『メカゴジラの逆襲』本多猪四郎が取り戻したかったゴジラとは?

昭和のゴジラ映画は本多猪四郎に始まり、本多猪四郎に終わったと言っていいだろう。
1954年に公開された第一作目の『ゴジラ』、そしてシリーズが一旦休止となった『メカゴジラの逆襲』、どちらも監督を務めたのは本多猪四郎だ。
しかし、そこで描かれるゴジラは、全くの別物に思えるほど変容している。

変容していくゴジラ

1954年に公開された『ゴジラ』は紛うことなき、恐怖の存在であった。水爆実験によって誕生し、あたりに放射能を撒き散らす。復興しかけた日本を再び奈落の底へ落としていく。通常兵器では歯が立たず、もはや祈るしかないところまで追い詰められる。
しかし、いつしかゴジラは子どもたちのアイドルとなり、ヒーローとなった。そこに水爆の恐怖の象徴としての役割はみじんも感じられない。

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本多猪四郎はシリーズ第三作目の『キングコング対ゴジラ』で再びゴジラ映画を監督するが、この映画からゴジラが「変質」していったという意見には同意しており、この作品のゴジラの描かれ方には抵抗があったという。
本多猪四郎の著書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、「東宝の怪獣ものの路線の作り方っていうのは、こういうことだと。戦わせたら面白いというだけのものでしょう。ただし、こういうものであっても、監督というのは自分の作品になるからね。それで手を抜くことにはならないんですよ。手を抜いたら、そんなものできるはずないんですよ」と述べており、本多猪四郎の映画職人としての実直さがて見てとれる。

その後も本多猪四郎は、『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣総進撃』など昭和の多くのゴジラ映画を監督している。作を増すごとに子どもたちのヒーローへと変質し、擬人化していくゴジラのあり方には否定的だったと言うが(『三大怪獣 地球最大の決戦』でも、すでにゴジラたち怪獣が対話するという擬人的な描写があったが、割り切って演出したと述べている)、それでも予算の縮小を続ける東宝特撮映画において、予算内できっちり作品を仕上げるという意味でも本多猪四郎は重宝されたのだろう。

本多猪四郎の盟友として、黒澤明が知られている。のちに本多猪四郎は助監督の立場として多くの映画で黒澤明とタッグを組むことになるのだが、そんな両者の映画作りは以下のように評されている。

「“飯を作れ”というと、黒澤は食べきれないほどのフルコースを用意する。本多は綺麗に重箱に詰めてくる」

『メカゴジラの逆襲』

さて、そんな本多猪四郎の最後の監督作となったのが今回紹介する『メカゴジラの逆襲』だ。
結果的に昭和の「ゴジラ」シリーズの最終作となった本作だが、当初はこれで終わりではなく、次回作も予定されていたという。しかし、邦画の斜陽による不況(『メカゴジラの逆襲』の公開年である1975年に国内における邦画の興行収入は洋画に逆転されている)や、観客動員数が93万人と当時のワーストを記録してしまったこともあり、ゴジラは一旦『メカゴジラの逆襲』を最後に休止期間へ入る。

本多猪四郎は『メカゴジラの逆襲』について「ゴジラ再生につながる作品にしたい」と述べていたという。
本多猪四郎の言う、「ゴジラ再生」とは何だったのか。今回は『メカゴジラの逆襲』を通して、本多猪四郎が何を取り戻したかったのかを見ていきたい。

個人的には、本多猪四郎の持ち味でもあるニューマニズムや人間ドラマは確かにあるものの、観客が慣れ親しんだ、それまでのゴジラ映画のイメージからの脱却に苦心しているようにも思えてしまう。
前作『ゴジラ対メカゴジラ』の直接的な続編である本作は、学界から追放された異端の科学者、真船博士とその背後で再びメカゴジラを操る人ブラックホール第3惑星人と、人類の戦いを描いている。
人間ドラマを大切にしてきた本多猪四郎らしく、前半はほとんどゴジラもメカゴジラも登場しない。そのかわりに登場する怪獣がチタノザウルスだ。劇中では、怪獣ではなく一貫して恐龍とよばれている。

まず、冒頭で前作で倒されたメカゴジラの素材を回収しようとした潜水艦「あかつき」にチタノザウルスが襲いかかる。海洋研究所の生物学者である一之瀬は、絶滅したはずの恐龍の生存とともに、本来穏やかな恐龍であるはずのチタノザウルスが凶暴化していることに驚く。
一之瀬は真船博士を訪ねる。真船博士は15年前、チタノザウルスを発見、コントロールしようとして学会を追放された過去があった。しかし、応対した真船博士の娘、桂は父は死んだと言い切り、またいかなる研究の情報も渡すことはできないと言い、一之瀬らを追い返す。

サイボーグ少女 桂

桂を演じたのは藍とも子。藍は本作のオーディション当時、『ウルトラマンレオ』に松木晴子隊員役で出演中であったため、オーディションに隊員の格好のままで駆けつけたという。
しかし、実は真船博士は生きていた。チタノザウルスのコントロール装置を取り付け、娘の桂の意識と同調させていたのだ。
桂自身もチタノザウルスとの同調実験の途中で命を落としており、ブラックホール第3惑星人の技術により、サイボーグとして蘇った存在であった。

本多猪四郎のヒューマニズム

真船博士は娘の復活と引き換えに、ブラックホール第3惑星人の地球侵略へ手を貸すこととなる。
本作における真船博士はいわゆるマッドサイエンティストと呼ばれる人物だが、悪人ではない。監督の本多猪四郎は、自らの戦争経験によって、「本当の悪人など存在しない」という考えを抱いていた。例え悪人として描かれていても、それは彼らがそうならざるを得ない環境にいただけだという。

愛する子供の命を再び取り戻せるのなら、例え悪魔とでも契約する…その行為、その愛情を誰が否定できるだろうか?
本作は科学と倫理の関係、またラブロマンスの要素を持ち込んだという点においても第一作目の『ゴジラ』と共通する部分がある。

メカゴジラ2

何度断られ続けても、なおも真船博士の研究を諦められない一之瀬に、桂は博士の唯一残っていた研究ノートを手渡す。そこに書かれていた内容に感銘を受けた一之瀬はその思いを桂に直接伝える。それまで人間を憎み続けていた桂にとって、一之瀬はあまりに遅すぎた「理解者」であった。
桂はブラックホール第3惑星人の手によって再改造を施され、彼らが復活させたメカゴジラ(メカゴジラ2)と桂の意識を同調させる。メカゴジラは、桂の人間社会に対する怒りをそのままエネルギーとし、チタノザウルスともに、ゴジラへ攻撃を開始する。

チタノザウルス対策用に、一之瀬は超音波撃退装置を開発するが、いざ実戦投入という時に何者かに破壊されていることが判明。
また、一ノ瀬は真船邸へ向かうも、ブラックホール第3惑星人に捕らえられる。そこには桂と共に真船博士の姿もあった。

「私は博士を信じています」

そう言う一之瀬に真船博士は「何もかも遅すぎたのだ」と言い放つ。その言葉通り、チタノザウルスとメカゴジラは真船親子の怒りのままに暴れ回り、ゴジラを窮地に追い詰める。
だが、そこに超音波での攻撃が開始され、チタノザウルスが苦しみ始める。そして超音波はチタノザウルスを通して、桂にもダメージを与えてしまう。一之瀬は桂に「たとえサイボーグでも僕は君が好きだ」愛を伝え、桂もようやく自我を取り戻す。

「お願い、私を壊して。私の体の中に煮はメカゴジラの作動装置が組み込まれているの」

それはできないという一之瀬に、桂はブラックホール第3惑星人の残した手に取り自決する。
司令塔を失ったメカゴジラをゴジラは破壊し、戦意喪失して逃亡しようとするチタノザウルスに熱線を放つ。

本多猪四郎は宇宙人やサイボーグであっても相手を好きになったら男女の恋は成立するが持論であったという。本多猪四郎の作品では『ガス人間第一号』も同じく人間と人間にあらざる者との悲恋が描かれている。彼らはガス人間だから、サイボーグだから悪人になったのではない。

髙山由紀子の脚本

本作の脚本はゴジラ映画を通して唯一、女性である髙山由紀子が手掛けている。もともと本作の脚本はシナリオ学校の学生を対象としたコンペによって選ばれる予定で、そこから髙山由紀子のものが選ばれたという経緯がある。高山は当時主婦業の傍らでシナリオ学校に通っており、ゴジラ映画に関しては、ゴジラの大ファンだった息子を通して観たことしかなく、特に初期のゴジラは観たことがなかったという。
そんな高山が脚本を書くに当たって唯一参考にしたのが第一作目の『ゴジラ』であった。恋愛要素や科学の要素など、第一作目と共通する部分が多いのも納得できる。
真船博士を演じたのは、『ゴジラ』で芹沢大助を演じた平田昭彦だが、平田はこの真船博士について「芹沢博士の延長線上にいる人物」とイメージして演じていたという。
ちなみに、初期の検討用の台本では、チタノザウルスは雌雄それぞれの恐龍として登場する予定であった(それらが合体して一つの恐龍になるというアイデアもあったらしい)。

チタノザウルス

さて、このチタノザウルスだが、劇中で麦踏みのような動きをするシーンがある。特撮を担当した中野昭慶によると、チタノザウルスの演者の二家本 辰己がリハーサル時に腕を後ろに組んでいた様子ををヒントに麦踏みを知らない子供が親に尋ねることで親子の会話が生まれることを狙ったものだという。
私が序盤で今作の印象について「それまでのゴジラ映画のイメージからの脱却に苦心しているようにも思えてしまう」と述べたが、これは本編と特撮部分のこうしたチグハグさにもあるのかもしれない。

本多猪四郎が擬人化されてゆくゴジラに否定的だったとは既に述べたが、一方て中野昭慶は『怪獣大戦争』でゴジラにシェー(赤塚不二夫の漫画作品『おそ松くん』の登場人物イヤミが行うギャグで当時流行していた)をさせてみたり、『キングコング対ゴジラ』ではゴジラにスポーツの動きを取り入れた当時の特技監督の円谷英二の発想を絶賛しており、「ゴジラ映画をシリーズ化させる大きな原動力となったんじゃないのかなと思う」と述べている。
本編のカットでも、子供たちがチタノザウルスを間近で見ようとして、逆にチタノザウルスに踏まれそうになり、ゴジラに助けを求めるシーンがあるが、これもゴジラのヒーロー感をどこまで残すのかの苦渋の判断の結果であったかもしれない。

このチタノザウルスだが、本来は温和な性質の恐龍が人間によって操られ、戦意喪失して逃亡しようとしたところを更にゴジラにトドメをさされるなど、個人的には今作の中でも最もかわいそうなキャラクターだと思うのだが。

「ゴジラ再生」は叶ったのか?

1984年に復活した『ゴジラ』は賛否両論の出来ではあったが、再び核の象徴という側面が強くなり、人間たちのヒーローではなく、むしろ国際社会まで含めた人類全体の脅威として描かれている。
また、本作の真船博士のように、愛する人を例え倫理に背いても、蘇らせようとするのは、復活した『ゴジラ』の続編である『ゴジラVSビオランテ』に通じている。
1991年に公開された『ゴジラvsキングギドラ』以降の、いわゆる平成VSシリーズでは、昭和のシリーズに登場した怪獣たちのリバイバルと対決路線という昭和ゴジラの特長を孕みつつも、ゴジラそのものはほとんどの作品で人類の敵として描かれている

そして、2010年以降のゴジラ映画『シン・ゴジラ』、『ゴジラ-1.0』である。平成VSシリーズは平均して20億円弱を稼ぎ出すドル箱シリーズとも呼ばれていたが、2010年代以降のこの2作に関してはどちらも80億円近くを叩き出す、邦画全体におけるキラーコンテンツと言うべきレベルにまで達している。

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この2作に関しては、徹底的に大人向けのゴジラ映画として製作されており、ゴジラは純粋な一作目同様、人類の脅威として描かれている。また、誕生の経緯に核実験があったり、放射能をまとった存在というのも第一作目と共通している。
なかでも『シン・ゴジラ』における牧悟郎博士は、自身の研究が理解されず、学会を追放され、人類の脅威となる怪獣の創造に加担するという設定が、『メカゴジラの逆襲』の真船博士とも共通している。

『メカゴジラの逆襲』は公開から50年が経った。監督を務めた本多猪四郎も1993年2月28日に呼吸不全によって他界している。今振り返ると観客動員数ではワーストという結果に終わった本作だが、「ゴジラ再生につながる作品にしたい」という本多猪四郎の想いは確かに叶っているように感じる。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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