『トゥモロー・ワールド』

『トゥモロー・ワールド』という映画はなんとなく名前は知っていた。『押井守の映画50年50本』で押井守監督が本作について「本当にビックリした」と述べていたからだ。こうなるともうその先の解説は、実際に映画を観てからでないと、読み進めるわけにはいかない。
すぐにDVDを借りてきて観てみた。

『トゥモロー・ワールド』

『トゥモロー・ワールド』は2006年に公開されたアルフォンソ・キュアロン監督、クライヴ・オーウェン主演のSF映画だ。
より具体的なジャンルとしてはディストピアだろう。子供が生まれなくなった世界を舞台に、奇跡的に妊娠した少女と、彼女を守る男を描いた作品だ。設定の面白さはあるものの、物語自体はありふれたものだ。
運命の子供を守り抜くSF映画など、『ターミネーター2』はその代表作だろうし、最近ではギャレス・エドワーズ監督の『ザ・クリエイター/創造者』はまさにそのままのディストピア作品だった。
だが、『トゥモロー・ワールド』  の絶望は異質だ。少なくともこれらのSF映画を遥かに超えている。
世界はイギリス以外は破滅しており、イギリス自体も不法入国者や絶え間ないテロや暴動に悩まされており、街中には警官が人の壁のように配置されている。

イギリスの衰退と繁栄

『トゥモロー・ワールド』イギリスは世界で最も繁栄しているが、その内実は全体主義に近く、条件の合わないものは収容所に送られる、ディストピアの未来世界。ほほ同時期の2005年に公開された『Vフォー・ヴェンデッタ』もそんな設定の作品だ。
『トゥモロー・ワールド』の原作は1992年に書かれたP・D・ジェイムズの『人類の子供たち』というSF小説。一方、『Vフォー・ヴェンデッタ』の原作は1982年に出版されたアラン・ムーアの同名のコミックスだ。原作の『Vフォー・ヴェンデッタ』には当時のサッチャー政権の強硬的な姿勢が全体主義という形で反映されている。『人類の子供たち』はそこから10年後の年にに出版された小説だが、その頃のイギリスはサッチャー政権の負の遺産ともいえる少子化が深刻な問題となっていた。

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また、この二つの作品に共通する「イギリスのみが世界の勝利者である」という設定は半世紀にわたって没落し続けたイギリスへの復活への願いも込められているだろう。
2012年に公開された『007 スカイフォール』は現代のイギリスが舞台だが、本作にもやはりイギリスの没落と復活への思いが描かれている。
ジェームズ・ボンドの上司でもあるMは、所属している組織M16について情報漏洩の罪に問われ、公聴会へ出席する。そこでMはMI6の存続を訴え、亡き夫が好きだったという詩『ユリシーズ』を詠み上げる。『ユリシーズ』はイギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの作品で、ギリシャ神話の英雄であるオデュッセウスを主人公に、彼が老齢となった時に、これまでの来し日々を詠んだものだ。1833年、古くからの親友を失ったテニスンは、オデュッセウスに自らを重ねてこの詩を詠んだという。

「確かに多くが奪われたが、残されたものも多い
昔日、大地と天を動かした我らの力強さは既にない
だが依然として我々は我々だ
我らの英雄的な心はひとつなのだ
時の流れと運命によって疲弊はすれど意志は今も強固だ
努力を惜しまず、探し求め、見つけ出し、決して挫けぬ意志は」

これはMI6の事を指しているようで、その実はイギリスという国家そのものを指しているのではないかとも思う。『007 スカイフォール』が公開された2012年はロンドン・オリンピックが開催され、イギリスのナショナリズムも盛り上がりを見せていただろう。一方でGDPは落ち込みを見せていた時期でもある。監督のサム・メンデスは『007 スカイフォール』は国威発揚の機運に影響されたことを認めている。

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19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスは「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の中にあり、世界の覇権を握っていた。しかし、その後、二度にわたる世界大戦でイギリスは人的・経済的な戦禍に見舞われる。それによってイギリスの国力は低下、加えて戦後は多くの植民地が独立していったことにより、さらに世界におけるイギリスの影響力は低下していった。
『007 スカイフォール』の監督であるサム・メンデスも、『人類の子供たち』の作者P・D・ジェイムズ、『Vフォー・ヴェンデッタ』の作者であるマイケル・ムーアもイギリスの出身だ。

アンチ・ブレードランナー

映画に話を戻そう。『トゥモロー・ワールド』は2027年が舞台だ。しかしその割にはテクノロジーはさほど進化していない。むしろインターネットも存在していないように思える。キュアロン監督は本作の美術を「アンチ・ブレードランナー」であると述べている。
ブレードランナー』は近未来の世界を無機質でクリーンな都市ではなく、薄汚れた猥雑な都市として描いてみせた。映画界屈指の映像派であるリドリー・スコットのズバ抜けたビジュアルは数え切れないほど多くの作品に影響を与えてきた。日本でも押井守監督の『イノセンス』の冒頭のシーンは『ブレードランナー』のオマージュと言えるだろうし、紀里谷和明監督の『CASSHERN』もビジュアルにも確かに『ブレードランナー』の匂いが漂っている。かのようにディストピアを描く作品にとって『ブレードランナー』はあまりに大きい金字塔なのだ。
だが、『トゥモロー・ワールド』はそうした近未来の風景は何もない。テクノロジーの進化もない。何しろ携帯電話すらほとんど登場しない。「アンチ・ブレードランナー」の意味がよくわかる。『トゥモロー・ワールド』の舞台は未来とはなっているが、その中身は私たちが暮らす現代そのものなのだ。

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人間が生まれない世界

『トゥモロー・ワールド』の主人公は英国エネルギー省に勤めるセオだ。前述の通り、この世界では人間が生まれなくなっており、映画の冒頭では、世界最年少の少年が死亡したというニュースで持ちきりになる。
セオはいつものようにコーヒー店に立ち寄るが、店を出た直後に爆発テロが起こり、コーヒーショップは破壊される。

ある日、セオは出勤途中に何者かに拉致される。犯人は元妻のジュリアンが率いる反政府グループ「フィッシュ」だった。彼女からの要求は、ある不法滞在者の「通行証」を手に入れること。渋りながらも、セオは義理の兄で文化大臣のナイジェルから通行証を手に入れる。彼らの息子ディランは、 2008年に発生したインフルエンザの大流行によって亡くなっていた。
そしてセオはジュリアンと共にその不法滞在者の待つ車へ向かう。その人物は「キー」という若い黒人の女性だった。その車にはキーの保護者である元助産師のミリアムと運転手として組織の副リーダー的存在であるルークも搭乗していた。そのまま検問所へ向かっていたセオたちだったが、暴徒の襲撃に遭いジュリアンが命を落とす。

ジュリアンを埋葬し、組織のアジトへ逃げ込む一行だったが、納屋でセオはキーの重大な秘密を知る。実はキーは妊娠しており、すでに臨月の状態だった。父親は誰かわからないという。ジュリアンの目的は彼女をアゾレス諸島にあるという人類の不妊治療を専門とする秘密の科学研究グループ、「ヒューマン・プロジェクト」に連れて行くことだったのだ。
キーというキャラクターは映画版オリジナルのキャラクターなのだが裏設定としてキーはもともと売春婦であったという設定がされている。父親が不明なのはそうした事情もあるのかもしれない。だが、ここではそれ以上に聖母マリアにキーをなぞらえるための意味合いが強いと言えるだろう。
聖母マリアも納屋でキリストを身ごもった。マリアの夫はヨセフだが、ヨセフはキリストの父親ではない。マリアは処女のまま妊娠したとされている(処女懐胎)。キーを匿う組織の名前が「フィッシュ」なのもこれで合点がいくだろう。キーの子供は人類の救世主(メシア)となりうる存在であり、未来世界のキリストなのだ。そしてキーは文字通り、人類を救う鍵(キー)となるのだ。
またキーが黒人なのは、アルフォンソ・キュアロン監督によれば、すべての人類はアフリカ人の祖先から生まれたということを反映させているという。加えて第三世界の貧しい移民が歴史の救世主となるという歴史の書き換えも意識したという。

その晩、セオはもう一つの真実を知ることになる。ジュリアンの死の真相だ。実はルークが黒幕であり、彼はジュリアンの殺害を画策し、テオを殺してキーの子供を政治的道具として利用するつもりであった。真実を知ったテオは、キーとミリアムをつれて、友人で元政治風刺漫画家のジャスパー・パーマーの隠れ家へと逃げる。ジャスパーは、政府に拷問を受け 緊張病を患う妻ジャニスと二人で暮らしている。

ジョン・レノン

ジャスパーを演じたマイケル・ケインはキャラクターの設定においてジョン・レノンをモデルにしたと述べている。FBIが要注意人物としてジョン・レノンのファイルを作成していたというのはビートルズ・ファンには有名な話だろう。
ジョン・レノンには音楽家としての顔と、平和運動家としての顔があった。『イマジン』『平和を我等に』『マインド・ゲーム』『ハッピー・クリスマス』『ワーキングクラス・ヒーロー』など、ジョンのソロの作品にはメッセージ性の強い曲も多い。ジャスパーもそうした運動家の一面があることは元政治風刺漫画家ということからもわかる。そして、ジャスパーのどこかヒッピーのような格好、ジャニスを大事にしていることもジョンとオノヨーコの関係を想像させる部分がある。

ジャスパーは大麻の密売相手である入国管理局職員のシドにセオらを一旦逮捕させ、難民としてベクスヒルに密入国できるようにし、そこから手漕ぎボートでトゥモロー号と合流するよう手配する。しかし、翌日フィッシュのメンバーたちにジャスパーの家は発見されてしまう。ジャスパーはセオに「足手まといになるからここへ残る。奴らには逆の方向を教え、時間稼ぎをする」と申し出る。セオはそれが何を意味するかわかっていた、しかし、ジャスパーは「窮地をかわすのは得意でね」と言い、セオらを家から遠ざける。
ジャスパーはジャニスと飼い犬を毒で安楽死させた後に、フィッシュの尋問を受け、ルークに殺される。

セオらはシドの手引きによって難民キャンプ行きのバスへ乗り込む。キーの羊水が破れた後、処刑対象者を選ぶために警備員がバスに乗り込む。ミリアムはキーから警備員を邪魔して連れ去られるが、セオはキーが失禁したとセオを騙し、警備員はミリアムを一人にして去る。

アウシュヴィッツ

ミリアムがバスから降ろされる場面では、リバティーンズの『労働は自由に』が流れる。この曲名はアウシュヴィッツ収容所の入り口に掲示されていた標語でもある。
リバティーンズの『労働は自由に』の一節を紹介しよう。

「警備員は生き延びられると言った
しかし彼は雪かきをし 仲間を焼き殺さなければならない
たとえ君が死んでも
そして門にはこう書いてあった
『労働は自由に』」

ナチス・ドイツのホロコーストは今さら言うまでもないが、推定約600万人もの犠牲者を出した、国家としての犯罪である。
また、手を頭において跪いている難民たちはイラク戦争中、アブグレイブ刑務所で拷問を受けていた囚人を思わせる。
つまり、今作でセオらが直面する悲劇的な出来事はフィクションではなく、現実に起きてきたことなのだ。そういう意味でも『トゥモロー・ワールド』はSF映画でありながらも決して「未来を描いた映画」とは言い切れない部分がある。
そう言えば、映画の序盤、セオが政府高官である従兄弟のナイジェルを訪ねる場面があったが、ナイジェルの部屋の壁に飾られていたのはパブロ・ピカソの有名な『ゲルニカ』だった。『ゲルニカ』はスペイン内戦中にナチスによってゲルニカ・ルモの町が爆撃され、1600人以上の民間人が虐殺されたのを描いた作品である。

人類の原罪

難民キャンプに到着したセオとキーはにマリシュカという名のロマの女性から一室を借り、キーはそこで女児を出産する。

先にキーの子供はキリストに例えられるという話をしたが、キリストと同じように、この子供も人々の罪を背負った存在であることがよくわかる。今までに映画の中で言及されてきたホロコーストや戦争、内戦、などの負の歴史のすべてを背負って生まれたのがキーの子供なのだ。
先人の無数の死の上に私たちの生が成り立っているように、キーの子供の生も無限の死の上に成り立っている。
翌朝、シドはイギリス軍と難民との間で戦争が勃発したこと、そしてフィッシュのメンバーがキャンプに潜入したことをセオとキーに伝え、それまでの態度を翻し、セオらの懸賞金を目当てに二人を捕らえようとする。
なんとかシドを制してマリシュカの友人の家へ一時的に避難する。だが、ボートへ向かう途中にキーと子供は拉致されてしまう。セオは二人を追い、ルークと対峙するが、ルークもまた爆発で死亡する。
セオはキーと子供を連れてボートへ向かうが、生まれたばかりの子供を見た兵士たちは一時的に戦闘を止める。
この場面は白眉だ。子供の存在そのものが、キリストの「奇跡」のように描かれている。
『トゥモロー・ワールド』の中で初めて希望が見えるシーンだ。

セオとキーは小さなボートで「ヒューマン・プロジェクト」との待ち合わせ場所へ向かう。それはまるでノアの箱舟のようにも見える。
しかし、セオはルークとの戦闘で被弾しており、徐々に意識を無くしていく。キーは子供の名前を亡くなったセオとジュリアンの息子と同じ「デュラン」にしたと伝える。

もう動かなくなったセオの向こうから「ヒューマン・プロジェクト」の船が近づいてくる。画面は暗転し、子供たちの声が響いて映画は終わる。

『ブリング・オン・ザ・ルーシー』

エンディングで流れる曲はジョン・レノンの『ブリング・オン・ザ・ルーシー』という曲だ。もともとはアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録する予定だったが、その時は時間が足りずに完成には至らなかった。
ジョン・レノンのドキュメンタリー映画『ジョン・レノン, ニューヨーク』にその製作過程が詳しいが、『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は非常に政治的なメッセージの強いアルバムだった。それゆえにセールスは奮わず、次作『マインド・ゲーム』は『イマジン』の方向に回帰した作品となった。

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その中にあって『ブリング・オン・ザ・ルーシー』は『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』の流れを汲んだプロテスト・ソングだった。

「君たちがどの旗を振っているかなんて俺たちにはどうでもいい
君たちの名前だって知りたくはない
君たちがどこから来たのかも、君たちがどこへ行くのかもどうだっていい
ただ分かっているのは、君たちが俺たちの前に現れたってことだけだ

殺戮をやめろ
今すぐにやめるんだ
人々を自由にしろ」

『ブリング・オン・ザ・ルーシー』はニクソンに対する批判が込められた楽曲とも言われるが、『トゥモロー・ワールド』においては、政府と反政府組織のイデオロギーと戦闘を批判しているように聴こえる。

シャンティ、シャンティ、シャンティ

そしてエンドロールの後に「Shantih Shantih Shantih」と文字が並ぶ。この「シャンティ、シャンティ、シャンティ」とはサンスクリット語で「平和」「平安」「至福」を表す言葉だ。

今作は公開当時は興行的には失敗作であったが、『ブレードランナー』と同じように、公開終了後にじわじわと評価を高めてきた作品だ。その背景には、世界は確実に『トゥモロー・ワールド』に近づいてきているからだろう。先進国ではいずれも出生率は伸び悩みを見せ、いずれ人口減の国は加速度的に増えていくだろう(日本では2008年をピークに減少に転じ、2011年以降は14年連続で減少している)。
さらに日本国内でも外国人問題、移民問題などが昨今、社会問題として注目され出している。

『トゥモロー・ワールド』の世界は最悪のディストピアだが、その未来を全否定できないのも事実だろう。だからこそ、この「Shantih Shantih Shantih」は今の社会に対して大きな意味を投げかけているように思ええる。『トゥモロー・ワールド』は文字通り明日の私たちの世界の姿かもしれないのだ。

作品情報

『トゥモロー・ワールド』
公開年:2006年
上映時間:109分

スタッフ

監督
アルフォンソ・キュアロン
脚本
アルフォンソ・キュアロン
ティモシー・J・セクストン
原作
P・D・ジェイムズ
『人類の子供たち』
製作
マーク・エイブラハム
ヒラリー・ショー
トニー・スミス
エリック・ニューマン
イエン・スミス
製作総指揮
トーマス・エー・ブリス
アーミアン・バーンスタイン

キャスト

クライヴ・オーウェン
ジュリアン・ムーア
マイケル・ケイン
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映画から「時代」と「今」を考察する
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