!」と即答する。
「俺は家族と一緒に未来を生きる!」
「残念だったな野原ひろし君。つまらん人生だったな」
「俺の人生はつまらなくなんかない!家族がいる幸せをお前たちにわけてやりたいくらいだぜ!」
この言葉を聞いたチャコは激昂する。それは彼女が子供を持てない体だからだろうか?
また、なぜわざわざケンが野原一家を奨励するような言葉をかけたのかにも疑問が残る。
計画の真の首謀者
これに関しては面白い説を目にした事がある。
ケンとチャコの計画の首謀者はチャコであり、ケンはそれに付き合っているだけだというのだ。
つまり、チャコは不妊症で子供(未来)が持てない体であり、一切の未来を拒否するようになり、今回の計画を思いついた。ケンはチャコへの愛情と同情から、チャコの計画へ加担しているというのだ。
確かにと思う場面はある。序盤でケンの作戦を知ったチャコは「未来は失われるのね」とつぶやく。
それに対してケンは言う。
「未来は常にある。俺たちが昔憧れた、夢の21世紀は」
何気ないやり取りのように聞こえるが、改めてみてみると、未来に対する二人の考えに微妙な差異があることがわかる。
クライマックスでは未来を取り戻そうとする野原一家の姿がテレビで中継され、その姿に多くの大人たちが希望を取り戻していく。それはもはやケンの作った「懐かしい匂い」では制御できなくなっていた。
エンディングで計画が破綻したことを悟った二人は心中しようとするが、チャコは飛び降りる寸前で「死にたくない」と本心を吐露する。
ケンは心中を強行することなく、二人は街の中へと消えていく。
ケンとチャコはなぜ死のうとしたのか?
そもそも心中を図ったのも、ただ単純に作戦が失敗したからという理由だけではないだろう。
ケンは21世紀そのものを否定しているわけでは無いことは、序盤の言動からも明らかだ。
「皆が希望を持って21世紀へ向かう」
それは、ケンのいう「夢の21世紀」の根幹ではなかったか。ただ、それを成し得たのは自分たちではなく、野原一家だった。つまり、希望ある21世紀がきたところで、もはや自分達の存在意義はどこにもなくなってしまったからではないか。
チャコが不妊症かどうかは分からない。ただ「二人の間に子どもがいない」いうことがキャラクターを構成するうえでは重要なのであって、実際は理由なんて二の次なのだろう。
野原一家とケン・チャコは細かい部分まで対の設定であることに気づいているだろうか。
結婚し、子供を持ち、未来へ向かう野原一家と、籍を入れずに、過去から離れられないケンとチャコ。ケンとチャコが同棲という形をとっているのも、未来に責任を負いたくないからだろう。
20年後の『オトナ帝国』
『オトナ帝国』を初めて観たのは中学生の頃だったと思う。
21世紀をどう迎えるのか?ケンとチャコのように未来を拒否するのか、それともしんのすけたちのように希望あるものとして進んでいくのか。今作の公開は2001年。この問いはしんのすけというよりも、実際はその親世代に向けられたものだろう。
実際に、あれから20年以上が経ち、私自身の年齢もひろしを上回ってしまった。
今、改めて『オトナ帝国』を観ると、ケンとチャコの主張にも大いに共感できる。というのも、21世紀も1/4が過ぎた今、しんのすけが取り戻そうとした「21世紀の希望」はやはり夢物語だったのではないかと思えてくるからだ。もちろん、過去の中に生き続けることはできないが私の中では「20世紀のほうが良かったのでは?」という思いが心の何処かでくすぶり続けている。
2023年に公開された、『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』(以下『超能力大決戦』)では非理谷充という男が隕石の光によって超人化し、世間への鬱憤を晴らそうとする。
非理谷は、非正規で働く青年であり、派遣をしながら、アイドルに熱を上げる。
[itemlink post_id="4333" size="L"] [sc name="review"][/sc] 数か月前に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(以下『オトナ帝国』)の解説を書いた。 […]
ここまで見ると、よくある「イマドキの若者」そのままの人物だなぁと思われただろうか?
確かにその通りだが、『オトナ帝国』が公開された頃に、果たしてここまで「若者の貧しさ」は一般化していただろうか?
ましてや、『超能力大決戦』の頃には今のような物価高はまだ起きていなかっただけマシだったとすら言えるのだ。ちなみに2001年の頃、確かマックはハンバーガーひとつで60円だった。
ここからはあくまでも私個人の思いとして受け止めてほしいのだが、正直に言えば今の社会に生まれてくる子供がかわいそうだという思いもある。もちろん子供の人生は子供のものであり、子供次第だ。第三者がそれをかわいそうだと決めつけることは見当違いとはわかっているのだが、それでも生まれた時代がその人の人生に影響を与えないはずはない。
今の日本を見ていると、ケンとチャコの気持ちが痛いほど分かってしまうのだ。
ケンとチャコのその後
ケントチャコが、その後どのように21世紀を受け入れたかは分からない。
だが、2017年に公開された『クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』ではサーカスの会場に観客としてケンとチャコの姿が確認できる。