『黒い司法 0%からの奇跡』今も終わらない「アラバマ物語」

黒い司法 0%からの奇跡
ノーブランド品

※以下の考察・解説には映画のネタバレが含まれています


1964年に公民権法が成立し、法によって人種差別は禁じられた。
恥ずべきことだが、それから60年以上経った現代においても人種差別はなくなってはいない。『アメリカン・ヒストリーX』、『フルートベール駅で』などは現代の人種差別をテーマにした映画だ。
だが、それらが描く人種差別はあくまでも人種差別する個人を描いたもので、公的かつ露骨な差別はほぼ無いだろうとも思っていた。
今回紹介したい『黒い司法 0%からの奇跡』を観るまでは。

『黒い司法 0%からの奇跡』

『黒い司法 0%からの奇跡』は2019年に公開された実話を基にした映画だ。1986年に起きた「ウォルター・マクミリアン冤罪事件」をテーマにしている。
監督はデスティン・ダニエル・クレットン、主演はマイケル・B・ジョーダンとジェイミー・フォックスが務めている。
原作はブライアン・スティーヴンソンが2014年に発表したノンフィクション『黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪』だ。映画ではマイケル・B・ジョーダンがブライアン・スティーヴンソンを演じている。

ハーバード大を卒業した新人弁護士のブライアン・スティーヴンソンは家族の反対を押し切り、アラバマへ向かう。
なぜ、アラバマなのか。当時、アラバマ州は死刑囚に法的な支援を提供しなかった唯一の州だった。また一人当たりの死刑判決率が最も高いのもアラバマ州であった。
スティーヴンソンは、司法実習生の時に死刑囚の支援を行った経験から、弁護士として十分な法的ケアを受けられない死刑囚の支援を行いたいと考えていた。同じく死刑囚の支援活動を行うエバ・アンスリーとともにスティーヴンソンは非営利団体の「イコール・ジャスティス・イニシアチブ(EJI)」を立ち上げる。

スティーヴンソンはアラバマ州刑務所で死刑囚たちと面会する。しかし、その中で十分な弁護を受けている者は誰もいなかった。
その中の一人がウォルター・マクミリアンだった。マクミリアンは1986年11月に当時18歳のドライクリーニング店員ロンダ・モリソンを殺害した容疑で逮捕されていた。
驚くべきことに裁判が始まる前から既にマクミリアンは死刑囚の監房に収容されていたという。

ちなみにマクミリアンを演じたジェイミー・フォックスによると、マイケル・B・ジョーダンから直々にマクミリアン役をオフォーされたという。「マイケルから『素晴らしい作品がある』と電話がきたんだ。オファーをもらって、とても光栄だった。ブライアンの物語を世界に知ってもらうため、全力で臨もうと思った」
マイケル・B・ジョーダンは本作でプロデューサーも務めているが、本作について「絶対語られるべき」だという。
『黒い司法 0%からの奇跡』  は絶望と希望についての物語だからだ。

血の日曜日事件

スティーヴンソンにマクミリアンは言う。
「前の弁護士はそこに座り『なにもしなくていい、大丈夫だ』と言った。だが死刑になった。そして金が底をついたら姿をくらました。お前はどこが違う?」
「まず再審請求を」
「もうハネられた。記録にあるだろう。」
「ではその撤回を訴え、ダメなら刑事控訴裁に上訴し州の最高裁へ、それがダメなら既決囚救済か人身保護請求、すべてダメでも連邦最高裁がある」
「わかってないな、このアラバマじゃそんなもん幻さ。」

マクミリアンの言うように、アラバマは南部の中でも最も人種差別が激しかった地域だ。
2014年に公開された『グローリー/明日への行進』はキング牧師を主人公にした映画で、キング牧師が1965年に行ったモンゴメリーへの行進をテーマにしている。『グローリー/明日への行進』の原題は「SELMA」だが、これは行進の出発地点を指している。
『グローリー/明日への行進』ではモンゴメリーへ向かって行進していた無抵抗の人々に州兵や保安官らが凄惨な暴力行為を加えた「血の日曜日事件」が描かれている。彼らは報道機関もいる中で無抵抗な人々を棍棒や鞭などで殴打し、セルマヘ追い返した。この事件で病院送りになった者は17名に及び、暴力と重傷者の様子は全米に報道された。

白人の本音

当時のアラバマ州知事のジョージ・ウォレスは熱心な人種差別主義者としても知られていた。ウォレスは「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」をスローガンに選挙を勝ち上がった。キング牧師らの行進の阻止を命じたのもウォレスだ。
1994年に公開された『フォレスト・ガンプ/一期一会』は知能指数が人より劣っているが、心優しい青年フォレスト・ガンプの半生を描いた大ヒット映画だが、一方で同作では南部のアメリカを舞台にしながら公民権運動がほとんど描写されていないことから批判の声も根強い。 唯一、人種差別が描かれたのは1963年に起きたアラバマ大学の黒人拒否事件くらいだろう。
アラバマ大学へ黒人学生のジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンが入学しようとするが、アラバマ大学の前には黒人学生の入学に抗議する声明を出したジョージ・ウォレスが黒人学生の前に立ちはだかる。だがそのような事件も、現場に居合わせたガンプがたまたま学生の落としたノートを拾うというコミカルな演出がしてあり、差別の実態を正確に描けているかというと疑わしい。
だだ、それがアラバマに住む白人の本音かもしれないとも思う。

話を『黒い司法 0%からの奇跡』に戻そう。
マクミリアンとの面会を終えたスティーヴンソンは事件の概要をエバとともにもう一度洗い直そうとしていた。
その中でマクミリアンの有罪の決め手となった証言は信憑性が薄いことに気づく。マクミリアンがモリソンを殺したことを証言したのは刑務所に服役中の囚人のみだった。その上には精神科への通院歴もあった。
もし証言が嘘なら、真犯人を取り逃がしている可能性もある。他にも記載されていない情報があるのではないか?そう考えたスティーヴンソンは検事に会いに行くことを考える。当時の事件の担当検事はすでにこの町にはおらず、代わりに新しい検事のチャップマンが町に赴任していた。チャップマンは元公選弁護人だったとも言う。公平な立場で真相究明に協力してくれるのではないか。スティーヴンソンはそんな期待を抱いていた。

スティーヴンソンが車を走らせる道路には「モンロービル『アラバマ物語』の地」という看板が映し出される。
またチャップマンの事務所の受付の女性からは『アラバマ物語』の博物館へはもう行ったかと問われる。
なぜここで『アラバマ物語』なのだろうか?

『アラバマ物語』

『アラバマ物語』は1963年に公開された作品で、『黒い司法 0%からの奇跡』同様、黒人の被告人にかけられた冤罪を晴らしていく物語だ。監督はロバート・マリガン、主演を『ローマの休日』で知られるグレゴリー・ペックが務めている。
グレゴリー・ペック演じる弁護士のアティカス・フィンチは「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」のヒーロー部門で一位を獲得、グレゴリー・ペックも晩年、アメリカの理想の父親像を問われ、フィンチの名を挙げている。なおペック自身もリベラルであり、あらゆる差別に反対する公正で政界進出が囁かれるほどの人格者であったという。
『アラバマ物語』の舞台は1930年代のアラバマだが『黒い司法 0%からの奇跡』においてアラバマ州の白人たちは『アラバマ物語』のような人種差別は既に過去のことだと思っているように感じる。でなければ『アラバマ物語』をこれほどアピールはしないだろう。
『アラバマ物語』は「過ぎ去った過去の汚点」の象徴でもあるのだ。

チャップマンも同様にマクミリアンの事件の再調査には消極的だった。チャップマンは事なかれ主義の人間であり、事件を蒸し返すことで住民たちの心の傷を再び広げるべきではないとスティーヴンソンへの協力を断る。

スティーヴンソンはマクミリアンの事件当日のアリバイを証言してくれる人物を見つけたが、彼は警察に逮捕され、法廷での証言を拒んでしまう。エバやスティーヴンソンの元にも脅迫や妨害が続き、再審を勝ち取る動きはなかなか進まない。
次にスティーヴンソンが目をつけたのはマクミリアンが事件にか変わっていたことを証言した受刑者のラルフ・マイヤーズだった。マイヤーズは精神科を受診していたことや証言と引き換えに司法取引を行っていたことから証言の信憑性には大きな疑問があった。
スティーヴンソンはマイヤーズと面会するが、マイヤーズは証言について話したがらない。ほとんど収穫もないままその場を後にする。

真実

後日、スティーヴンソンはこれまで提出されていなかった、事件直後のマイヤーズの取り調べのテープを手に入れる。そこにはマイヤーズがマクミリアンの事件について何も知らないと話す内容が残されていた。
スティーヴンソンはマイヤーズに面会し、証言を取り下げ、真実を語ってほしいと頼む。
マイヤーズは証言の真実を語る。幼い頃の怪我から火傷に酷いトラウマを持っていたマイヤーズは死刑執行から最も近い房に収容されていた。そこでは電気椅子によって死刑囚の皮膚が燃える臭いが漂っていたという。マイヤーズはそんな環境に耐えきれずに、別の場所に移してくれるなら何でもすると言い、言われるがまま偽りの証言をしたのだという。
「嘘の証言であなたと似た境遇の男が死刑にされる。もし少しでも良心が痛むなら最後のチャンスだ」

そして郡裁判所で再審を問う審理が開かれた。
マイヤーズは法廷に立ち、取り調べでの証言は嘘だったと真実を伝える。法廷にどよめきが広がる中、判決は後日となりその日は閉廷する。
しかし、喜びも束の間、結局裁判所の判断は覆らなかった。再び死刑囚監棒へ入れられようとする時、マクミリアンは初めて激しく抵抗する。
一度見えた希望が眩しければ眩しいほど、絶望はその闇の深さを増す。
スティーヴンソンもまた判決に打ちひしがれていたが、他ならぬマクミリアンの言葉に思いを新たにする。
「ここ数日マイヤーズの証言を考えていた。彼は真実を話した。服役して初めて俺は生き返った。自分を取り戻せたんだ。連中はやるだろう
だがもし今夜執行されても俺は笑って逝く。
真実を取り戻したから。あなたのおかげだ」

スティーヴンソンは次の手を模索する。
最高裁に再審請求をすると同時に、CBSの60ミニッツという番組でマクミリアンの冤罪を広く訴えかけ、世間もマクミリアンの事件に関心を抱くようになった。

正義の実現

そんな中、スティーヴンソンの事務所に一通の封筒が届く。それは事件の再捜査のために再審を延期してほしいという検事からの申し出だった。
スティーヴンソンはチャップマンの自宅を訪れる。再捜査なんかやっても何も出てこない、メンツのために無実の者を刑務所に送るのかと。
「メンツなど関係ない。この郡の住民の安全を守りたいだけだ」
チャップマンのその言葉をスティーヴンソンは問い質す。
「その住民とは誰だ?この界隈のものか?あなたに彼を奪われた黒人たちか?彼らは安全か?あなたの仕事は有罪判決の保持じゃない。正義の実現だ。あなたが抗えば、守るべき郡で真犯人は野放しだ」
「わざわざ夕食時に来て仕事の説教か?」
スティーヴンソンは答える。
「違う。あなたは善悪の判断がつく人だから来た」

スティーヴンソンの冒頭陳述

そして郡裁判所で起訴の取り下げ請求が開かれる。冒頭陳述でスティーヴンソンはこう述べる。
「これは一人の男の冤罪裁判に見えます。ですが裁判の一年前から黒人を死刑囚にし、陪審からは黒人を排除、有罪の根拠は白人の重罪犯の証言のみで24人もの善良な黒人の証言は無視された。無実の証拠は隠匿され、真実を語る者は脅迫を受けた。
これはもう一人の裁判ではありません。試練です。我々が選ぶのは恐怖と怒りによる支配か、法による支配か」
スティーヴンソンは傍聴席の後ろに立つマクミリアンの家族らを見つめて言う。
「後ろの人々も逮捕されれば推定有罪なのでしょうか。ここを出て、明日は我が身の恐怖に暮らすのでしょうか。
もし罪なき貧者よりもやましき富者が遇されるなら、そんな社会は公正じゃない。
もし法の下の平等を言い、どの市民の権利も財産・人種・地位によらず守るなら、彼の悪夢を終わらせるべきです。
偏見と先入観に満ちた人々の創作とすでに証明されています。彼らは真実より易きに流れた。それは法じゃない。正義でもない。間違っている。
即刻起訴を取り下げるよう求めます」
その言葉に検事のチャップマンも起訴の取り下げを申し出る。
ウォルター・マクミリアンは無罪となり、ようやく自由と尊厳を取り戻したのだった。

1993年4月1日、死刑に関する上院公聴会にマクミリアンとともに出席したスティーヴンソンのスピーチでこの映画は幕を下ろす。

「私は世界を変えようとロー・スクールを卒業しました。だが、マクミリアンと出会い、理想だけではダメと教わった。強い信念が必要なのだと。希望が大切なのだと。
今ならわかる。絶望は正義の敵です。
権力者が真実を曲げても、希望があれば前へ進める。そして立ち上がる。例え座れと言われて黙れと命じられても。
人には誰しも犯した罪以上の価値がある。
貧困の逆は富ではない。貧困の逆は正義です。
この国の特質は恵まれた人々を優遇し、貧者や弱い者や死刑囚を冷遇するものです。
この無実の男から奪ったものはあまりにも多い。だが彼を先例とすれば、よりよい社会は可能です。
もし我々が自分自身を謙虚に見つめれば、正義が必要だとわかるはずです。慈悲も必要です。おそらく、ある程度は分け隔てのない赦しも。ありがとう」

個人的には死刑制度には反対しない。被害者の無念、遺族の慰めに少しでもなるのであれば、死刑制度は意味がある。命を奪った者の罪は命でしか償えない。
しかし、それも公正で公平な法という判断があってこそだ。

終わらない『アラバマ物語』

エンドロールではアメリカの死刑囚の十人に一人が冤罪だという驚くべきデータが示されている。

ここからはスティーヴンソンとマクミリアンその後について話していこう。
スティーヴンソンとウォルター・マクミリアンはその後も友情を保ち続けたが、2013年にマクミリアンは死去。晩年は認知症であり、自分が死刑囚であると思い込んでいたという。医師の多くはマクミリアンの認知症は収監されていたときのストレスが原因だと考えていた。スティーヴンソンは「不当な扱いを受けた彼らのトラウマは過小評価されている」と述べている。
ブライアン・スティーヴンソンはその後も30年以上にわたって死刑囚の救済に尽力し続け、140名を超える死刑囚を救うことに成功している。
バラク・オバマ前大統領は自身のツイッターで「2019年のお気に入り映画」の1つに本作を挙げている。

2020年、ジョージ フロイド殺害の事件を受けて、ワーナーはさまざまなストリーミングサービスでこの映画を無料公開した。
そう、現代においても人種差別はなくなってはいない。『アラバマ物語』はまだ終わっていないのだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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