
『処刑人』を初めて観たのは中学2年生の時だ。たまたま深夜のテレビで放映されていたような気がする。
とにかくカッコよかった。作品の印象は14歳当時の語彙力ではその言葉しか浮かばなかったが、それから20年以上経った今でも、やはり『処刑人』の魅力は「とにかくカッコいい」ことに尽きると思う。
ノーマン・リーダスとショーン・パトリック・フラナリーが演じるマクナマス兄弟のイケメンぶりも破壊力満点で、彼らがユニフォームのように着用している黒いコートとブルージーンズというファッションにも憧れ、中学生ながらに真似していたものだ。
しかし、この作品、映画評論家たちにはすこぶる評判が悪いらしい。
まぁ確かに高尚な作品ではないが、この程度の暴力描写のある映画ならば、はっきり言ってそこら中にありふれている。そこまで酷評するような出来だっただろうか?
個人的にはウィレム・デフォーの怪演含めて、他にない魅力を持ったエンターテインメント作品だと思う。
『処刑人』
『処刑人』は1999年に公開された、トロイ・ダフィー監督のバイオレンスアクション映画。
主人公はノーマン・リーダスとショーン・パトリック・フラナリーが演じる、アイルランド系の双子のマクナマス兄弟だ。彼らは喧嘩早くはあるものの、敬虔なクリスチャンであり、礼拝を欠かさない。
物語はアイルランドの祝日である、聖パトリックの日から始まる。ロシアン・マフィアと喧嘩になったマクナマス兄弟は、翌日彼らからの報復に合う。
「ただの喧嘩なのに卑怯だろう!」
兄のコナーは便器に手錠で繋がれ、弟のマーフィーは頭に銃を突きつけられたまま、自室から外へ連行される。
コナーは便器を持ち上げ、ベランダからマフィアの頭上へ落とす。マーフィーも便器でもう一人のマフィアを殴り殺す。
警察へ出頭した彼らは、FBI捜査官のスメッガーの取り調べを受ける。マスコミはマフィアを倒した兄弟をヒーロー扱いするが、スメッガーはするため、彼らを一晩拘留することにする。
その夜、兄弟は拘置所の中で、それぞれ神の啓示を聞く。それは礼拝の中で聞いた神父の言葉とともに訪れた。
「人の血を流す者は、男によって報いを受けるその男は神に許された者なり悪の者を滅ぼし、善の者を栄えさせよ」
翌日、不起訴となり釈放された彼らは、神の啓示の通りに武装して街にはびこるギャングたちを血祭りに上げていく。
『処刑人』のきっかけ
本作の着想のきっかけとなったのは、監督であるトロイ・ダフィー自身の経験だった。
ニューハンプシャーに生まれたトロイ・ダフィーは、自身のバンド「ザ・ブロード」で成功を掴もうとロサンゼルスへ移住していた。彼らは数々のバーで演奏していたが、レーベルとの契契約はうまくいかなかった。そんな中、ダフィーはJ.スローンズというバーでバーテンダー兼用心棒の仕事に就いた。
「正義」としての暴力
1996年のある日、ダフィーが仕事を終えて帰宅すると、廊下の向かいにあるヘロイン売人のアパートから女性の死体が運び出されているのを目撃した。
「彼女の足は壁からぶら下がっていてブーツを履いていた。ヘロインを売った男がアパートから飛び出してきて、『あの女は金を盗んだ!』と言い、彼女のブーツに手を突っ込んだ。彼女は死んでから数日経っていた」
その光景にうんざりしたダフィーはパソコンを借りて、脚本にその嫌悪感をぶちまけた。それが『処刑人』だった。
ダフィーはそれまで脚本を書いたこともなかったが、映画の脚本を書くことは彼にとって一種のセラピーのようなものだった。
「考えてみてほしい。ニュースを見ていると、時に目にする光景にひどく嫌悪感を抱くものだ。スーザン・スミスが子供たちを溺死させたり…男たちがマクドナルドに入り込み、店内を明るく照らしたり。あまりにも嫌悪感を抱くような出来事を耳にすると、たとえ自分がマザー・テレサであっても、限界が来る。ある日、ニュースを見て、『こんな卑劣なことをした奴は、命をかけて償うべきだ』と思うだろう。ほんの一瞬でも、あんなことをした奴は、陪審員なしで死刑に処されるべきだと、あなたは思うだろう」
脚本の中で、ダフィーは現実ではできなかった「正義」としての暴力を描き続けた。
「みんな、『デス・ウィッシュ』 みたいな話なのか?って言うけど、僕は『いや、『デス・ウィッシュ』とは違う。だって、この人たちは根っからの悪人どもをみんな殺してるだけ。『おい、お前は俺の妻をレイプして家族を殺した。俺は6人の男を追ってる』みたいな話じゃない。『お前のことは知らないし、人生で一度も会ったことないけど、お前は麻薬の売人で、ポン引きで、マフィアの一員で、死ぬ。それだけだ』って感じだ」
バーテンダーの仕事の合間に、彼は様々なシーンを書き始めた。彼によると、脚本は3部構成だったという。最初のパートでは全ての設定を練り、それから2部のためのクールなアイデアを練るのに時間を費やしたといい、3部目はほぼ自然に書き上がったという。
脚本が完成すると、彼はニュー・ライン・シネマでプロデューサーのアシスタントをしていた友人に見せた。彼の上司はその脚本を称賛し、やがてダフィーの脚本は大手スタジオに次々と送られ始めた。そして、突如として、この企画をめぐって激しい入札合戦が始まった。その中にいたのがハーヴェイ・ワインスタインだ。
今でこそ、ハーヴェイ・ワインスタインはハリウッドにおける性加害の象徴としてダーティなイメージがあるが、当時は剛腕でありながらも(いや、剛腕ゆえか)無名の新人であるベン・アフレックとマット・デイモンが書き上げた『グッド・ウィル・ハンティング』を成功させ、彼らを一躍スターダムに押し上げた、アメリカンドリームの実行者でもあった。
アメリカンドリームの実現
ハーヴェイ・ワインスタインはダフィーの脚本を45万ドルで買い上げ、更にダフィーに監督権を与え、彼のバンド、ザ・ブルードにサウンドトラックを作ることさえ許した。それだけではない。ダフィーが働いていたバー、J・スローンズを買い取り、ダフィーをオーナーにもした。
26歳だったトロイ・ダフィーは一夜にしてすべてを手に入れた。
大学で映画の授業を受けたこともなければ、ましてや映画の脚本らしきものを書いたこともない男の紛れもないシンデレラ・ストーリーだった。
ダフィーは1500万ドルの制作費を稼ぎ、ウィリアム・モリス・エージェンシーと契約し、「夜は酔っ払って、翌朝は二日酔いで目が覚めて、オーバーオール姿で打ち合わせに臨む。しかも、相手は全員スーツ姿だ」と自慢げに語っていたという。
ダフィーの絶頂と没落
一方ではダフィーの傲慢さと自己中心的な言動はエスカレートしていった。
ダフィーは自らの姿をカメラに収めるようにした。それはシンデレラ・ストーリーのドキュメンタリーになるはずが、結果として束の間の栄光と没落を記録するものになってしまった。
それは『オーバーナイト』というタイトルで2003年に公開されている。
「クソガキ」キアヌ・リーヴス
ダフィーはあるシーンでは、ハーヴェイ・ワインスタインが自分のようになりたがっているとまで言い放っている。さらに金は全部自分のものにし、バンドのメンバーには後で報酬を支払うと言っておきながら、一方では彼らには一銭たりとも受け取る資格はない、とまで言い放つのだ。
しかし一方で映画製作はキャスティングの段階で難航し、遅々として進まなかった。
実際に主役であるマクナマス兄弟役として検討された俳優には、ブラッド・ピット、イーサン・ホーク、キアヌ・リーブス、スティーブン・ドーフ、ブレンダン・フレイザー、ニッキー・カット、ユアン・マクレガーなどの名前が挙がった。
しかし、ブラッド・ピットは1997年に公開された『デビル』ですでにアイルランド人の役を演じており、ダフィーは「彼のアイルランド訛りが大嫌いだ」と言った。
また、ダフィーは、イーサン・ホークやキアヌ・リーブスなどの他の候補者についても、侮辱する様子を動画で撮影されてしまう。イーサン・ホークを「才能のないバカ」呼ばわりし、キアヌ・リーヴスの名前が出ると、「クソガキ」呼ばわりした。
さらにダフィーはケネス・ブラナーの名前を何度も間違って発音し、後に単に「クソ野郎」と呼び、ジェリー・ブラッカイマーなどのプロデューサーを蔑ろにしていた。
ワインスタインとの終焉
そしてダフィーは映画が自分の望むほど早く製作に入りそうにないとわかると、ウィリアム・モリスを辞めてライバルのエージェンシーに移ると脅し、攻撃的な態度でワインスタインと自分の制作チームの両方を疎外した。
『オーバーナイト』では、ダフィーがハーヴェイ・ワインスタインのオフィスに何度も電話をかけ、アシスタントたちに電話口で怒鳴り散らす場面が見られる。
このため、当時ワインスタインの会社であったミラマックスは最終的に映画の製作を保留にし、最終的に契約から完全に手を引いた。
こうしてダフィーは映画業界とのつながりを全く失ってしまい、『処刑人』はダフィー自身が借金を重ねながら製作されることになる。
酷評の理由
ここまで見ていくと、『処刑人』の低評価の理由もわかりそうな気がする。
『処刑人』を誉めそやせば、ハリウッドで強大な権力を持つワインスタインの気を害し、「報復」されるかもしれない。
そんな忖度も働いたのではと思わず勘ぐりたくもなる。これも因果応報なのか、『処刑人』は公開のタイミングも良くなかった。コロンバイン高校銃乱射事件の直後ともあって、暴力(銃)によって正義を貫こうとした男たちの物語は受け入れられなかったのだろう。例えエンディングに街頭インタビューを入れて、彼らの行為を客観視しようとしても。
ただ、個人的にはやはり『処刑人』は評価したい作品だ。全編を貫くスタイリッシュさとアクション。そしてエンディングは本作が決して暴力を無批判に称賛しているわけではないことがわかる。その意味では『ジョン・ウィック』シリーズなど『処刑人』が可愛く見えるほどに暴力的ではないか。トロイ・ダフィーがどれほど暴走したとしても、本作にはそれだけの純粋な思いがぶつけられているように感じる。