
キムタクは何を演じてもキムタク?
「キムタクは何を演じてもキムタク」
昔から木村拓哉はそう言われ続けてきた。
確かに、大ヒットした『HERO』『『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』のテレビドラマなどでは、ちょっと生意気で、負けん気が強くて、ちょっと尖ったところのある男を演じている。
加えてあの美貌である。そりゃあまりにカッコいい。「キムタクは何を演じてもキムタク」そうでも言いたくなる気持ちもわかる。
だが、個人的には世間のそうした声に強く違和感を感じていた。
「キムタクは何を演じてもキムタク」・・・そう言われてしまうのは、作り手が木村拓哉にいつも同じようなキャラクターを求めてしまうからではないのか?
そう思ったきっかけは2006年に公開された『武士の一分』を観たからだ。同作で木村拓哉が演じるのは、毒見役の仕事で貝の毒に当たって盲目になった武士、三村新之丞。彼の妻の加代は家禄のために藩の有力者である島田に体を許してしまう。新之丞は怒りのあまり加代を離縁するも、家禄の存続は島田の力ではないことを知り、新之丞は盲目ながら島田に果し合いを挑む。

『武士の一分』のワンシーン。盲目になった戸惑いと悲観がこれでもかと溢れる
新之丞は世間の思う「キムタク」ではない。何しろ、いきなり盲目になった男だ。弱さを見せずにいられないわけがない。寡黙だが、自分のこれからの長い苦難と目の前の困難に直面する下級武士。そんな繊細で難しい役柄を木村拓哉は見事に演じて見せた。
『TOKYOタクシー』
『武士の一分』で監督を務めた山田洋次が、今回19年ぶりに木村拓哉と再びタッグを組んだのが『TOKYOタクシー』だ。主演は木村拓哉と山田洋次作品の常連である倍賞千恵子。クレジット順はなんと倍賞千恵子が先であり、ここからも山田洋次の倍賞千恵子に対する圧倒的な信頼を感じてしまう。
私が『TOKYOタクシー』を観ようと思ったきっかけは、SNSの賞賛の声だった。同じく2025年11月21日に公開された『果てしなきスカーレット』の方が(賛否含めて)圧倒的にタイムラインを埋め尽くしてはいたのだが、その片隅で絶賛されていたのが今作だったのだ。ちょっとノスタルジックでほのぼのとした作品で『果てしなきスカーレット』の賛否の激流から少し離れたかったのもある。そもそもロードムービー大好きだし。
今作で木村拓哉が演じるのは不愛想で冴えないタクシー運転手の宇佐美浩二。浩二は受験生の娘の推薦合格が決まったことに喜ぶも、その入学金(100万円)の準備に苦悩する。「カッコいいキムタク」とは真逆とも言える役柄だが、やはりこうした少し憂いや影のある役だと木村拓哉は抜群に上手い。

『TOKYOタクシー』で木村拓哉が演じる宇佐美浩二はごく普通の家庭人だ
浩二はヘルニアで動けなくなった同僚から電話で、ある女性客の送迎の代わりを頼まれる。最初は渋る浩二だったが、その送迎がかなりの長距離だと知り、眠い目をこすって浅草へ向かうことに。
道中で姉にちなみに同僚として電話の声の出演を行ったのは明石家さんま、浩二の姉を演じた(とはいってもスマホの画面+声だけだが)のは大竹しのぶの元夫婦である。YouTubeで公開されているメイキングでは、明石家さんまの撮影シーンを確認することができる。
『男はつらいよ』
倍賞千恵子演じる高野すみれを迎えに浩二は帝釈天へ車を走らせる。帝釈天と倍賞千恵子。これはそのまま『男はつらいよ』ではないか。

二人の旅は帝釈天から始まる
山田洋次が監督として注目されるきっかけになった最初の作品こそ『男はつらいよ』だ。
『TOKYOタクシー』は高野すみれが人生の最後に東京の思い出の地を宇佐美浩二と共に振り返る作品だが、今作は山田洋次の人生を振り返る映画だとも言えないだろうか?
東京大空襲と言問橋
タクシーの中ですみれは自身の半生を語り出す。5歳の頃、東京大空襲で父を亡くしたこと。
その場所は言問橋。東京大空襲こそ戦時中における原爆投下や沖縄戦と並ぶ惨禍だが、言問橋は東京大空襲の中でも最も多くの被害者を出した場所だ。大空襲の日、浅草でも、その対岸の向島でも「川の向こうに行けば助かる」と互いに言問橋を渡ろうとし、橋の上は多くの人が密集し、進退窮まる状態となった。そして、運悪くそこに焼夷弾が落とされた。
すみれは言問橋のそばの慰霊碑に手を合わせる。
ちなみに、終戦から戦後の頃、言問橋のそばでは、空襲で家を焼かれた人たちが元手のいらない廃藩回収業を始め、「蟻の会」という共同体を作り上げた。蟻の会は外部からは「蟻の町」と呼ばれた。
蟻の町に関しては、1958年には蟻の街で奉仕活動に従事した北原怜子をテーマにした『蟻の街のマリア』という映画が公開されている。
また、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の194巻にも『霧の中のアリア』という、蟻の町をテーマにした話がある。
在日朝鮮人と北朝鮮への帰国事業
タクシーへ戻ったすみれは、若いころの憧れの男性との恋愛を浩二に語る。だが、その愛した彼、キム・ヨンギは在日朝鮮人で、祖国の帰還事業で北朝鮮へ渡り、その後二度と会うことがなかったと話す。
この北朝鮮への帰国事業は、金日成の発案であり、日本にいる在日朝鮮人を故郷へ帰国させ、日本の発展よりも北朝鮮の発展に尽力してほしいという思いから生まれたものだ。当時、韓国が在日朝鮮人の受け入れを拒否していたことは対称的に、北朝鮮は積極的に「北朝鮮は地上の楽園である」と喧伝し、在日朝鮮人の受け入れを行っていた。ただし、1950年代までは北朝鮮は韓国よりも経済発展していたことは事実である。この北朝鮮への帰国事業(とは言っても在日朝鮮人の多くは韓国出身者が多かったが)は1984年まで続けられていたが、日本と北朝鮮の行き交いが、北朝鮮から日本への工作員送り込みのカモフラージュになったとも言われている。
その後もすみれの人生は波乱万丈である。
ヨンギがすみれのお腹に残した息子の、再び恋に落ちて結婚した男、小川からのDVや、息子への虐待。すみれは復讐として小川の性器に熱湯をかけて大火傷させ、殺人未遂で服役も経験したという。

裁判を受ける若い日のすみれ。演じているのは蒼井優
「当時はDVなんて言葉もなくて、夫婦間の暴力は離婚の理由として認められなかった」とすみれは語る。
一方で、逮捕されたすみれは当時のウーマン・リブ運動の盛り上がりを受け、一部の人々には熱烈に支持された。
ウーマン・リブの運動は戦後のアメリカで発生した。まずそのきっかけは、戦後復員したアメリカ兵の職の確保のために多くの女性がそれまでの職を手放さなければならなかったことにある。その次が公民権運動だ。公民権運動は有色人種差別の撤廃、法の上での平等を目指した運動だが、皮肉にもその運動の中で女性の差別が浮き彫りとなってしまった。
女性が男性も同じように自分らしく生きる。
日本では1970年10月21日の国際反戦デーに女性だけによるデモが起きた。それが日本におけるウーマン・リブ運動の鏑矢になった。
誰よりも東京を見つめ、誰よりも東京を描いてきた山田洋次
山田洋次は東京大空襲の時には満州にいた。つまり、言問橋のエピソードは山田洋次の実体験ではない。在日朝鮮人の帰国事業も、ウーマン・リブ運動も、どこまで山田洋次が肌で感じていたかはわからない。
しかし、今現在を見渡せば、在日外国人へのヘイトスピーチや、女性差別や性加害など、今に至るまでくすぶり続けている問題でもある。
それらはただのノスタルジーではなく、現在進行系の事柄でもあるのだ。
そして、たとえ『TOKYOタクシー』で描かれていることがそのまますべて山田洋次の原風景でないとしても、山田洋次が『男はつらいよ』などの映画を通して、誰よりも東京を見つめ、東京を描いてきたことは間違いない。

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スカイツリーなど今の東京の姿も映されている
かつて山田洋次は『男はつらいよ』に関するインタビューで変わりゆく東京の風景をこう述べている。
「いつの頃からかシャッター通りが増えてきて、寅さんがぶらぶら歩くにはあまりにも寂しい風景になってしまった。撮影の時はシャッターを開けてもらって、小道具さんが品物を運び込んで…。映画のために賑やかな情景を作り出すということがよくありました」
「今、日本人が長い時間をかけて作ってきた“町の暮らし”というものが消えてしまった。経済大国にはなったけど、それで本当に幸せなのかって疑問に思います。僕の少年時代を振り返ると、お肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、米屋さん、酒屋さん、みんなの顔を思い出せる。子どもたちはお店屋さんのある環境で成長することが必要なんじゃないのかな。大型スーパーで買い物し、映画を観るのはシネコンかDVD。そんな子が、寅さん映画を観て『日本人はついこの間までこんな暮らしをしていたんだな』って気が付いてくれたらうれしいね」
その言葉のとおりに、『TOKYOタクシー』ではすみれの若い頃のエピソードと現在が交互に映し出される。
山田洋次は2025年時点で94歳。残りの時間を考えるときっと、山田洋次の「撮らねばならぬもの」と「撮りたいもの」は同じ意味ではないだろうか?
それはもしかしたら、すみれの半生を通して描いてきた日本の戦後史だけではなく、時折差し込まれるスカイツリーのショットに代表されるような「今の東京の姿」でもあるのではないだろうか?

旅は横浜ベイブリッジを超えて終わりへ向かう
浩二とすみれの旅は横浜ベイブリッジを渡り、横浜の元町商店街、そして目的地の高齢者施設の前で終わりを迎える。
きっと、『TOKYOタクシー』が切り取った今の東京の姿も、いつかはノスタルジーの光景になる。
おそらく監督もそれは分かっているだろう。だが、「心」は古びない。

たった一日の旅が二人にとってかけがえのない時間になっていく
街も、人もすべては移ろい、変わっていく。それでも変わらないものがある。
その言葉だけを並べると、陳腐なキャッチコピーのようだが、しかし、60年以上に亘って映画を通して、唯一それを証明し続けたのが、山田洋次という監督ではないだろうか。