『ダイ・ハード4.0』

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失語症により俳優業からの引退を発表したブルース・ウィリス。彼の代表作が『ダイ・ハード』シリーズであることに異論を挟む人は少ないだろう。
1988年に公開された『ダイ・ハード』は普通の男が自分の身に降りかかった不運をボヤきながらも、肉体だけでなく、頭脳と機転を駆使して悪と立ち向かう点が新鮮だった。
シルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーのような超人的な身体能力で最前線に立って戦うアクションヒーローとは違う、新しい形のアクションヒーロー像をブルース・ウィリスは示して見せた。

シリーズの中でも第一作目の『ダイ・ハード』と並んで好きな作品が今回紹介する『ダイ・ハード4.0』だ。
『ダイ・ハード4.0』は2007年に公開されたレン・ワイズマン監督、ブルースウィリス主演のアクション映画。前作『ダイ・ハード3』から約12年ぶりとなる続編となった。

ニューヨークでインフラが次々にハッキングされる。疎遠になっている娘に会うためにニュージャージー州を訪れていたニューヨーク市警のジョン・マクレーンはFBI副長官のボウマンの「全米中のハッカーを一斉に保護せよ」という司令により、ハッカーの一人マット・ファレルという若者を連行する。しかし、その途中で何者かの襲撃を受ける。マシューと同じ様に全米で7人のハッカーが襲われ殺されていた。
犯人は元国防総省のチーフプログラマーであったトーマス・ガブリエル。彼はかつて自分を冷遇した政府に復讐し、サイバーテロによって巨万の富を手に入れようとしていた。
マクレーンは保護したマシューの助けも借りながら、テロリストたちを撃退していく。しかし、ハッキングでマクレーンの個人情報を入手したトーマスはマクレーンの娘のルーシーを拉致する。マクレーンはマットの手も借りながら、娘を取り戻すためにサイバーテロ組織に立ち向かっていく。

今作を観ると、映画製作者がその作品にどれだけ愛情を持っているかで作品の出来が大きく左右されるのがよく分かる。
1998年に『GODZILLA』はゴジラ映画のファンや批評家から厳しい意見が相次いだが、後に監督のローランド・エメリッヒはゴジラの映画を撮ることにそもそもあまり乗り気ではなく、あえて断られるようなアイデアを出したところ、意外にも東宝側からOKが出て製作せざるを得なくなったと告白している。
もう一つ、ファンからの悪名高い作品としては2009年に公開された『ドラゴンボール・エボリューション』がその筆頭だと思うが、こちらも後に脚本家のベン・ラムゼイが「私は「ドラゴンボール」のファンとしてではなく、ビジネスマンが業務を請け負うかのように、この仕事で大金が支払われることに目がくらんでしまったのです。私はこのことから、創造的な仕事に情熱なく取り組んだ場合には、最低の結果が伴うこと、そして時として作品を薄っぺらいゴミにしてしまう副作用もあることを学びました。(中略)世界にいる「ドラゴンボール」ファンの皆さんへ、心からお詫びします。」と『ドラゴンボール』のファンに謝罪の言葉を述べている(ちなみに原作者である鳥山明の逝去に際して、本作の主演俳優だったジャスティン・チャットウィンも哀悼の意と謝罪のコメントを出している)。
まぁもちろん作品に愛情を持っていても、だからといって決してそれが成功するわけでもないのだが。

さて、『ダイ・ハード4.0』の監督のレン・ワイズマンは熱烈な『ダイ・ハード』シリーズのファンでもあるという。なんでもシリーズのジョン・マクレーンのセリフはすべて覚えているほどだという。個人的には本当か?という疑問はあるものの、本作を観るとレン・ワイズマンが『ダイ・ハード』シリーズの魅力を完璧に理解しているのがよく分かる。
ジョン・マクレーンが時代遅れのアナログで不器用な頑固親父である所も、それゆえに家族ともうまくいっていないことも、これまでの作品でジョン・マクレーンというキャラクターをみていたら、そりゃそうだよなと思えるところばかりなのだ。

ジョン・マクレーンは、一般の人がイメージするランボーのようなスーパーマンではない(ランボーも決して好戦的な人物ではないのですが、ここでは便宜上)。1980年代のアクション俳優としてイメージされるアーノルド・シュワルツェネッガーやシルヴェスター・スタローンのような筋骨隆々としていて、超人的な力を発揮する役柄と、ブルース・ウィリス演じるジョン・マクレーンは対称的だった。

どちらかと言えばマクレーンは弱いヒーローだ。『ダイ・ハード』でも傷だらけになりながら戦い、カールとの格闘においては明らかに力負けしている。本当は事件に関わりたくはないのだが、たまたま事件に巻き込まれていく。

『ダイ・ハード4.0』でもマットの「あなたのような英雄にはなれない」という言葉に対して「俺が英雄?女房とは離婚し、子供は口を利かず、飯はいつも一人。そんな奴になりたいか?他にやる人がいないからだ。やる奴がいるなら喜んで代わるが、誰もいない」と述べている。
また今作では『ダイ・ハード』シリーズで「家族を守るために戦う」というマクレーンの動機が復活している。『ダイ・ハード』、『ダイ・ハード2』では妻のホリーを守るというのがマクレーンの戦う大きな理由になっていた。『ダイ・ハード3』は家族が理由にはなっていなかったが、『ダイ・ハード4.0』は娘のルーシーのためにサイバーテロ組織に立ち向かう。

昨今のスーパーヒーロー映画のように「世界を滅ぼす悪と戦う」主人公よりも、家族を守る男の方に心情としては共感しやすいはずだ。その意味ではスーパーヒーロー疲れも当然だと思う。

『ダイ・ハード3』から12年ぶりとなった今作はアクションも大幅にスケールアップしており、それもまた大きな魅力ではあるのだが、根本にあるのは『ダイ・ハード』ならではの不器用な男の実直さと愛情なのだ。『ダイ・ハード4.0』はそれを正しく回復させた作品だと思う。

犯人側の武器がミサイルや核兵器でもなく、ノートパソコンによってインフラに対してハッキングを行い、サイバーテロを起こしていくという流れも今の時代にマッチしており、ストーリーのテンポも素晴らしい。息つく間もなく、アクションの連続で決して観る者を退屈させない。

今回の劇中のサイバーテロは如何に私たちの生活がコンピューターに支配されており、脆弱なものかを皮肉っているようにも思う。

ただ、今回注目したいのは 『ダイ・ハード4.0』 が9.11後のアメリカを反映した作品でもあるということだ。
冷戦の終わりと前後してハリウッド映画の描く仮想敵は共産主義やロシアからイスラム過激派に変わっていった。

1994年に公開された『トゥルーライズ』はイスラム過激派が核兵器を盾にアメリカにペルシャ湾からの釈放を要求する。また1998年に公開された『マーシャル・ロー』では、ニューヨーク各地でテロ事件が相次いで発生。その容疑者はどこにでもいるような中東系の若者だった。
『マーシャル・ロー』はその内容があまりにも9.11に似通っているが、飛行機をハイジャックして世界貿易センタービルへ突っ込むなどは映画以上に映画らしかった。
現実が映画を超えてしまったのだ。
そのためか、相変わらずハリウッドは中東系の人々をテロリストとして描くことが多かったもの、9.11後の映画では彼らが登場するのもフィクションではなく、実話を元にした作品が多かった(詳しくはコラム「9.11 同時多発テロとアメリカを映画はどう描いてきたのか」も参照されたい)。

だが、『ダイ・ハード4.0』はそうではない。FBI副長官のボウマンは中東系の人物だが、もちろんテロリストではなく、終始マクレーンとマットをサポートする、優秀な人物として描かれている。逆に今回の敵はアメリカ人であり、その事自体がまた一つのメッセージになっているのではないか。
9.11のテロが起きた後、当時の大統領であったジョージ・w・ブッシュは愛国者法を制定し、市民の電話やメールを無許可で傍受した。
ガブリエルたちはシステムをハッキングし、インフラを破壊しようとした。

冷戦以降、ハリウッドで作られた作品に登場する中東系の人物のほとんどが偏ったイメージで描かれているという。
だが、本当にそれでいいのか。9.11が固定化した中東=テロのイメージから『ダイ・ハード4,0』は果敢に抜け出そうとしているのである。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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