『バック・トゥ・ザ・フューチャー』デロリアンという車に込められた夢

バック・トゥ・ザ・フューチャー』は1985年に公開された、ロバート・ゼメキス監督、マイケル・J・フォックス主演のSF映画だ。
おちこぽれの高校生マーティ・マクフライが、親友で変わり者の発明家、ドクの開発したタイムマシンで30年前の1955年にタイムスリップしてしまう。

さて、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の影の主役と言えば、それはもちろんデロリアンだろう。
しかし、1985年当時、すでにデロリアンは製造中止になっている。そんなクルマがなぜ大々的にフィーチャーされているのか?
なぜデロリアンがタイムマシンのベースに選ばれているのか?

今回はそんなデロリアンについて詳しく見ていこう。

冷蔵庫からデロリアンへ

バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本を務めたボブ・ゲイルは、当初の脚本ではタイムマシンのベースとなるのは冷蔵庫の予定だったという。
この冷蔵庫型タイムマシンだが、普段はドクの部屋にあり、移動はトラックに乗せて運ぶイメージだったそうだ。

エネルギー源が核である点はデロリアン型と変わらないが、劇場公開版が「1955年ではプルトニウムは手に入れるのが困難」という理由で雷の電気をエネルギーとして使うようになったのに対して、初期の脚本では、ネバダの核実験場で核爆発のエネルギーを利用して現代にタイムスリップするという設定だったそうだ。
しかし、映画が予算オーバーになったため、最も費用のかかる核実験場の場面(100万ドルもの追加費用がかかることが判明した)をカットせねばならなくなったという経済的な事情と、冷蔵庫にした場合に、子供が真似して冷蔵庫に入ってしまう危険性を考慮し、デロリアンに変更となった。
後に、これらの変更は結果として物語が格段に良くなったとボブ・ゲイルは語っている。
余談だが、核実験場と冷蔵庫というアイデアは年に2008年に公開された『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』で復活している。核爆発の放射能を冷蔵庫で防げるわけがないと日本国内では失笑を買ってしまったのだが。

劇中でドクはデロリアンをタイムマシンのベースにした理由について、ステンレスボディがタイムマシンにとって好都合であるということと「見た目かかっこいいから」と述べている。
ドクの言葉を裏打ちするかのように、ボブ・ゲイルは、デロリアンが未来的な宇宙船のようでありながら、なおかつドクが自宅の作業場で改造できてもおかしくないようなタイムマシンにも見えたからとも語っている。
加えて、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の製作当時は、デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)の社長であったジョン・デロリアンが薬物絡みのスキャンダルによって連日テレのビニュースに取り上げられていた。それが映画の宣伝にも役立つのではと考えた面もあったようだ。

ここからはデロリアンを作った男、ジョン・デロリアンについても見ていきたい。

ジョン・デロリアン

ジョン・ザカリー・デロリアンは1925年1月6日にデトロイトで生まれた。デロリアンの父はフォードで働く工員で、子供の頃から自動車に囲まれた環境で過ごした。彼は自然に自動車エンジニアへの道を歩み、クライスラー工業大学で学位をとった。
学業は抜群で、優秀な自動車エンジニアを輩出したローレンス工科大学へと入学。第二次世界大戦が始まると、陸軍に徴兵され、3年間を軍隊で過ごす。1946年に名誉除隊になるとクライスラーでアルバイトしながらローレンス工科大学を卒業。
しかし、デロリアンが最初に選んだキャリアは自動車会社ではなかった。デロリアンは「コミュニケーション能力を磨くために」生命保険の販売員となった。その後はファクトリー・エクイップメント・コーポレーションで働くが、どちらの仕事もデロリアンの興味をそそるものではなかった。

クライスラー

そんな中、クライスラーの職長に誘われてクライスラーへ転職。これがデロリアンと自動車業界におけるキャリアの第一歩となる。デロリアンがクライスラーに在籍したのは1年にも満たなかったが、その間にクライスラー工業大学で自動車工学の理学出資号を取得した。

パッカード

次にデロリアンはパッカード・モーターカンパニーへ転職。この時パッカードは財政難に陥っていたものの、昔ながらの高級車路線で緻密な設計の理念を持つ会社でもあり、その姿勢はエンジニアとしてのデロリアンにも大きな影響を与えることとなった。
1954年にパッカードはスチュードベーカー社と合併を決定する。この時デロリアンはスチュアートベーカー側で働こうと考えていたが、ゼネラルモータースの副社長からオファーを受け、ゼネラルモータースへ転職する。

ゼネラルモーターズ

ゼネラルモーターズでもデロリアンはエンジニアとして革新的な技術を生み出し、1961年にはチーフエンジニアにまで昇格した。
ゼネラルモーターズにおいて、デロリアンは同社の「高齢者向け」というイメージを払拭し、若者向けのポンティアックGTOなどのクルマを開発。

その後1969年には、落ち目にだったシボレー部門を担当、デロリアンはシボレーをすぐに復活させ、なんと過去最高益まで稼ぎ出してしまう。
デロリアンはその手腕と結果が認められ、やがて、ゼネラルモータースの取締役、副社長にまで上り詰めていく。

派手好きでハンサムなデロリアンは、幾多の美女と遊び回り、何度も雑誌やタブロイドの表紙をかざるなど、そのライフスタイルは人々の憧れでもあった。

自動車業界で伝説と呼ばれ、その名を馳せたデロリアンだったが、一方ではゼネラルモータースの保守的な社風にうんざりもしており、かつエンジニアとして、自らの理想のクルマを作りたいという思いもあった。

デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)

1975年、ついにデロリアンは自分の名を冠した、デロリアン・モーター・カンパニーを設立する。

DMC-12

そして翌年にはDMC-12(通称デロリアン)のプロトタイプが発表された。この12という数字は、もともとデロリアンがこのクルマを1万2000ドルで発売する予定があったからだ。
ボディのデザインはイタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロがデザインし担当し、機構面はロータス・カーズが請け負った。ボディの素材はなんとステンレス。これは1936年にフォードが生産したステンレス製のセダンに着想を得ている。ステンレスなので当然錆びには強く、デロリアンは今でも廃車同然の状態であっても、外見からはとてもそうは見えない。
ちなみにデロリアンの角ばった外見だが、これはステンレスが非常に加工しづらい素材であることが影響している。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でのドクのセリフのように「かっこいい」外見と、ガルウイングまで備えたデロリアンには当初多くの期待が寄せられていた。ジョン・デロリアン自身も、このクルマに対してはコルベットの半分の重さで、ポルシェよりも燃費のいいものになると明言していた。

デロリアンの弱点

だが、デロリアンの生産は困難の連続であった。まずは機械的な欠陥が判明、加えて、量産車としてプロトタイプをさらに改修したことから、販売額は1万2千ドルを大きく上回る、2万5千ドルという倍以上の価格になってしまった。
市場に投入できるタイミングも当初より遅れ、1981年にようやく目処が立った。しかし、一刻でも早く販売したいというデロリアンの希望によって、クルマの厳格な性能テストは省かれてしまった。そのため、搭載していたエンジンが車体の増加した重さのために想定していたパフォーママンスを発揮することができず、デロリアンが構想していた「理想のスポーツカー」とは裏腹に、平凡なパフォーマンスしか示せなかった。

デロリアンの販売台数も、見込んでいた1万から1万2000台という台数はクリアできず、その約半分となる6000台にとどまってしまった。
また、発売後もエンジントラブルなどユーザーから多くの苦情の声も寄せられてしまい、それらが大量の受注キャンセルを生んでしまう。
DMCの経営も悪化していくが、イギリス政府はDMCへの補助金の交付を拒否したことで、DMCは1982年に破産を宣告。
結局、デロリアンはは1981年1月21日から1982年12月24日までの間に約9000台が製造され、そのうち6500台が現存すると考えられている。

ジョン・デロリアンの逮捕

その後、ダメ押しのようにデロリアンがFBIによってコカイン所持の疑いで逮捕される。華々しいライフスタイルを謳歌していたデロリアンの逮捕は一大センセーションとなった。

この顛末は2018年に公開された、デロリアンの伝記映画『ジョン・デロリアン』に詳しい。
『ジョン・デロリアン』の主人公はデロリアンではない。彼の隣人であるジム・ホフマンだ。
1977年、パイロットのジム・ホフマンは麻薬密売の現場をFBIに押さえられてしまう。罪を逃れる代わりにホフマンはFBIの情報提供者となる。彼の隣人は成功者者として有名なジョン・デロリアン。自動車業界で華々しい経歴と革新を行ってきたデロリアン。美しい妻子とともに豪邸に住み、夢を追いかけるデロリアンの人生にジムはあこがれと嫉妬を抱く。
だが、デロリアンが新たに立ち上げたデロリアン・モーター・カンパニーの資金繰りが悪化していることを知ったジムは、デロリアンの麻薬取引の情報をつかみ、FBIにデロリアンを売り渡す。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とデロリアン

ジョンデロリアンの逮捕で、デロリアン・モーター・カンパニーの復活の夢は完全についえた。しかし、デロリアンの逮捕から3年後、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の公開によって、デロリアンはこれまでにない知名度と人気を獲得する。それは日本でも例外ではない。

日本でのデロリアン

日本にも今現在、150台程度のデロリアンが存在しているという。そのオーナーの多くが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を通してデロリアンに惹かれたという。
ちなみにロックバンドGLAYのギタリスト、HISASHIも憧れのクルマとしてデロリアンを挙げている(実際買おうとしてニューヨークまで向かったが、居住性が悪すぎたらしい)。
HISASHIと対談したまた著書『間違いだらけのクルマ選び』で有名な自動車評論家の故・徳大寺有恒氏もジョン・デロリアンを指して「あれほどクルマ作りに情熱を注いだ人もいない」と語っている。

その後のデロリアン・モーター・カンパニー

1995年にはジョン・デロリアンが創業したDMCの商標を引き継いで新たにテキサス州で「デロリアン・モーター・カンパニー」が設立されている。2011年には新生DMCはデロリアンを2013年までに電気自動車化するという発表も行っており、2022年にはその生産に入っていることを発表した。

ジョン・デロリアンは2005年に82歳で死去したが、彼が描いた夢はいまだに潰えず、世界中に夢を与え続けている。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の公開後、ジョン・デロリアンは脚本を務めたボブ・ゲイルに手紙を送っている。そこにはこう書いてあったそうだ。

「私の夢を生かし続けてくれてありがとう」

 

最新情報をチェックしよう!
NO IMAGE

BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

CTR IMG