
※以下の考察・解説には映画の結末のネタバレが含まれています
「強欲は善だ」
1987年に公開されたオリバー・ストーン監督の『ウォール街』の中で、敏腕投資家のゲッコーは株主たちの前でそう言い放つ。
ゲッコーは「金儲けはセックスより気持ちいい」「友達なんていらない、犬で十分だ」「起きろ、金は眠らない」など、飾らない強欲さで強いインパクトを残した。
だからだろう、『ウォール街』は本来悪役として設定したはずのゲッコーに憧れてウォール街を目指す若者を増やすという皮肉な結果を生んでしまった。
今回紹介する『悪の法則』もテーマの根底にあるのは「欲望」だ。
『悪の法則』
『悪の法則』は2013年に公開された、リドリー・スコット監督、マイケル・ファスベンダー主演のサスペンス映画。脚本を書いたのは、アメリカを代表する小説家のコーマック・マッカーシー。
ある弁護士(作中では一貫してカウンセラーと呼ばれる)が、「欲」のために一度だけ裏社会の取引に加わる。しかし、その取引は失敗し、カウンセラーをはじめとして関わったものはみな破滅的な結末を迎えていく。
マフィアが破滅する映画なんて山のようにある。ブライアン・デ・パルマ監督の『スカー・フェイス』はキューバ出身のマフィアである、トニー・モンタナがアメリカの裏社会でのし上がっていく物語だ。日本では北野武監督の『BROTHER』や『ソナチネ』などもそうだろう。
ただ、『悪の法則』がそれと異なっているのは、主人公は悪人ではないということだ。脚本を務めたコーマック・マッカーシーは「彼は古典的な悲劇の主人公だ」と述べている。
「ある朝起きて、出来心で悪事に手を出してしまっただけで、至極まともな男なんだ」
個人的に『悪の法則』は愚者を描いた寓話だと考えている。『セブン』でも描かれているように、カトリック教会では「強欲」「暴食」「怠惰」「肉欲」「高慢」「嫉妬」「憤怒」を指して7つの大罪としているが、『悪の法則』では高慢(傲慢)、強欲が取り返しのつかない結末を生み出す。
今作はマイケル・ファスベンダーもそうだが、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ブラッド・ピット、ハビエル・バルデム、ブルーノ・ガンツなど、オールスターキャストと言ってもいい豪華な布陣で固められていながら、北米では製作費2,500万ドルに対して、1,700万ドルしか回収できず、失敗と言っていい結果に終わっている(世界規模でみると、興行収入7,100万ドルとまずまずの結果は得ている)。
私自身は映画の出来不出来を左右する上で最も重要なのは脚本、その次に演出や演技ではないかと思っているのだが、『悪の法則』で賛否両論を集めたのはまさにこの脚本についてだった。
コーマック・マッカーシー
脚本を担当したコーマック・マッカーシーは現代のアメリカ文学を代表する小説家の一人であり、晩年には何度もノーベル文学賞の対象者ではないかと目されてきた。マッカーシーは還暦を前に発表した『すべての美しい馬』で自身初のベストセラーを獲得すると、全米批評家協会賞と全米図書賞を受賞。続いて発表した『越境』『平原の町』は『すべての美しい馬』と併せて「国境三部作」と呼ばれ高く評価されている。2006年に発表した『ザ・ロード』もピューリツァー賞を受賞してベストセラーになった。
マッカーシー原作の『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』を映画化した『ノーカントリー』はアカデミー賞では作品賞をはじめとして3部門受賞、その他にもゴールデングローブ賞など複数の賞を受賞し、高い評価を得ている。このことから、マッカーシー作品と映画というメディアそのものの相性は悪くはないはずだ。
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事実、リドリー・スコットは『キングダム・オブ・ヘブン』の次作としてマッカーシーの小説『ブラッド・メリディアン』の映画化を企画していた(スコットは以前からマッカーシーの小説のファンだったと述べている)。しかし『ブラッド・メリディアン』はそのタイトル(日本語訳で「血の到達点」)からもわかるように、ネイティブ・アメリカンへの過酷な暴力を描いた陰鬱で残虐な作品だった(『ブラッド・メリディアン』はネイティブ・アメリカンの頭皮を金に換えるギャング集団を描いている)。結局スコットはあまりにも残虐すぎるということで映画化を断念している。
しかし、その後にマッカーシーからスコットに送られてきたのが『悪の法則』の脚本だった。
なぜ『悪の法則』は失敗したのか?
だが、『悪の法則』もまた暗い作品には違いない。通常であれば、こうした破滅型の結末を持つ作品は前半で主人公側が破竹の勢いで勢力を拡大したり、大金を儲けたり、著しい成功をつかむものだが(それだけに後半の破滅がより印象深いものになるのだろう)、『悪の法則』は(カウンセラーの恋人へのプロポーズなどもあるものの)ただ堕ちていくだけの物語でもある。物語の始まりが立派な自室で恋人とのベッドシーンから始めるのに対して、エンディングではカウンセラーはスラムのようなホテルで一人で嗚咽を漏らしている。

ペネロペ・クルス演じるローラは本作で唯一「純真」を象徴している
加えて、今作は人物の相関が非常に分かりづらい作品になってしまったと思う。カウンセラー側の人間はスクリーンに登場する割合も高く、それぞれの関係が分かりやすいのだが、それ以外の敵対するギャングやカルテルなどは登場も散発的で、ともすれば誰がどういった人物なのかが分かりづらいのだ。
私以外にもそう感じる人はいるはずだ。ここで簡単にあらすじを紹介しておこう。
全てのダイヤは警告を発している
カウンセラーと呼ばれる弁護士は、恋人であるローラの婚約指輪を購入するため、アムステルダムへ向かう。
ダイヤの石を吟味していくカウンセラーに、ディーラーは「全てのダイヤは警告を発している」と伝える。
「全てのダイヤは警告を発している。
たとえいかに代価を支払おうとも、石の「永遠性」を追い求めようとする。
愛するものを宝石で飾るということは、命の儚さを知り、それを賞讃することです。
死神に向かって「闇の力には負けぬ」と宣言する。
不滅の石で永遠の命を願うのです。
いつかわかります」
『悪の法則』をすでに観たことのある者ならば、このセリフはカウンセラーのこれからを暗示していることに気づくはずだ。
カウンセラーはアメリカに戻り、友人で実業家のライナーと麻薬取引について話し合う。その後ライナーの店で、ダイヤの指輪を渡し、ローラにプロポーズする。

カウンセラーはライナーと組み、初めての麻薬取引を行う。
『白いドレスの女』
後日、カウンセラーはライナーの友人で麻薬ビジネスのブローカーであるウェストリーと会い、投資金を渡す。
ウェストリーはカウンセラーに取引の利益率が莫大であることを伝えるが、カルテルは容赦ないことも忠告する。
「奴らは別の種族だ。肝臓を抉り出し、犬に食わせる」
そしてこう言う。
「ある映画でミッキー・ロークが言っていたが、『それが俺の忠告だ、やめておけ』」
これは1981年に公開された『白いドレスの女』からの引用だ。『白いドレスの女』の主人公のネッドも弁護士であり、彼が不倫相手の夫を殺害するために、かつての顧客である爆弾製造業のテディに放火用の爆弾を依頼する。その時にミッキー・ローク演じるテディが放ったセリフだ。

ウェストリーは「麻薬取引は些細なことが命取りになる」と話す。
しかし、カウンセラーもネッド同様に、ウェストリーの忠告に引き下がることなく、取引に参加する。
バイカーの釈放
ウェストリーと会った後、カウンセラーはかつての依頼人である受刑者のルースを訪ねる。彼女の用件は、バイクのスピード違反で逮捕された息子の保釈金を支払ってほしいということだった。
カウンセラーが支払った保釈金によって息子は釈放されるが、その正体は麻薬カルテルの運び屋で「グリーン・ホーネット」と呼ばれている重要メンバーだった。そして運び屋のグリーン・ホーネットは殺され、麻薬は別の人間たちに奪われてしまう。
カルテル側は警察官に成りすまし、奪った人間と激しい銃撃戦となる。犠牲者を出しながらもなんとか麻薬の奪還を果たしたカルテルだったが、今回の黒幕は運び屋を釈放させたカウンセラーとみなし、カウンセラーとカウンセラー側の人間(ライナーやウェストリーなど)に復讐を始める。
そして、ローラもカルテルの一味に拉致される。カウンセラーはメキシコへ渡り、同業の弁護士などにも協力を求めるが、「助かる見込みは低い」と通告される。
カウンセラーの世界
さて、今作でカウンセラーの職業が弁護士であるというのも興味深い(『悪の法則』の原題は『The Counsellor』であり、これは法律顧問を意味している)。法廷内外を問わず、弁護士とは基本的には法を根拠に論理と交渉を行う仕事だが、今回カウンセラーが関わった麻薬取引とカルテルはそんな弁護士の世界とは対極にある世界だ。
終盤、カウンセラーはローラを拉致したカルテル幹部であるジェフェに一縷の望みをかけて交渉を試みる(ここで彼の野心家やエリートといった側面は完全に崩壊しているように見える)
リドリー・スコットは本作のセリフ回しを絶賛している。特にこの交渉のシーンはそのエッセンスが詰まっているように思う。セリフの解説も含めて、やり取りを見ていこう。
「提案にはすべて従う」
「提案などない」
「どこかで会おう」
「電話で十分」

ジェフェとの交渉の中でカウンセラーの希望は打ちのめされていく。
取引そのものの中にカウンセラーの落ち度はない。ただ、取引とは関係のない所で弁護士として、依頼人の息子の保釈を手助けしただけだ。だが、それが最悪の結果へつながってしまった。
ジェフェは「状況を分かってほしい」と言うカウンセラーに対して、「よくわかってる」と言う。
「行為が結果に繋がり、それによって違う世界が広がる
砂漠に埋められた死体も一つの世界
置きっぱなしの死体も別の世界
初めて知るそれらの世界も実は前から存在していた」
ジェフェはそう述べる。つまり、カウンセラーは自分以外の世界を見なかったと言える。
カウンセラーの傲慢さはここにも表れている。その目に見えるものをすべてと思い、動かせると思い込んでしまったのだ(ここで交渉を試みていること自体もその表れだろう)。
「理解できない、助けてほしい」
「自分が置かれた状況の真実を見るべきだ。これは心からの忠告だ。どうすべきだったか、私からは言えない。犯した過ちを取り消そうとする世界は、過ちを犯した世界とはもはや違う。
今、あなたは岐路にいて、道を選びたいと思う。だが選択はできない。受け入れるだけ。選択はずっと前に行われたのだ。
怒らずに聞いてくれ。思慮深い人間ほど、時として現実世界から遠くにいる。
誰であれ、やがて訪れる悲劇を受け入れるよう努力しなくてはならない。だが、それができる者は少ない」
旅人よ、道はない
「マチャードを知ってるか?」
ジェフェはカウンセラーに尋ねる。
「名前だけは」
「『旅人よ、道はない。歩くことで道はできる』彼は優れた詩人だ」
この詩に関しては少し補足が必要だろう。
「旅人よ、あなたの足跡だけが道であり、他には何もない。歩くことで道が作られる。
旅人よ、道はない。歩くことで道が作られ、後ろを振り返ると二度と踏むことのない道が見える。
旅人よ、道はない。ただ海の航跡のように」
この詩はアントニオ・マチャードが1912年に発表した『Campos de Castilla』に収録された『Caminante no hay camino(旅人よ、道はない)』という詩だ。
ジェフェは続ける。
「マチャードは学校教師で若く、美しい娘と結婚した。妻を深く愛したが、彼女は死に、彼は偉大な詩人になった」
「僕は詩人にははならない」
ここでカウンセラーはジェフェが『Caminante no hay camino』を引用した意味に気づいていないことがわかる(マチャードの名前しか知らないのでは無理もないが)。
「たとえ詩人になってもあなたは救われない。
マチャードは全ての物語や詩と引き換えにしても妻と1時間でも長くいたかった。
悲しみに「交換のルール」は適用できない。
なぜなら、悲しみに価値はつかないから。
人は国を売り払っても悲しみと交換しようとするが、悲しみでは何も買えない。
なぜなら、悲しみには価値がないから」
「なぜこんな話を?」
「あなたが今いる世界を拒み続けるからだ。妻を心から深く愛しているか?運命を交換してもいいと思うほど。
単なる死ではない。死は安易すぎる」
「わかってる、畜生!」
「それを聞けて何よりだ」
「つまり?交換が可能なのか?」
ここでもカウンセラーは本当は理解できていないことが露呈している。
「理解せねばならない。人生を取り戻すことなどできないことを。
あなたは世界を作り上げた。あなたが消えれば、あなたが作り上げた世界も共に消える。
だが最期の時が迫りくる者にとって、死は異なる意味を持つのだ。あらゆる現実の消滅は、死を受け入れなお、認めがたい概念だ。
最期のときに自らの人生とは何だったか、その真の姿が明らかになるのだ」
ジェフェがアントニオ・マチャードの詩を引用したのは、カウンセラーに「二度と戻れない」ことを伝えるためだ。そしてマチャードは妻の喪失を受け入れ、カウンセラーも同じように悲しみを受け入れるべきだと伝えるためだ。ジェフェの口調は温和で親切なものに感じられるが、その内容は非情で残酷なものだ。
「悪魔の化身」マルキナ
カウンセラーの視界の外にある世界は麻薬カルテルやマルキナのような人間たちがうごめく、弱肉強食の世界だ。リドリー・スコットはマルキナを「悪魔の化身」と評している。
作品のクライマックスで全ての黒幕がマルキナであったことが明かされる。
キャメロン・ディアスは悪女を果敢に演じているが、実は当初マルキナ役にオファーされていたのはアンジェリーナ・ジョリーだという。

マルキナ役には他にナタリー・ポートマンも候補に挙がっていたという。
映画監督の押井守は『悪の法則』のキャスティングについて「おそらくプロデューサーにキャメロン・ディアスを押し付けられたのだろう」と評していたが、あながち間違いでもないのかもしれない。アンジェリーナ・ジョリー演じるマルキナを想像すると、キャメロン・ディアスでは少し物足りない気もするからだ。
ウェストリーはロンドンに逃亡するが、マルキナの雇った男たちに「ボリート」と呼ばれる装置で首を締めあげられ、頸動脈を切断されて殺される。

どうあがいても助からない状況を悟ったウェストリーはついに笑い出す。
ローラの最期
一方のカウンセラーは打つ手が無くなり、スラムのようなホテルで絶望に沈む。そこに1つの小包が届けられる。その中身はDVDで、一言「HOLA!」とだけ書いてあった。「HOLA!」・・・これはメキシコの言葉で「やあ!」や「こんにちは」を意味する。
カウンセラーは以前にウェストリーからカルテルの処刑の一つに、誘拐した被害者の首を切り落としす様子を収めた「スナッフフィルム」の作成があることを聞いていた。
ローラの結末を察したカウンセラーは嗚咽を漏らす。
そしてメキシコのどこかではローラの首無し遺体がゴミとともに廃棄されている。

ゴミと共にローラの遺体は廃棄される。よく見ると首がないのがわかる。
『悪の法則』が一般に受け入れられなかったのは、作品全体のこうした陰鬱さもあったのだろう。
マイケル・ファスペンダーは自身が演じたカウンセラーについて、自らの劣等感を物質的な富で埋め合わせしようとしている男だと話し、こうも述べている。
「彼はローラに、自分が大きなダイヤを手に入れる力があること、そしてそういうことに詳しいことを示したいから、あんなに大きなダイヤを贈ろうとしたんだ。
しかし、それは本当の彼自身ではなかったんじゃないかな。彼は本来の自分ではない何かになろうとしていたんだ。
もし彼が物質的な浪費にとらわれず、普通のレベルでローラに集中していたら、もっとうまくいっていたと思う」
リドリー・スコットは本作を「根底にあるテーマは欲望であり、見る者を考えさせ、モラルを問う物語だ」としている。
『悪の法則』は再評価されるのか?
果たして、『悪の法則』は『ブレードランナー』のように復活する日が来るだろうか?
最後に本作を「心を奪う天才的な作品だ」と評価したBBCのダニー・リーの言葉を紹介しよう。
「我々みんなが鼻であしらい・嘲笑し・ひどいと思い、批評家がその作品を忌み嫌ったので誰も見に行かなかったのに、40年後にテレビでその作品が放送されるとみんなが『なんて傑作だ!』などと言ってしまうような作品が映画史にはあふれてるよ」
作品情報
『悪の法則』公開年:2013年
上映時間:117分
スタッフ
監督リドリー・スコット
脚本
コーマック・マッカーシー
製作
リドリー・スコット
ニック・ウェクスラー
ポーラ・メイ・シュワルツ
スティーヴ・シュワルツ
コーマック・マッカーシー
製作総指揮
マイケル・コスティガン
マーク・ハッファム
ヘニング・モルフェンター
キャスト
マイケル・ファスベンダーペネロペ・クルス
キャメロン・ディアス
ハビエル・バルデム
ブラッド・ピット