『エル ELLE』映画版だけの結末が意味するものとは?

ポール・ヴァーホーヴェンは2001年に監督を務めた『インビジブル』を最後にハリウッドを離れ、故郷のオランダへ舞い戻った。
インビジブル』の原題は『Hollow man』だが、ヴァーホーヴェンは『インビジブル』の製作を振り返って「スタジオの奴隷になった気がした」「空虚(Hollow)な作品だ」と振り返っている。
確かにポール・ヴァーホーヴェンの監督作として観た場合、ヴァーホーヴェンらしいセクシャルさや暴力的な描写などの持ち味が抑えられているように感じる。個人的には『インビジブル』は小さな頃から何度も楽しんで観ているが、ヴァーホーヴェンが映画に望んでいるのは観客を「楽しませる」以上のものだろう。

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残酷で血まみれなのが好きなんだ

オランダ時代から、ヴァーホーヴェンは暴力やセックス、善と悪では計れない映画を作ってきた。

「私が優しくて心地いいものを作ると思うかい?これまでの作品を見れば分かるだろう。残酷で血まみれなのが好きなんだよ」

ヴァーホーヴェンはそう自らの作品を語る。

ハリウッドへ渡っても、ヴァーホーヴェンはそのスタイルを貫き続けた。
ロボコップ』はアメコミヒーローもののような内容だが、そこには強烈な残酷描写とともに「自己とは何か」という哲学的な問いが潜んでいる。『スターシップ・トゥルーパーズ』は、昆虫型宇宙生物と人類の攻防を描いた作品だが、右翼的とも言われた現実に比べ、ヴァーホーヴェンはそこにチープなパロディを織り交ぜ、主人公らをナチスのような全体主義の軍隊に設定している。また、ヴァーホーヴェン作品の中でも際立って人体破壊描写が多いのも特徴だ。

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ハリウッドでは絶対に撮れなかった

インビジブル』を最後にハリウッドを離れ、オランダに戻ったヴァーホーヴェンが「ハリウッドでは絶対に撮れなかった」と語るのが、2016年に公開された『エル ELLE』だ。主演はイザベル・ユペールが務めている。ユペールは多くの女優から尊敬を集めているが、本作の演技によってアカデミー賞主演女優賞に初めてノミネートを果たした。

『エル ELLE』はいきなり目出し帽を被った男にレイプされる場面から始まる。冒頭から、すでに性と暴力が一体となっている。
しかしミシェルに強くショックを受けた様子はない。平然と部屋の掃除を始め、何もなかったかのように寿司を頼んで息子と一緒に食べる。
この部分のミシェルの反応の描き方はかなり挑発的だ。

例えば、本作のように性犯罪を描いた作品であれば、被害に遭った女性を純粋な被害者として、その犯人探し、復讐劇がオーソドックスな物語の展開となるだろう。
だが、『エル ELLE』はそうではない。もちろん犯人探しも行われるのだが、ミシェルはレイプされたことは大したことではないかのように振る舞っている。犯人探しよりもミシェルという人間を映画は深く映し出していく。演じたイザベル・ユペールによれば、ミシェルは自らを被害者と感じてはいないという。それどころか、一方でミシェルは同僚で友人でもあるアンナの夫と2年以上不倫の関係にある。また、ミシェルはレイプ犯を探す傍ら、隣人夫婦の旦那であるパトリックを誘惑したりもしている。

ポール・ヴァーホーヴェンはこのミシェルというキャラクターについて以下のように述べている。

「(ミシェルがレイプによって落ち込んでいたり傷ついていたら)型にはまり過ぎてしまう。そうしていたら僕たちはメロドラマや気怠いドラマに滑り落ちてしまっていただろう。他の監督や脚本家がしてきたことをそのまま繰り返すより、観客を驚かせるほうが面白いし愉快だ」

ヴァーホーヴェンは当初、ミシェル役にニコール・キッドマンやシャロン・ストーンのようなハリウッド女優を考えていたという。だが、声をかけた誰もミシェルというキャラクターを演じることには尻込みしたそうだ。

「最初はフランス映画を撮るつもりはなかった。最初のアイディアはアメリカ映画を作ることだった。アメリカ人の脚本家と一緒に、フランス語の小説を英語に翻訳した。アメリカ風の脚本を書いて、アメリカの都市を舞台に設定したんだ。ところが、この映画に出てくれる有名なアメリカ人女優は一人もいなかった。出資者も見つからなかった。だから私たちは舞台をパリに戻して、脚本を再びフランス語に翻訳し直した」

イザベル・ユペールは「アメリカでダメになったおかげで、私が出られるようになったのが良かった」と冗談めかしてコメントしているが、『エル ELLE』のミシェルというキャラクターの多面性に惹かれたという。

「『エル ELLE』のまるでファンタジーのようで現実的ではないけれど、風変わりな面白さがあるところに惹かれた。物語に信憑性はないのに登場人物には現実味がある。そういう演出が監督ヴァーホーヴェンは巧み。私は役柄に皮肉に満ちたユーモアを持ち込んだの。悲劇のヒロインになるよりもシュールな笑いが好きだから。
それに主人公は母でありながら娘でもあり、大人の女性としてセクシャルな生活があり、仕事のトラブルも抱えている。一つの作品の中で、これほど多くの顔を持つ女性像を見たことがない! そんなところも惹かれた理由よ」

あの人のすべてが悪いわけじゃない

ミシェルの父親はフランス中が知っている連続殺人犯で、何人もの人々を殺してきた。フランスでは死刑制度がないために、父は事件から30年に近く刑務所に収監されたままだ。ミシェルは幼い頃から父親のせいで見ず知らずの人に嫌がらせを受けることが度々あった。劇中でも、見切らぬ人に食べ物の入ったトレーを投げつけられる。

しかし、ミシェルの母は、しきりに父親に会ってほしいとミシェルにせがむ。娘の気持ちも分かっているはずだが、母はそれでも父はもう先が長くないと伝え、ミシェルを苛立たせる。
フィリップ・ディジャンの原作小説では、ミシェルの母は父についてこう述べる。

「あの人のすべてが悪いわけじゃないんだよ。全部が全部闇に染まっているってわけじゃない」

これこそが、まさにヴァーホーヴェンが『エル ELLE』を通して訴えたかったメッセージではないだろうか?

善も悪も存在しない

ポール・ヴァーホーヴェンは1937年、オランダのハーグに生まれた。1944年にはオランダはナチスの占領下となってしまう。味方であるはずの連合国は、ナチス占領下となったオランダを爆撃。ヴァーホーヴェンは道端にバラバラ死体が転がっている環境で育ったという。その光景を幼いヴァーホーヴェンはエキサイティングだと感じた。そして、味方であるはずの連合国軍が街を破壊しているという現実に、善も悪も存在しないと感じたという。
人間の本質は、スーパーヒーロー映画のように、善と悪を簡単に色分けできるものではない。人間とはもっと複雑なものではないか。
ヴァーホーヴェンは『エル ELLE』でそれを遺憾無く発揮してみせた。

レイプ犯の正体

物語の中盤で、ミシェルは自身をレイプした犯人に再び襲われる。ハサミで必死に抵抗し、男の手のひらを突き刺す。そして、その目出し帽を剥ぎ取ると、レイプ犯の正体は隣人の夫であるパトリックだった。ミシェルは数日前にパトリックを誘惑していた。しかし、パトリックはその誘いを拒んだ。ミシェルがキスをせがんだ瞬間、パトリックはそれを拒否し、逃げ帰ってしまっていたのだ。
レイプ犯がパトリックとわかった後も、ミシェルは怒りと同時にパトリックへの欲望も抱き続けていた。そうして、2人の倒錯プレイが始まっていく。パトリックはレイプでしか性的に満足を得られないのだ。

しかし、ある時2人の行為をレイプと勘違いしたミシェルの息子のヴァンサンによってパトリックは殴打され死亡する。
目出し帽の下の素顔を見たヴァンサンは交流のあるパトリックを殺してしまったことにショックを受けるが、一方のミシェルの顔には微笑みが浮かんでいるようにも見える。
それは図らずも復讐が果たせたからだろうか?ミシェルのパトリックに対する思いは憎しみ、性欲、支配欲、愛情などのように、非常に多面的かつ矛盾を孕んだものだ。
もしくはこの出口のない関係を終わらせることができたからだろうか?ミシェルより20歳近くも若いパトリックとは違い、ミシェルは十分に人生を深く生きてきた。パトリックとの倒錯的な関係が何ももたらさないことは誰より分かっていただろう。
真実が明らかになることなく、事件はパトリックの性犯罪として処理される。

『ベネデッタ』

そして隣人であったパトリックの妻のレベッカは街から引っ越すことになる。レベッカはミシェルに「信仰があるから」と気丈に振る舞い、そして「パトリックを受け止めてくれてありがとう」と伝える。
実はレベッカとミシェルのこの場面は原作にはない、映画版オリジナルのシーンだ。
ヴァーホーヴェンはこの場面に「カトリック教会に対する、皮肉や批判をこめた」と述べている。その意味を正しく推測することは難しい。レベッカは信仰にまっすぐに従う女性であったはずだが、夫の不貞は黙認していた。

個人的な考えだが、キリスト教的なモラルでは解決できない問題があることをレベッカは示しているのではないか?
ヴァーホーヴェンは『エル ELLE』の次に『ベネデッタ』という作品を監督している。『ベネデッタ』は17世紀に実在した修道女ベネデッタ・カルリーニを描いた作品だ。
ベネデッタは聖痕やキリストの幻視などの超常現象を体現した「聖女」として修道院長にまで上り詰めると同時に、他の修道女と同性愛にも耽っていく。そこで映し出されるのは、ベネデッタの半生はもちろん、それに絡むカトリック教会の虚と実だ。神の救済よりも金にまみれた修道院の実体や、権力闘争とも言えるカトリック教会の姿。

特に教皇大使でありながら娼婦との関係を匂わせるジリオーリが、同性愛を罪としてベネデッタを裁くのはカトリック教会の腐敗や矛盾がこれ以上なく現れるシーンだろう。カトリックの聖職者はプロテスタントとは違い、独身であることを求められ、結婚や家庭を持つことが許されない。しかし、宗教が人間の本能的な欲求である性欲を抑圧するのはそもそも正しいのか?
ちなみに主役のベネデッタを演じたのは『エル ELLE』でレベッカを演じたヴィルジニー・エフィラだ。

『エル ELLE』でレベッカだけはミシェルという人間の真実に触れていたように思う。しかし、そんな印象を裏切るかのように、ミシェルは夫と離婚したというアンナに「一緒に住まないか」と声をかける。
彼女たちは最後にキスをした、とヴァーホーヴェンは言うが、公開版では「わかりやすすぎる」とその場面はカットされている。

どこまでもミシェルは自由だ。ヴァーホーヴェンは善も悪も裏切り続ける。
なぜか。それが人間の本質だからだ。

作品情報

『エル ELLE』
公開年:2016年
上映時間:130分

スタッフ

監督
ポール・バーホーベン
脚本
デヴィッド・バーク
原作
フィリップ・ジャン
『Oh…』
製作
ミヒェル・メルクト
サイド・ベン・サイド

キャスト

イザベル・ユペール
クリスチャン・ベルケル
アンヌ・コンシニ
ロラン・ラフィット
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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
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