
これを書いているのは2025年7月25日。参議院選挙が終わって約一週間といったところだ。
個人的には選挙戦において外国人問題がこれほど争点化するとは思っていなかった。外国人問題を声高に叫んでいたのは参政党だった。この背景には岸田政権に代表されるように、直近の自民党政権が、日本人より海外や在日外国人にお金をバラ撒いているように多くの人の目に映ったことや、日本の資源が海外に次々に買われていることがあっただろう。そうしたことへの不安や不満の受け皿として「日本人ファースト」を掲げる参政党への支持が集まったと思っている。
ただ、個人的には蓋を開けてみれば、事前の政党支持率ほどの議席の伸びはなかったように思う。やはり多くの人の関心事は減税に代表されるような経済政策だったのではないだろうか。
もちろんこれは私個人の主観なので、実像は異なるかもしれない。ただ、一つの考えとして心に留めておいてほしい。
今回のコラムテーマである「マジカル・ニグロ」を考察するにあたって必要だからた。
さて、この「マジカル・ニグロ」という言葉だが、聞き慣れない人も多いかもしれない。
マジカル・ニグロとは?
マジカル・ニグロとは、映画によく出てくる、白人を手助けするためだけに存在する黒人の登場人物のことだ。ミスティカル・ニグロと呼ばれることもある。
もともとニグロという言葉は黒人を指す言葉であったが、現代ではすでにそれは時代遅れであり、「ニガー」同様に侮蔑的な意味合いを含む呼称でもある。
つまり、「マジカル・ニグロ」という言葉は、キャラクターを評するうえで批判的に用いられる言葉なのだ。
マジカル・ニグロの由来
この「マジカル・ニグロ」だが、映画監督のスパイク・リーが2001年に行ったワシントン州立大学とイエール大学で行った映画論の講義中で登場し、広く知れ渡ることになった言葉だ。
リーはその中で『グリーン・マイル』のマイケル・クラーク・ダンカンが演じたジョン・コーフィや『バガー・ヴァンスの伝説』でウィル・スミスが演じたバガー・ヴァンスを例に出し、これらを「マジカル・ニグロ」の典型として指摘した。
マジカル・ニグロは自ら立ち上がって世界を救うことはせず、もっぱら白人のお手伝いに甘んじている。
マジカル・ニグロの例
ここではマジカル・ニグロが登場するとされる映画をいくつか挙げてみよう。いずれもインターネットなどでマジカル・ニグロの例として紹介されている作品だ。
まず、スパイク・リーも指摘した『グリーンマイル』だ。
『グリーンマイル』
『グリーンマイル』は1999年に公開されたファンタジー映画だ。
今作では病気やケガを癒やす特別な能力を持った黒人の大男、ジョン・コーフィが「マジカル・ニグロ」に該当する。コーフィは無実の罪で死刑囚として主役であるの前に登場する。コーフィは準主役級の存在でありながら、その過去にはほぼ言及されず、自らの冤罪を晴らそうともしない。コーフィの望みは残酷な世界を早く去ることであり、いわば「望みを叶えるために行動する」必要のないキャラクターと言える。代わりにコーフィはその能力で主人公の病気を治したり、真犯人や非道な看守を罰するなど、まさに刑務所の「救世主」のような役回りを演じている。
『ゴースト/ニューヨークの幻』
次は1990年に公開された『ゴースト/ニューヨークの幻』だ。内容については今さら説明する必要もないだろう。今作ではウーピー・ゴールドバーグ演じる霊媒師のオダ・メイが「マジカル・ニグロ」だと言われている。たしかに彼女は(霊媒自体はインチキだが)死者の声を聞くことができるという特殊能力を持っている。しかし、彼女の役回りは主人公のアシストであり、作品を通して彼女自身の成長や物語は描かれない。オダ・メイの能力は主人公のラブロマンスの発展のみに存在しているのだ。
『バガー・ヴァンスの伝説』
スパイク・リーが「マジカル・ニグロの典型」として挙げたもう一つの作品が2000年に公開された『バガー・ヴァンスの伝説』だ。
今作ではウィル・スミス演じるゴルフキャディーのバガー・ヴァンスが、荒んだ生活を送る天才ゴルファーの再起を手助けする。
スパイク・リーはバガー・ヴァンスというキャラクターについて次のように述べている。
「黒人はあちこちでリンチされているのに、バガー・ヴァンスはマット・デイモンのゴルフスイングの改善にばかり気を取られている!
…考えてみると腹が立つ。彼らは相変わらず同じことをしている…高貴な野蛮人と幸福な奴隷をリサイクルしている」
またコメディアンのクリス・ロックは自身の番組『ザ・クリス・ロック・ショー』で『バガー・ヴァンスの伝説』を「魔法のニガー、ミガー」としてネタにした(その数年後、クリス・ロックは行き過ぎた毒舌によってはウィル・スミスにビンタされるわけだが)。
マジカル・ニグロへの擁護
個人的には「マジカル・ニグロ」が黒人の描き方におけるステレオタイプであることは否定しない。だが、そうした黒人の在り方が一律に否定されるべきとまでは思わない。
冒頭の参議院選挙とも共通するが、黒人全員が公民権運動を肯定していたわけではないだろう。日本人の全てが外国人問題に憤っているわけではないように。それよりも明日食べる飯の方が大事だという人も少なくないだろう。それを証明した一例が、今回の参議院選挙ではなかったか。
『フェンス』
2016年に公開された、デンゼル・ワシントン監督・主演の『フェンス』という映画がある。主人公はデンゼル・ワシントン演じるトロイという父親だ。
トロイはかつてニグロリーグでプロ選手として働いていたが、人種差別のためにメジャーリーグ入りは叶わなかった。それが原因なのか、当時盛り上がりを見せていた公民権運動を冷めた目で見てお入り、黒人への差別はなくなることはないと信じていた。
トロイは街のごみ収集の運転手として働き、その職に誇りを持っていた。それが当時の黒人が就ける最高位の職業だったからだ。それ以上を望む「運動」にトロイは否定的だった。
タイトルの『フェンス』はトロイの家の裏庭にあるフェンスと、子供たち世代との「断絶」の2つの意味がある。
確かにトロイの生き方は前時代的で古いものに思えるが、果たして自分がその時代に生きていたらどうだろうか。トロイの生き方もまた1つの生き方であり人生ではないのか。
現代においても連綿と続くマジカル・ニグロ的な黒人らの描き方には確かに問題もあるだろう、だがマジカル・ニグロ的な生き方も一つの生き方だと思う。過去にはそうすることでしか生きられなかった人々が数多くいるはずだ。