『キャリー』殺戮のシンデレラ

※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています


あれは確か小学生の頃だったか、夜中に姉と映画紹介のテレビ番組を見ていたら、血の入ったバケツがひっくり返って頭から血を浴びているドレス姿の若い女性の映像が映し出された。その衝撃は今でもよく覚えている。
もちろん、これを読んでいる人にはもうおわかりだろう。ブライアン・デ・パルマの名作ホラー『キャリー』だ。

『キャリー』

『キャリー』は1976年に公開されたホラー映画。『キャリー』という映画を知ったタイミングこそ小学生だったが、全編を観たのは20歳を超えてからだった。個人的には『キャリー』には怖さよりも哀しさを感じる。ジャンルこそホラーかもしれないが、その根底にあるのは孤独な少女の苦しみだからだ。

『キャリー』は高校生の女の子たちのシャワーシーンから始まる。全裸の女子が見れてラッキー!と思っていると、それは股間から血を流すキャリーの悲鳴に変わる。

主人公のキャリー・ホワイトを演じているのはシシー・スペイセク。この映画でキャリーを演じた時、すでに26歳であり結婚もしていたが、幼い顔立ちもあり全くそうは見えない(ちなみに夫のジャック・フィスクも美術監督として『キャリー』に参加している)。

キャリーは高校生にして初潮を迎えたのだが、母親が狂信的なカトリック教徒であるため、全く性教育を受けておらず、いきなり血が溢れたことでパニックになる。元々内気でいじめられていたキャリーだったが、クラスメイトはそれに輪をかけてキャリーを囃し立て、ナプキンを投げつける。
その騒ぎは体育教師のコリンズの介入によって収まったが、キャリーは校長の指示もあり、自宅で休むことになる。校長もキャリーの名前を何度もキャシーと間違える。

家に帰ると、娘の生理が始まったことを知った母のマーガレットが、キャリーを「汚れた子」と呼び、狭い部屋に閉じ込め、神に許しを祈るように命じる。キャリーは生理のことを教えてくれていたらクラスメイトに笑われることもなかったのに、なぜ教えてくれなかったのかと母親に問うが、母親はキャリーの言葉に耳を貸そうともしない。

キャリーはクラスにも学校にも、家庭にも居場所がない。
だが、クラスメイトのスーだけは、キャリーをいじめたことへの罪の意識が芽生え、ボーイフレンドのトミーにキャリーをプロムに誘うように頼む。
一方のキャリーもコリンズの励ましや、サイコキネシスについても自分だけが持っている能力ではないことを知り、勇気を持って「普通の女の子」になりたいと思うようになっていた。
トミーはキャリーをプロムに誘い、キャリーは母の反対を振り切って、手製のドレスを纏い、メイクをして初めてのプロムに臨む。美しくなったキャリーはトミーとともにその夜のプロムのベストカップルに選ばれる。

血まみれのシンデレラ

『キャリー』のストーリーはまるで『シンデレラ』だ。

シンデレラも継母とその連れ子の姉たちに日々いじめられていた。
ある日、姉たちは城で開かれる舞踏会へ出かけていくが、シンデレラは貧しく着ていくドレスもない。しかし、シンデレラの前に魔法使いの妖精が現れ、シンデレラに立派な馬車と美しいドレスを与える。しかし、その魔法の力は夜の12時で消えてしまうため、それまでに舞踏会から帰らねばならない。
シンデレラが舞踏会へたどり着くと、王子は突然現れたシンデレラの美しさに心奪われる。楽しいひと時を過ごす二人だったが、時計の鐘が12時を告げ始める。シンデレラは慌てて会場を飛び出すが、その時にガラスの靴が一足脱げてしまう。
王子はガラスの靴を手がかりにシンデレラを探す。シンデレラの姉たちもガラスの靴が足に合わなかったが、貧しくみすぼらしいシンデレラの足にはガラスの靴はピッタリと合った。こうしてシンデレラは王子と結婚し、幸せに暮らした。

今日よく知られている『シンデレラ』の物語は概ねこのような感じだと思う。
実は『シンデレラ』の類似した物語は古くは紀元前から世界中に存在しているが、代表的なのはグリム童話の『シンデレラ』だろう。今日では穏やかなハッピーエンドになっているが、元々のグリム童話の『シンデレラ』には残酷な側面もある。
なんと姉二人はガラスの靴を履くために自らの足先や踵を切り落とす(当然これは流血のためにシンデレラではないと見破られる)。さらに、王子と結婚したシンデレラのおこぼれにあずかろうと宮殿に姿を見せた姉二人は小鳥に両目をくり抜かれるという壮絶なお仕置きが待っている。

『キャリー』は残酷な『シンデレラ』だ。キャリーの魔法を解くのは12時の鐘ではなく、頭上から降り注ぐバケツ一杯のブタの血だ。
血まみれのシンデレラとなった『キャリー』のその後の展開もこのグリム童話に近い。ただ、キャリーは舞踏会にいた全員を殺す。

スティーヴン・キングの処女作『キャリー』

『キャリー』の原作はモダンホラー第一人者である、スティーヴン・キングの同名小説だ。スティーヴン・キングについては今更多くを説明する必要もないだろう。『シャイニング』『グリーン・マイル』『ショーシャンクの空に』『ミスト』『ミザリー』『スタンド・バイ・ミー』など映画化された作品は数知れない。一説によると、「聖書の次に読まれた本はスティーヴン・キング」とも言われているそうだ。

『キャリー』はそんなスティーヴン・キングの処女作に当たる。原作も物語の舞台は高校であるが、キングはまだ小説家として成功していない頃、国語教師として教壇に立っていたこともあるという。キングは自らの経験をしばしば登場人物に投影している。例えば『シャイニング』のジャック・トランスのキャラクターには、キング自身がアルコール依存症に苦しんだ過去が反映されている。今回の『キャリー』にもそうしたキング自身の経験が反映されている。元高校教師だったという点はもちろんだが、そもそも本作の着想のきっかけもキングが女子大の清掃員のバイトをしている際に女子更衣室のナプキンの自販機を見て「体育の後に初潮が起こったらみんなどうするか」という考えを発展させたものだ。

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原作の『キャリー』ではサイコキネシスを暴走させたキャリーは街全体を破壊し尽くし、街は最終的にゴーストタウンと化してしまう。
映画版の『キャリー』では、キャリーが破壊するのはプロム会場とそこに集った生徒や教師たちだ。
ちなみに映画版ではなぜキャリーに優しかった教師のコリンズまで殺してしまうのか疑問が残るが、コリンズは豚の血をかけられたキャリーを一瞬嘲笑してしまったからだ。さらに原作ではキャリーに心の内を超能力で見透かされ、コリンズの優しさが偽善的なものだったということが判明する。
原作者のキングは映画を観て「原作よりも素晴らしい」と、絶賛した(そもそも『キャリー』について当初キングはその出来が気に入らずゴミ箱に捨てていたものを妻が拾い上げたというエピソードもある)が、それは破壊対象をプロム会場に限定することで、よりキャリーの復讐という側面がクローズアップされるからだろう。

聖セバスティアヌスとマーガレット

その後傷ついたキャリーは自宅に帰り、自身の行為に慄きながらも、母とともに神に許しを乞う。
母はキャリーに夫との行為について話す。夫(つまりキャリーの父親)は一度だけ母のマーガレットと行為を持った。しかし、マーガレットはその一度きりで性行為を禁止するようになった。だがその後、ある時酩酊した夫に抱かれた。心の中では抵抗したが、実は嬉しかったとキャリーに告白する。マーガレットはその晩、悪魔の誘惑に負けたのだ。そして生まれたのがキャリーだった。マーガレットにとってキャリーは愛する娘であり、悪魔の象徴でもあった。

キャリーは母に抱いてほしいとせがむのだが、母は抱く代わりにキャリーを包丁で刺し、殺そうとする。もはや汚れた娘を浄化させるには天の神の元へ戻すしかない。それは母にとって娘にやすらぎを与える唯一の方法だった。
キャリーは瀕死の状態になりながらなお自らに包丁を突き立てようとする母を超能力で殺す。
家中の刃物がマーガレットの体を突き刺す。その様はお仕置き部屋に置かれた殉教者セバスティアヌスの像と同じだった。聖セバスティアヌスはキリスト教を信仰し、広めたために処刑された。マーガレットもまた自身の信仰を貫いたことで死ぬことになったが、その死に顔はどこか微笑みを浮かべているようにも見える。

その直後、もはや制御できなくなったサイコキネシスによって家は崩壊し、キャリーはその下敷きとなって死ぬ。

それはその家がマーガレットという主を失っては存在し得ないものであるかのようだ。
その後、唯一生き残ったスーの夢の中にキャリーは登場する。キャリーのみすぼらしい墓(あり物のゴミで作られた墓標には、「地獄で焼かれろ」とスプレーで落書きがしてある)に花束を手向けたその時、墓の中から血まみれのキャリーの手が伸びてきてスーの腕を掴む(ちなみにこの手もスペイセク自身が演じているそうだ)。

この穏やかな夢の中にいきなりショックシーンが登場するという展開は『13日の金曜日』のラストシーンでもそっくりに踏襲されていた。ちなみに『13日の金曜日』では穏やかさを取り戻したクリスタルレイクで死んだはずの子どものジェイソンがいきなり現れる。

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悪夢から目覚めたスーは母親の腕の中で泣きじゃくる。
『キャリー』はこうして幕を下ろす。

シシー・スペイセクとクロエ・グレース・モレッツ

『キャリー』に関しては2013年にキンバリー・ピアース監督、クロエ・グレース・モレッツ主演でリメイクされているが、このオリジナルの『キャリー』のレベルには達していない。もちろんリメイク版の方は予算の違いもあるだろうが比較にならないほど映像表現も素晴らしいものになっている。しかしキャリーがクロエ・グレース・モレッツでは美人過ぎるのだ。

シシー・スペイセクはその痩せた体と幸薄そうな顔立ちがキャリーの臆病なキャラクターにマッチしていた(余談だが、原作におけるキャリーはチョコレートが好きで太った少女という設定だ)。
もっとも、シシー・スペイセク本人はクラスの中ではクイーン・ビー的な存在であり、またキャリー役も「絶対にキャリー役しかやらない」とブライアン・デ・パルマに直訴して獲得したという。冒頭のヌードシーンでも他の役者が躊躇する中、彼女は率先してヌードを行ったり、豚の血を浴びた姿のまま3日間過ごすなど、とにかく役柄とは対称的に、芯の強い女性であることがわかる。

もちろん演技の面でもシシー・スペイセクは素晴らしい。特にプロムでサイコキネシスを爆発させるシーンだ。リメイク版のクロエは見るからに復習鬼となり、悪意と憎しみを前身に宿し、明確な意思を持って人々を殺していくのだが、シシー・スペイセクはどこか表情も虚ろで怒りのあまり無我に達しているように見える。自分が何をしているのか、自分でも理解していないように見えるのだ。それは言い換えればキャリーに蓄積されてきた怒りや悲しみがもはや彼女にコントロールできないほど巨大なものになってしまっていたということでもある。

『キャリー』でのシシー・スペイセクの演技は絶賛され、彼女はその年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。そしてキャリーの母親を演じたパイパー・ローリーも助演女優賞にノミネートされている。次はこのパイパー・ローリーが演じたマーガレットについて見ていこう。

宗教2世の苦しみ

やはり私達の目から見ると狂信的なカトリックであるマーガレットは中々理解しづらい存在だと思う。
そもそもなぜこれほどマーガレットがカトリックを強く信仰しているのか、なぜキャリーはいじめられているのか、映画では語られない部分を解説していこう。

マーガレットは父を銃撃戦で失っている。彼女の喪失を和らげたのが宗教だった。果たしてその苦しみを誰が非難できるだろう?
ただ、キャリーのいじめの原因を作ったのもマーガレットだ。彼女が近所の人々を「自分と娘以外は地獄に落ちる」と言いながらカトリックへの寄付を求めていたからだ。ただ、その寄付だけでは生活は苦しいものだったに違いない。映画を見ると、キャリーの自宅は売りに出されている状態だ。

日本でも安倍元首相の暗殺をきっかけに宗教2世の苦しみがクローズアップされるようになった。
狂信的な親によって著しく自由が制限されたり、また経済的にも苦しい生活を余儀なくされるなどの問題が少しずつ明るみになっている。
毒親という言葉があるが、マーガレットとキャリーの関係もまたそれに当てはまるだろう。

公開から50年近く経っても今なお魅力を失わない『キャリー』だが、それは俳優の演技力とともに、今も昔も変らない普遍性のある問題が描かれているからだ。古い映画だが、今観ることでまた新しい発見を得られるかもしれない。

作品情報

『キャリー』
公開年:1976年
上映時間:98分

スタッフ

監督
ブライアン・デ・パルマ
脚本
ローレンス・D・コーエン
原作
スティーヴン・キング
製作
ポール・モナシュ
ブライアン・デ・パルマ

キャスト

シシー・スペイセク
パイパー・ローリー
ベティ・バックリー
ウィリアム・カット
ジョン・トラボルタ
ナンシー・アレン
エイミー・アーヴィング
P・J・ソールズ
シドニー・ラシック
マイケル・タルボット
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映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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