『ロッキー』はなぜアメリカン・ニューシネマを終わらせることができたのか?

『ロッキー』がアメリカン・ニューシネマを終わらせたー。

ボクシング映画の金字塔であり、シルヴェスター・スタローンを一躍スターダムに押し上げた『ロッキー』は多くのメディアからそう評されてきた。

アメリカン・ニューシネマ

アメリカン・ニューシネマとは、1960年代末から1970年代にかけて流行した、それまでのハリウッド映画とは異なるテーマを持った作品たちのことだ。
1960年代に始まったベトナム戦争は報道規制が敷かれなかったために、戦争の残酷さ、戦場の悲惨さを世界に知らしめることになった。アメリカ政府ははを大義に多くの若者をベトナムへ送り込んだが、彼らが戦場で体験したものは想像を絶する悪夢だった。政府に失望した若者たちに寄り添うように支持された映画がアメリカン・ニューシネマと呼ばれるジャンルの作品たちだ。

アメリカン・ニューシネマはそれまでのハッピーエンドを否定し、社会への反抗や個人の挫折や無力さを描いた物語となった。例として『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』『タクシードライバー』『カッコーの巣の上で』『真夜中のカーボーイ』などが挙げられるだろう。
だが、ベトナム戦争の終わりと共にアメリカン・ニューシネマの人気も徐々に下火になっていく。そして『ロッキー』の登場によってアメリカン・ニューシネマの終わりは決定的になった。

『ロッキー』

『ロッキー』はそれまでの社会に対する個人の無力ではなく、社会すら変えてしまうような個人の可能性を描いた。
『ロッキー』が公開されるまで、シルヴェスター・スタローンもロッキー同様に貧しい暮らしをしていたのは有名だ。無名の俳優やスタッフが作り上げた低予算の映画になぜハリウッドを変える力があったのか。
今回は『ロッキー』を解説していこう。

シルヴェスター・スタローンは1946年7月6日にニューヨーク、マンハッタンのヘルズ・キッチン地区で生まれた。出産時の事故により、スタローンの顔面は麻痺し、今日までのスタローンの特徴である、独特の風貌と舌足らずな発音が生まれた。それらは俳優としては致命的なハンディキャップでもあり、スタローンは20代のほとんどを下積み生活に費やすこととなる。

出演するか、強盗するか

初主演作はポルノ映画である『The Party at Kitty and Stud’s』。当時のスタローンはホームレス生活をしており、「出演するか、強盗するか」というところまで追い詰められていた(それでも本作の報酬はわずか200ドルだった)。
だが、そこからスタローンのキャリアが好転することはなかった。2年後の1972年の時点でも『ゴッドファーザー』のエキストラ役を得ることもできず、他の作品に端役やエキストラでの出演が続いた。

Tシャツ25枚のギャラ

そんな中でスタローンが数少ない準主役級の役を演じることができた作品が『ブルックリンの青春』という映画だ。本作は「フラットブッシュの領主」を自称する不良少年四人組の自由な日々と、彼らが進路や結婚など人生の岐路に容赦なく立たされることを描く物語だ(ちなみに原題は「フラットブッシュの領主」を意味する『The Lords of Flatbush』)。今作は予算不足から製作には3年の月日が掛かっている上に、スタローンのギャラはなんとTシャツ25枚の現物支給だったという。
スタローンも気づけば30歳になろうとしていたが、オーディションには落とされ続け、俳優としてもヒット作には恵まれず、先の見えない状態が長く続いていた。
『ロッキー』の始まりはそんな貧しい日々のなかでスタローンがあるボクシングの試合を見たことがきっかけだったそれはモハメド・アリとチャック・ウェプナーの試合だった。

咬ませ犬の逆襲

世界最強と言われていたアリに対し、ウェプナーもスタローン同様に様々な仕事を転々として食いつないでいるボクサーであった。かろうじて世界ランクにはいたものの、すでに年齢は35歳、ボクサーとしてのピークはとっくに超えていた。当然ファイトマネーだけでは生活できず、昼は酒屋で、夜は工場の警備員として働いていた、世間的には全く無名のボクサーだった。
ウェプナーは世界ランキングに踏み止まってはいたが、ファイトマネーだけでは生活できず、日中は酒屋の配達、夜は工場の警備員として働く35歳のファイターだった。

アリにとって、ウェプナーは咬ませ犬であり、その試合は楽な防衛戦になるはずだったが、第9ラウンドにウェプナーはついにアリからダウンを奪う。
アリは試合には勝利したが、同時に「ウェプナーとは二度と対戦したくない」という言葉も残している。
その衝撃的な展開にスタローンが着想を得たのが『ロッキー』だ。

スタローンは3日で脚本を書き上げ、映画会社に売り込んだ。脚本は高く評価されたものの、無名の俳優の主演映画に多額の予算が許されるはずもない。スタジオ側は脚本を高く評価し、高値で買い取ろうとする一方で、主演にはアル・パチーノやポール・ニューマンなどのビッグスターを起用することを条件として提示してきた。しかし、スタローンは自分が主役を演じることを頑として譲らなかった。『ロッキー』は他でもない、スタローン自身の物語だったからだ。

ロッキーは30歳になっても芽の出ないボクサーであり、ボクシングだけでは食べていけないために、昼間は地元の高利貸しの取り立て屋として働いていた。しかし、性根の優しさが災いし、無理やり借金を取り立てることができずに、雇い主には責められ、ボクシングも真剣に取り組むことはなく、その日を生きることだけに甘んじていた。

フィラデルフィアでの「復活」

『ロッキー』のファーストショットは壁に飾られたキリストの絵から始まる。監督のジョン・G・によると、それは「『ロッキー』は復活の物語だから」だという。
ロッキーの舞台はフィラデルフィアだ。フィラデルフィアはアメリカで建国宣言が出された都市でもあり、しかし、60年代からにかけて、フィラデルフィアの治安は最悪とも言える状態になっていた。

デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』は終始ノイズと悪夢をサンプリングしたような不気味さが際立つカルト映画だが、リンチは本作にフィラデルフィアを投影しようとした。リンチによれば「1960年代後半のフィラデルフィアは工場が次々と閉鎖し、貧困と暴力と哀しみが渦巻いていた」と述べている。リンチが住んでいたのはフィラデルフィアのフェアマウントと呼ばれる地域。そこは犯罪と貧困が蔓延するスラムのような場所だった。リンチの家は工場からの雑音に悩まされるなど、生活環境は最悪だった。「街は恐怖に満ちていた。通りで子供は射殺されることもあった。私たちも2回は強盗にあい、窓が撃たれ、車が盗まれた」

『ロッキー』で描かれるフィラデルフィアもそうだ。人々は貧しく、荒んでいる。そこにはかつて「友愛の街」と言われた面影はどこにもない。
たが、ロッキーや周囲の人々は変わっていく。
きっかけはフィラデルフィアで建国200年祭のイベントの一環として開催される、チャンピオン、アポロ・クリードとの試合だつた。元々のアポロの対戦相手が出場できなくなり、代わりに無名選手の中から選ばれたのがロッキーだった。
一世一代のチャンスをつかんだロッキーはエイドリアンのために、自分が落ちこぼれではないと証明するために、それまでの生活とは打って変わって激しいトレーニングに打ち込む。キリストのように、ロッキーも「復活」したのだ。そこには、エイドリアンや親友のポーリー、トレーナーのミッキーの支えがあった。

ここで有名なのは街をランニングするロッキーに街の人からリンゴが差し入れられるシーンだ。これは芝居ではなく、街の人がスタローンを本物のボクサーと勘違いしてリンゴを差し入れた、純粋なハプニングだと言われている。だが、このシーンがあることで、ロッキーをまるでフィラデルフィアの街全体が応援しているかのように見える。ロッキーの挑戦が、街を一つにしたのだ。

生卵とロッキー

ちなみに、余談だが、ロッキーがトレーニングの一環としてジョッキに入れた生卵をそのまま飲む有名な場面がある。我々日本人からすると、生卵を食するのはごく当たり前のことに思えるが、海外では生卵を食するのは、サルモネラ菌が付着していることもあり、非常に危険な行為だ。
ロッキーはそんな生卵を5個もジョッキに入れ、一気に飲み干したのだ。それは我々が思うような「精をつける」以上のロッキーの並々ならぬ覚悟の表れでもある。

閉店後のスケートリンク

『ロッキー』を観るとつくづく「良い映画」を作ることと、予算の有無はあまり関係ないのではと思ってしまう。
エイドリアンとロッキーの初デートは閉店後の誰もいないスケートリンクだが、ここも裏話がある。当初の脚本では、営業中のスケートリンクがデートの舞台だったのだが、営業中のスケートリンクだと、他の客用のエキストラが必要になってくる。そんなエキストラを雇う予算がなく、現在の設定に変更になったのだ。他ロッキーの部屋や、アポロのオフィスなど、全てロケでの撮影だ。映画スタジオは無名のスタローンに主役を演じさせる条件として、予算をテレビ並の低予算にした。セットを組む予算もなかったのだ。

3人のロッキー

さて、ロッキーの部屋には1枚のボクサーの写真が置かれている。彼の名はロッキー・マルシアノ。イタリア移民の子供であり、生涯無敗のボクサーでもあった。
ロッキーも「イタリアの種馬」の異名の通り、イタリア系アメリカ人だ。同じバックグラウンドやファーストネームを持つマルシアノにロッキーは自らの理想を重ね合わせていたに違いない。ロッキーのモデルとして有名なのは、先にも述べたチャック・ウェプナーだが(彼をモデルにした映画『チャック 〜“ロッキー”になった男〜』が公開されている)、このロッキー・マルシアノも「もう一人のロッキー」と呼べるだろう。

過酷なトレーニングを重ねたロッキーだが、アポロとの試合の前日、エイドリアンに「絶対に勝てない」と弱音をつぶやく。
ここで、ロッキーの繊細さと彼が抱えるとてつもないプレッシャーが明らかになる。そして、それを吐き出せるほどエイドリアンが特別な存在であることもだ。
そしていよいよロッキーはアポロ・クリードとの試合の日を迎える。
ちなみにアポロを演じたカール・ウェザースは元々プロのフットボール選手であり、ボクシングの経験はない。当初、アポロ役は元プロボクサーであるケン・ノートンにオファーされていたとという。
ケン・ノートン自身も元ヘビー級王者のモハメド・アリと戦い、事前の無謀な挑戦という評価を覆し、12ラウンドの判定まで持ち込んだという経歴があった。

ロッキーとアポロの試合の際に、フィラデルフィア出身のボクサーであるジョー・フレージャーがゲストとして登場するが、ロッキーが行った冷凍肉を殴るトレーニングや、フィラデルフィア美術館の階段(ロッキーステップ)を駆け上がるトレーニングは、実際にフレージャーが行っていたものだ。つまり、ロッキー・バルボアというキャラクターは、一般に知られているようなチャック・ウェプナーだけでなく、ロッキー・マルシアノ、ジョー・フレージャーと少なくとも3名のボクサーを元にしたキャラクターであることがわかる。
ロッキーとアポロの試合についてだが、やはりどつしても撮影技術については、今のボクシング映画と比較すると見劣りしてしまう。この場面で観客席に座っている人々には、エキストラ参加したらフライドチキンをプレゼントするという条件に釣られて『ロッキー』の撮影に参加したホームレス達も多い。なので、ショットやカットを細かく割って撮影していくと、時間がかかってしまい、観客役としてエキストラ参加している人々が暴動を起こしかねないという危惧もあった。

アメリカン・ドリームの復活

さて、『ロッキー』のエンディングはあまりにも有名なので、今更説明する必要もないと思うが、当初の脚本では、試合の中でトレーナーのミッキーが人種差別的な発言を行い、それに失望したロッキーが試合を放棄して去るというものだった。
スタローンは「当時はアンチ・ヒーローの時代だった」と言うが、当時のスタローンの妻であるサーシャはこのエンディングに反対し、ロッキーは最後まで試合を諦めずに戦う形になった。
それでもラストシーンは今のような華やかなラストではなかった。ロッキーは一人でエイドリアンの待つ控室へ行き、彼女を抱きしめて静かに二人で控室を後にするというものだ。だが、そのエンディングはプロデューサーの一声で撮り直されることになった。これは図らずもアメリカン・ニューシネマの陰に隠れていたアメリカン・ドリームを復活させることになった。
劇場公開されてからの『ロッキー』伝説については詳しく述べるまでもないだろう。低予算で主演は無名の俳優、スター不在の作品がアカデミー賞や、ゴールデン・グローブ賞など、多くの賞と賛辞を手にしたのだ。

人生は続いていく

正にアメリカン・ドリームを体現したスタローンであったが、『ロッキー』シリーズ以外の作品は1982年に『ランボー』が公開されるまで当たり役はなく、『ロッキー』も『ランボー』も続編が作られるたびに厳しい評価を受ける事となる(『ランボー/炎の脱出』の脚本は当初ジェームズ・キャメロンが務めていたが、スタローンが好戦的な内容に書き換えてしまったため、クレジットされるのを拒んだというエピソードがある)。
スタローンにしてみれば、夢を与えてくれたアメリカという国へのラブレターだったのだろうか。

同じような映画人としてフランク・キャプラが思い浮かぶ。イタリアから移住してきたキャプラは、貧しい生活の中で映画監督となり、1935年に公開された『或る夜の出来事』でついにアカデミー賞主要5部門制覇という偉業を成し遂げる。戦前戦中においてはハリウッドでもトップクラスの監督だったキャプラだが、戦後に公開された『素晴らしき哉、人生!』では、そのファンタジックなヒューマニズムが受け入れられず、一気にハリウッドを干されてしまう。今でこそ『素晴らしき哉、人生!』は映画史に残る名作として不朽の評価を得ているが、戦争の傷も癒えない時期に、キャプラの人間讃歌はまだ早すぎたのだろう。キャプラが時代に再評価されたように、スタローンも2006年に公開された『ロッキー・ザ・ファイナル』でようやく再び作品を絶賛される。

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それは年老いたロッキーが、自分の中にくすぶり続けていたボクシングへの情熱に気づき、再び人生に挑んでいく物語だ。

「世の中はバラ色じゃない。厳しくつらいところだ。
油断したらどん底まで落ちて、二度と這い上がれなくなる。それが人生だ。
人生ほど重いパンチはない
だがどんなにきついパンチだろうと、どれだけこっ酷くぶちのめされようと、休まず前に進み続けろ。そうすれば勝てる。
自分の価値を信じるならパンチを恐れるな」

老境に差し掛かったロッキーは、人生をそう説く。
その原点は『ロッキー』にある。
倒れても倒れても、勝つためには起き続けなければならない。アメリカン・ニューシネマを終わらせたのは、そんな現実だ。どんなに打ちのめされても、明日はやってくる。悲劇のヒロインを気取っていても、人生は続いていくのだ。そして、諦めなかった者にこそ祝福が訪れるというのも、また現実だ。『ロッキー』ほどそれを証明した作品もないだろう。

作品情報

『ロッキー』
公開年:1976年
上映時間:119分

スタッフ

監督
ジョン・G・アヴィルドセン
脚本
シルヴェスター・スタローン
製作
アーウィン・ウィンクラー
ロバート・チャートフ
製作総指揮
ジーン・カークウッド

キャスト

シルヴェスター・スタローン
タリア・シャイア
バート・ヤング
バージェス・メレディス
カール・ウェザース
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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
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