『オール・ザ・キングスメン』GHQが禁じた問題作!ポピュリズムと独裁の境界線とは?

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※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


フランク・キャプラが監督した映画のひとつに『スミス都へ行く』という作品がある。ジェームズ・スチュワート演じる純朴な田舎の無学な青年、ジェファーソン・スミスが上院議員としてワシントンへ赴き、そこでワシントンの政治腐敗と戦う物語だ。

『スミス都へ行く』はフランク・キャプラらしいヒューマニズムに溢れた作品であり、また、スミスがアメリカ建国の精神を抱いて腐敗と戦うという物語から、同作は「民主主義の教科書」とすら言われている。政治家として持ち得た権力があったとしても、それを愚直に純粋に子供たちのために戦い続けるスミスだが、実際のところ、権力を手にした場合、人は変わってしまうことも少なくない。それを描いたのが今回紹介する『オール・ザ・キングスメン』だ。

『オール・ザ・キングスメン』

『オール・ザ・キングスメン』はロバート・ペン・ウォーレンの小説『全ての王の臣』を原作にした映画だ。監督はロバート・ロッセン主演はブロデリック・クロフォードが務めている。
公開は1949年と古いのだが、その内容は今も変わらずに私たちの現実を鋭く切り取っている。

若い新聞記者のジャックは編集長からある男の取材を命じられる。彼の名はウィリー・スターク。彼は郡の会計係選挙に立候補しており、小学校の工事に関する不正を街頭で市民に訴えていた。
スタークは逮捕され、彼の妻もスタークの行動のために教師の職を解雇されるが、ジャックはそれでもなお不正を訴え戦い続けるスタークに感銘を受ける。

ジャックはスタークを称賛する記事を書くが、婚約者のアンとその兄であるアダムの父からは「大衆を扇動する記事は良くない」と批判されてしまう。

選挙には落選したスタークだったが、法律事務所を開き、弁護士として市民のために働くようになる。そんな最中、小学校の階段が崩落し、児童数名が犠牲になる。このことをきっかけに以前から工事の不正を訴えていたスタークは市民から信頼を得ていく。
スタークは現職知事からの後援もあり、州知事選挙に立候補するが、その目的は票を分散させ、対立候補を当選させないための知事の策略だった。

当初は決まりきったスピーチを幾度も練習するスタークだったが、自分が利用されていたことを知ると、それまでのスピーチを無視して自分の思いを語り始める。「私は票を割るために利用された農民だった!だが今自分の足で立ち戦う!犬でもできることだ!行く手を阻むものを叩け!」その言葉は大衆の心をつかみ、スタークは人気を得ていくのだが、選挙の結果は惜しくも落選だった。

それから四年後、ついにスタークは知事に当選する。だが、その選挙手法はもはや公正なものとは言えなかった。
新聞記者のジャックも職を転々としていたが、スタークの元にスタッフとして加わり、スタークを支えていくようになる。
知事となったスタークは反対派を一掃し、反対派を買収や脅迫していくなど独裁的な政治を強めていく。

ウィリー・スタークとヒューイ・ロング

この映画は実在した政治家であるヒューイ・ロングをモデルにしている。ヒューイ・ロングは1893年にルイジアナで生まれた。『オール・ザ・キングスメン』で一度選挙に落選したスタークは弁護士となって働くのだが、ロングも元々は弁護士として働いていた。
弁護士として貧しい人々のために活動していたロングは「自らも民衆の一人」というスタンスで人々の支持を集めた。これはロングも理想に燃えて政治家を志した。
「誰もが王様(Every Man a King)」をスローガンに、大企業から貧しい人へ富の再分配を目指したが、知事になると買収や脅迫などを繰り返し、権力を一手に集めた。そして遂には合衆国大統領を目指すまでになるのだが、道半ばにしてカール・ワイズによって暗殺される。

ロングは大企業を批判し、富裕層を批判した。100万ドル以上の世帯には100万円を上回った文の所得を余剰金として回収し、全世帯に分配するという富の共有運動(Share Our Wealth)政策を打ち出し、まだ恐慌から抜け出せていないアメリカで多くの人々に支持された。でヒューイ・ロングの政治姿勢はポピュリズムの典型と言われている。

そういった意味では『オール・ザ・キングスメン』は『スミス都へ行く』よりもキャプラの次作である『群衆』に近い。

扇動されやすい大衆

『群衆』はアメリカが第二次世界大戦に参加した当時の1941年に公開された映画だ。その内容はポピュリズムについてて。『スミス都へ行く』で民主主義を礼賛したキャプラだったが、アメリカにもファシズムの波が押し寄せてくると、キャプラは扇動されやすい大衆に不安を覚えた。

『群衆』で描かれるのはそんな危うい大衆の姿だ。

大恐慌時代のアメリカを舞台にリストラを免れようと新聞社の女性記者であるアン・ミッシェルはある投書を捏造して新聞に掲載してしまう。
「ミッシェル様、私は四年前に職を失いました。州のだらしない政策だけでなく、社会に絶望しました。その証明としてクリスマス・イブの24時に市庁舎の屋上から飛び降ります。

ジョン・ドー」

この投書は大きな反響を呼び、アンはクビを免れるどころか、ボーナスまで手にする。
そして、浮浪者の中からふさわしい人物を選び、ジョン・ドーを演じてもらうことにする。選ばれたのはロング・ジョンという名の元野球選手だ。

大衆のジョン・ドー人気は加熱していき、ついにはジョン・ドー・クラブというファンクラブまで作られる。
その人気に目をつけたノートンはジョンの人気を足掛かりに政界進出を狙う。
初めはアンの書いた原稿通りの演説をしていたジョンだが、その演説によって多くの人が繋がり合う様を見たジョンはジョン・ドーとしての使命に目覚めていく。
しかし、止まらないジョン・ドーの人気はロング・ジョン自身を追い詰めてしまう。

虚像としてのジョン・ドーを演じ続けることに限界を感じたロング・ジョンは本当のことを話したいと打ち明けるが、今さらノートンがそれを認めるはずはなかった。ノートンは先手を打ってロング・ジョンはジョン・ドーとしての人気を利用し金を横領、私腹を肥やしたとメディアを使って嘘の情報を報じる。すると大衆はこぞって掌を返し、ロング・ジョンを非難する。
ジョンはノートンが黒幕であることを暴露したとしてもジョン・ドークラブの理念は崩せないと信じていた。

しかし、群衆から彼に向けられるのは罵声と憎しみだけだった。皆虚像としてのジョン・ドーに夢中だったのであり、ジョン・ドー本人の実像を見ようとしなかったのである。
絶望したロング・ジョンは本物のジョン・ドーになってもう一度運動を巻き起こそうと投書の通りに庁宿舎から飛び降りようとする。

どの面を見るか?

いわば『群衆』におけるノートンが『オール・ザ・キングスメン』のウィリー・スタークだといえるだろう。
『群衆』はマスメディアによってコロコロ態度を変えてしまう大衆の愚かさを描いている。誰もジョン・ドー本人を見ていない。
その意味では『オール・ザ・キングスメン』では大衆は作られた虚像ではなくウィリー・スターク本人を見ているのだが、彼のどの面を見るかで評価が変わってくるのが興味深い。

スタークは自ら数多くの汚職や不倫を行いながらも病院の無償化によって最先端の医療を幅広く市民に届けるという実績を出している。

2018年に公開された『フロントランナー』は実在の政治家ゲイリー・ハートを主人公にし、1988年の大統領選挙で最有力候補と言われながらも、自身の不倫が発覚したことで選挙から撤退せざるを得なくなる様を描いている。
個人的には政治家はあくまでその政治能力によって判断されるべきで、プライベートのあれこれは判断の対象外にすべきだと思う。
また、クリーンではあるが何も出来ない政治家よりも、少しくらい税金を使い込んでいたとしても本当に実績を出せる政治家の方が望ましいとも思う。

奇しくも『オール・ザ・キングスメン』を観たタイミングが衆議院選挙の直前だった。いつものことながら、候補者はただ名前を連呼するばかり。たまに「改革だ!」「日本を変える!」威勢の良い言葉を並べながらも、どう変えたいのか、どう変わったのか、そのために何をしたのか、いまいち伝わらない。こうした面を目にするとスタークのような強権的だが、実行力のある人物に期待したくなる気持ちもわかる。
だが、それをどこまで許されるべきで、どこからが許してはならないのか、その境界線はとても難しい。

ポピュリズムによる権力の暴走

ポピュリズムによる権力の暴走は日本でも起きている。コロナ禍ではひたすらに酒類提供は悪とされた(そのエビデンスもいまいち不透明であるが)。その中で西村元経済再生担当大臣は「酒の提供を続ける飲食店に対して金融機関への働きかけを要請する」と発言し、一挙に批判の声が噴出した。「融資を制限するということではなく、優越的地位の濫用には当たらない」と釈明し撤回するに至ったが、どう考えても権力が法律を無視した形だ。

だが、暴走を許す下地を作ったのは国民なのだ。幾度の緊急事態宣言を国民からの声によって出してきた政府はしばしば「動きが遅い」「後出し」との批判を受けていた。「厳しい措置の方が国民からの支持率が上がる」と勘違いしたのだろうか。これこそがポピュリズムによる権力の暴走だろう。このことで西村元経済再生担当大臣はSNS上で「経済破壊担当大臣」と揶揄された。また、安倍元総理もその政治手腕が独裁的ではないのかとしばしば指摘されていた。

ジャックは「オムレツを作るには卵を割らないといけない」という。結果のためなら何かを壊すこともまた必要ということだが、権力のすべてを手にいれ、金によって人心を操ろうとするスタークへの反発心は時が経つほどに大きくなる。権力を手にしたスタークは家族すら愛さなくなる。スタークは妻と別居し、スタッフのサティと関係を持つ。ジャックは愛した女性のアンまでスタークに奪われてもまだスタークからは離れない。それはスタークのカリスマ性なのか、理想に燃えていたスタークの姿を覚えているからなのか。

スタークは典型的なポピュリストだ。ついには殺人事件すら揉み消そうとするほどに堕ちたスタークは支持者の多くを失う。弾劾裁判にかけられることが決まると、スタークは大がかりなキャンペーンで支持者を増やす。「田舎からでもワシントンに集まってくれ!」そう叫ぶスタークの姿は特に貧しい田舎の地域で支持を集めたトランプを彷彿とさせる。多くの支持者を集めたスタークは裁判に勝利する。だが、勝利したその夜にアダムに射殺される。

その様を見ていたジャックはアンにこう言う。
「アダムが見ていたスタークの真実を大衆に伝えよう」
だが、それでもスタークを支持する人たちの声は止まない。

ヒューイ・ロングもまたカール・ワイズに暗殺された。だがロングを暗殺したワイズは全身がズタズタになるほど機関銃の弾を浴びたという。
ロングの葬儀には10万人を越える人々が参列し、ルイジアナ州バトンルージュにはロングの銅像も立っている。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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