
※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています
書くことについて
先日、Xの方でも少し呟いたが、時に映画の解説や考察を書くことは、何かと格闘しているような気分になる。正解はどこかにある。だが、映画を観て、どう感じたかを理由も付けて文章化しなければならない。間違っても「ヤバい」なだけでは済ませられない(使いたくもないが)。
もちろん、そんなのは序の口で、作品に隠されたさまざまなオマージュやギミックを調べ、制作に至る過程も押さえるなど、ありとあるゆるヒントを収集し、取捨選択しながら一つの文章にまとめていく。このような過程を経て記事が完成した時はやはり達成感がある。もちろん、その後のSNSでの感想を頂くのも嬉しい。
物書きで主に使うツールはGmailの下書き機能だ。単純に慣れているのもあるが、自動保存にもなるし、スマホでもPCでも見ることができるのは大きい。ただ、下書きだと間違って削除してもゴミ箱には入らずに、本当にそのまま削除になってしまうのがデメリットだ。何度か操作を間違えて、取り返しのつかないことをしてしまったこともある。
あとから記憶と変換予測を頼りに書き直すのだが、100%の復元はまず難しい。その虚しさはとても言葉で言い表せるものではない。
そういった意味でもポール・シェルダンには非常に共感する。私には書き終わった後の儀式もないし、そもそも非喫煙者ではあるのだが、それでもビールで乾杯したい気分にもなる。
ポール・シェルダンはスティーヴン・キングの小説『ミザリー』の主人公だ。
『ミザリー』
『ミザリー』は1990年に『スパイナル・タップ』や『恋人たちの予感』のロブ・ライナーによって映画化もされている。
主人公のポール・シェルダンをジェームズ・カーン、そして彼を看病する女性、アニー・ウィルクスをキャシー・ベイツが演じている。
キャシー・ベイツは本作の演技によってアカデミー賞を受賞。当時ロブ・ライナーは『ミザリー』はホラー映画だからアカデミー賞は難しいと考えていたようだが、その予想を覆す快挙であった。
『ミザリー』は一本のタバコから始まる。そしてそれは原稿を書き終えた、ポール・シェルダンの口元に運ばれる。
一本のタバコと冷やしたシャンパン。これはポールが作品を仕上げたときの「儀式」なのだ。
キングの作品には主人公の職業が作家、もしくは作家志望である場合が比較的多い。今作はその代表的な作品だが、他にも『シークレット・ウインドウ』『ダークハーフ』、そして『シャイニング』もそうだ。そのいずれも多かれ少なかれ、キング自身を反映させているのだろう。『シャイニング』のジャック・トランスがアルコールだったのは、キングが自らアルコール依存症であったのをジャックに投影したからだと言われている、
古いカバンに原稿を詰めて、クルマで雪道を急ぐ。しかし、天候は徐々に吹雪になり、操作を誤ったクルマは横転。ポールは重傷を負い、気を失う。
だが、誰かがクルマのドアをこじ開け、ポールを救出する。
その女性の名はアニー・ウィルクス。事故現場の近くに住む、中年の女性だ。
アニーは元看護師で『ミザリー』シリーズの大ファン。自らも「ナンバーワンのファン」と名乗っている。看護師としては優秀で、ポールの複雑骨折した脚も完璧に固定されている。ポールは身動きすることができないが、食事も食べさせるなど、アニーはポールの介護を一生懸命に行う。
ある時、アニーはポールにカバンの中にある『ミザリー』の新作の原稿を読ませてほしいと頼む。ポールが快諾すると、アニーは狂喜してその原稿を読む。食事の時間にポールが原稿の感想を尋ねると、最初は躊躇していたアニーだが、下品な言葉が多かったと不満を漏らし、感情を爆発させる。
そして数日後、『ミザリー』新作のラストがミザリーの死であることを知ったアニーは再び怒りを爆発させ、狂気が加速していく。
『ミザリー』は実話から生まれたのか?
スティーヴン・キングが自らの創作方法について綴った本『書くことについて』によると、キングが今作の着想を得たのは夫婦でロンドンへフライトしていた時だという。
ただ、一説によると『ミザリー』の発想の元はとあるキングの実体験だとされている。『ミザリー』の解説を寄せた矢野浩三郎によると、キングは1986年9月に行われた講演で、下のようなエピソードを披露したという。
1979年、ニューヨークのロックフェラー・プラザでテレビの出演を終えたばかりのキングはNBCのビルを出ると襲う通り多くのファンに取り囲まれた。その中に「キングの一番のファン」と自称する男がいた。彼はキングに一緒に写真に写ってほしいとしつこくせがんだ。キングはしぶしぶ撮影に応じ、写真に相手の名前を添えて、サインした。
「マーク・チャップマンへ スティーヴン・キング」
その男、マーク・チャップマンは、1980年12月8日にジョン・レノンを射殺することになる。
今もこのエピソードは広く信じられているが、おそらくは都市伝説に過ぎない。ワシントン・ポスト紙で、キング自身がこのエピソードについて否定しているからだ。
もし、『ミザリー』の着想のきっかけがチャップマンへのサインであれば、ロンドンへのフライトなどよりもチャップマンの名をまず出すだろう。
さて、そのロンドンへのフライト中にキングはある夢を見る。
それはある偏執狂の女が大ファンである小説家を、逃げられないように脚を折ったうえで監禁しているというものだった。
夢から覚めたキングは、その内容を忘れぬようなナプキンに書き殴った(なぜ私たちはどんなにエキサイティングな夢でも忘れていくのか?)
「思いつめたような口調だったが、決して目をあわせようとはしない。がっしりとした大きな女で、どこにも欠落はない。『いい加減な気持ちでこの豚ちゃんにミザリーという名前をつけたんじゃない。ほんとよ。わかってちょうだい。あなたの熱烈なファンだから、そんなふうに呼んでいるのよ。これ以上に純粋な愛はないわ。どう、作家冥利に尽きるでしょ』」
その後、ロンドンについたキングはブラウンズ・ホテルに宿泊したが、ナプキンに書き留めたアイデアのせいで寝つけず、コンシェルジュに案内された場所で夜中に執筆を始めた。 その時にキングが使っていた机は『ジャングル・ブック』などで知られる作家のラドヤード・キップリングが使っていた机であった。
その机の上で、キングもまた名作を生み出す。
映画と原作の違い
発売された小説の内容は、映画版よりも残酷なものだ。
特に顕著なのはエンディングであり、映画版のエンディングでは、アニーはポールの足を金槌で折り、ポールはアニーの目の前で新たに書き上げた『ミザリー』を燃やす。
原作小説で、ポールが燃やしたのはあくまでも空白の紙であり、『ミザリー』の結末は隠し持っていて、後に大ヒットを飛ばすという結末になっている。また、アニーの拷問についても、原作ではポールは左足(と左手の親指)を切断されてしまう。(映画版での変更に、アニーを演じたキャシー・ベイツは「その部分を削ったと聞いて、本当にショックだった。まったく納得できなかった」と漏らしている)。
しかし、当初のキングの構想は、小説よりはるかに残酷だった。
アニーがミザリーと名付けた豚を飼っているのは映画でも小説でも変わらないのだが、当初の構想ではアニーが豚を飼っているのは、『ミザリー』の最終話をその豚の革で装丁するためという設定であった。
アニーの部屋には「著名なロマンス作家、依然として行方不明 になったという新聞の見出しのスクラップが貼り付けられており、あの豚は殺されることなく、丸々と肥って元気に鳴き声を上げている。机の上には『ミザリー』の最終巻が置いてあり、その装丁は非常に美しく仕上がっている 。何故ならそれには人間の皮が使われていたのだった。 キングは「おいしい部分は豚が食べたかもしれない」と述べている。
映画版でも小説でも、ポールはアニーから脱出し、ある程度の日常は取り戻せているが、当初の構想では、アニーの犠牲となっているのである。
だが、キングが執筆を進めていくうちに、ポールがはるかに戦略的で知性的であることに気づいたという。 また、アニーについても次第に恐怖とともに哀憐を覚えるようになっていたという。
キングはアニーについて「私たちには精神病質者のように見えるかもしれないが、彼女は自分自身に対しては完全に正気で分別のある人物であるように思えることを忘れてはならない。実際、彼女は英雄的であり、コケコッコーのガキでいっぱいの敵対的な世界で生き残ろうとする苦境に立たされた女性である」と述べている。
『ミザリー』の執筆時、キングはアルコールとドラックの依存状態であったという。キングと同じく人気作家という設定のポール・シェルダンは、ある意味でキング自身の投影でもあるだろう。原作ではポールは心のなかでアニーを何度も「女神」と呼んでいる。『ミザリー』を通して、キングは自分自身を罰したかったのではないか?
キング自身、数多くの著作の中で一番気に入っている悪役はアニー・ウィルクスだと答えている。
サイコホラーの先駆
『ミザリー』が公開された翌年には、ジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』が公開されている。
同作は「アカデミー賞に不利」と言われるホラー映画のカテゴリーに属しながらも、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の主要5部門を制覇した、史上3本目の作品だ。
『羊たちの沈黙』のヒットによって、サイコホラー、サイコサスペンスの映画が多く作られるようになった(『セブン』もその一つだろう)。
しかし、『ミザリー』はその先駆的な作品と呼べないだろうか。
SNSによって作家と読者の距離がはるかに近くなった今だからこそ、アニーの恐怖はよりリアルに感じられるかもしれない。
作品情報
『ミザリー』公開年:1990年
上映時間:108分
スタッフ
監督ロブ・ライナー
脚本
ウィリアム・ゴールドマン
原作
スティーヴン・キング
製作
ロブ・ライナー
アンドリュー・シェインマン
キャスト
ジェームズ・カーンキャシー・ベイツ
リチャード・ファーンズワース
フランシス・スターンハーゲン
ローレン・バコール