『ジャズ大名』エンターテインメントの中にも受け継がれる「喜八節」

岡本喜八の代表作と言えば、『日本のいちばん長い日』、『肉弾』『激動の昭和史 沖縄決戦』になるのだろうか。
特に『肉弾』『激動の昭和史 沖縄決戦』 は最も熾烈な形で戦争を経験した岡本喜八ならではの想いが込められた名作と言えるだろう。

岡本喜八の戦争体験

岡本喜八は明治大学を卒業後、1943年に東宝へ入社する。しかし徴用によって東宝での仕事はわずか三ヶ月で中断し、中島飛行機武蔵野製作所で働くことになる。
翌1944年には徴兵検査に合格し、幹部候補生として1945年に松戸工兵学校へ入学、そしてその年の4月に豊橋予備士官学校で岡本喜八は敵の攻撃に遭う。喜八の戦友たちは片手片足を失い腹からはみ出た内臓を押し込もうとしている者、頸動脈から雨のように血を流しながら「止めてくれ!」と叫ぶ者など、まさに「泥絵の具の地獄図絵」であった。そのような中にあって、喜八はまさに九死に一生を得たとも言えるが、戦争が終わった後、町内の幼友達は誰もいなくなっていたという。

冒頭にあげた作品の中で最も有名なものは終戦の日の一日の攻防を描いた『日本のいちばん長い日』だろうが、もともとは小林正樹が監督を務める予定だった作品ということもあり、岡本喜八の思いが十分に詰め込まれているとは言えないだろう(それでも喜八は本作の最後に「この戦争で300万人が死んだ」という文言を加えることに固執したという)。
逆に『肉弾』は岡本喜八が生前、お気に入っていると公言した作品でもある。今作はなかなか製作資金が集まらず、喜八自身も自宅を抵当に入れて資金を捻出したという。今作に賭ける岡本喜八の気迫が伝わってくるエピソードだ。

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『肉弾』の主人公は寺田農演じる名もなき下級兵士で(劇中では一貫して「アイツ」と呼ばれる)、彼の目から通して、戦争の無意味さ、国家への怒りが描かれていく。
『『激動の昭和史 沖縄決戦』もそうであり、岡本喜八は民間人や最前線で戦う兵士を同情的に描く一方で、司令官クラスの軍人は批判的に描かれている。
これらの作品は戦争経験者としての岡本喜八のスタンスが前面に出た作品と言えるだろう。
だが、そればかりが岡本喜八の持ち味ではない。

『シン・ゴジラ』と岡本喜八

スピーディなカット割でテンポよく展開を進めていくエンターテインメント性もまた岡本喜八作品の特徴のひとつだ。2016年に公開された『シン・ゴジラ』で総監督を務めた庵野秀明は、昔より岡本喜八のファンであり、カット割などで『日本のいちばん長い日』を参考にしたという(牧悟郎博士の写真として岡本喜八の写真が使われているのも庵野秀明から岡本喜八への敬意を感じさせる)。

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庵野秀明同様、熱烈な岡本喜八ファンとして知られているのが、小説家の筒井康隆だ。

『ジャズ大名』

今回紹介する映画『ジャズ大名』はそんな筒井康隆の小説を岡本喜八が映画化した作品だ。
主演は古谷一行(※Dragon Ashの降谷建志の父)が務めている。

時代は幕末、南北戦争の最中、突如奴隷の身分から解放された黒人たち。自由になった彼らはアフリカへ向かうという船に乗って故郷を目指すも、何ヶ月過ぎてもアフリカへ向かっている兆しもない。しびれを切らした彼らは、船の小舟に乗り込み、どこでもいいから陸地を目指して漂流する。
そんな彼らがたどり着いたのが日本の駿河国だったというわけだ(原作では南九州となっている)。

そこの大名である海郷亮勝は笛の心得もあり、彼らの演奏する音楽へ城を挙げて夢中になっていく。

「ええじゃないか」

さて、ここからは細かく解説を加えて行こう。

黒人の三人が奴隷から解放されてアメリカをさまよう場面が本作の序盤だが、動画に対して、ナレーションや心情をあらわす文字のカットが入り込むのは、サイレント時代の映画を彷彿とさせる。
本作はタイトルこそ『ジャズ大名』となっているが、時代設定はジャズが音楽ジャンルとして成立する前の時代だ。1920年代、ジャズ・エイジと呼ばれるジャズの絶頂期、映画はサイレントの時代だった。
さて、黒人の三人が日本へたどり着いたときに、浜辺には入水自殺しようとする人々がいた。その傍らを「ええじゃないか」と一団が踊り狂いながら過ぎていく。やがて自殺志願だった者もその一団に加わり、ええじゃないかと踊りながら浜辺を後にする。
実はこの場面は小説にはない、映画のオリジナルだ。だが、「ええじゃないか」踊りは岡本喜八の監督作『赤毛』でも描かれていた。そこでの「ええじゃないか」は抑圧されてきた民衆のエネルギーの爆発として描かれる。
『ジャズ大名』においては確かにその一面もあるだろうが、生の輝きの象徴にも受け取れる。

理不尽かつ、避けられない「死」を実体験として刻んできた岡本喜八には、入水自殺者の死をことさら「軽く」描いているようにも見える。それはまるで現代社会に向かって、戦争もない時代に、どうしても死ななければならない事柄など存在しないのではないかと問いかけているようにも思えるのだ。
この生と死の対立が極限に高まるのが、『ジャズ大名』のクライマックスだ。

戊辰戦争下ではあったものの、海郷亮勝は演奏に夢中になるあまり、薩摩藩と小田原藩のどちらにも味方せず、城の中をあえて彼らの通り道にしようと考える。城中の者たちは黒人たちのいる座敷路の階まで降りて、総出でジャズを楽しんでいる。
その頃、城では薩摩藩と小田原藩による戦闘で侍たちがバタバタと死んでいる。
実はクライマックスのこの場面も岡本喜八のオリジナル。原作では薩摩藩と小田原藩の戦いは存在せず、ただ、黒人たちとところ狭しとジャズを夜通し演奏するばかりなのだ(それでも小説としてきちんと仕上げてしまう筒井康隆の筆力には感服するが)。

岡本喜八の戦争観

このクライマックスでは、これまでに見てきた岡本喜八の戦争観が描かれていると思う。
ジャズに興じる城中の人々の真上で繰り広げられる戦。そのコントラストは戦争の虚しさを表現しているように思えてならない。
だが、そのスタンスは反戦というよりも厭戦に近いのかもしれない。
『肉弾』のラストシーンは「アイツ」がドラム缶のなかで白骨化したまま、現代になってもなお、政府や戦争指導者への怒りを怒鳴り続けているという場面で終わる。
その怒りは岡本喜八自身のものでもあっただろう。

だが、『ジャズ大名』は戦への怒りは一切語られない。ただ、お互いがまるで別世界のごとく、関わらないまま、一切が過ぎてゆくばかりだ。
岡本喜八自身は反日米安保主義者だったらしいが、安保は締結されてから一度も解除されることなく、世界で戦争が終わることも、またアメリカの核の傘の下にいる日本が完全な中立に立つこともなかった。
果たして、『ジャズ大名』のクライマックスに、岡本喜八の一抹の諦観を感じるのは私だけだろうか?

なぜタモリ⁉

ちなみに、『ジャズ大名』ではラストに一瞬タモリが映り、エンディングを迎える。何も知らなければなぜタモリ?と思ってしまうが、実はタモリ自身ジャズに造詣が深く、今作にとして関わっている山下洋輔らとの繋がりも深い。タモリの芸能界に入るきっかけこそ、福岡で開かれていた山下洋輔らの酒宴に飛び入りで参加したことだったのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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