『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』なぜジョン・レノンはロックで成功できたのか

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ジョン・レノンには二人の母親がいた。実の母親であるジュリア・レノンと、育ての母であるミミ・スミスだ。
2009年に公開された『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』では、この二人の母の間で葛藤し揺れ動く若き日のジョン・レノンの姿が描かれる。
監督はサム・テイラー・ウッド。彼女曰く「私はジョン・レノンの音楽のファンでビートルズの曲に親しんで育った。もちろん曲も全部知っているけれど、私が作っている映画は、大人になろうとしている青年の映画。(中略)これは成長物語だということを決して忘れたくなかった」とのことで、ジョン・レノンそのものを描くというよりは家庭環境と母親の愛情に悩み傷つく一人の青年という側面を中心にしている。

『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

今作では、1955年から58年までの約3年間、15歳から18歳までのジョン・レノンが描かれる。ビートルズやジョン・レノンをテーマにした映画は数あれど、この時期をテーマにしたものはほぼない。
50年代のアメリカについては『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の記事で触れているが、50年代のイギリスはどうだったのだろうか。
若き日のジョン・レノンを辿りながら、50年代のイギリスがどうジョン・レノンをロックンロールに導いたのか、ビートルズを作り上げたのかを考察してみたい。
ジョン・レノンの生い立ちに関してはビートルズ・マニアの知識には敵わない。この記事は言わば、『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』の長い注釈として読んでほしい。

二人の母親

『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』の冒頭はジョンが伯父のジョージとともに家にラジオを取り付けるところから始まる。
イギリスでテレビはエリザベスの戴冠式をきっかけに普及し始めたが、若者にとって50年代の流行の中心はラジオだった。保守的なBBCは60年代になるまでロックンロールを流さなかった。
だが、海の向こうのラジオ・ルクセンブルクからはエルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャードなどの最新のロックンロールが流れてきた。ジョンが大きな影響を受けることとなるエルヴィス・プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』を初めて聞いたのもラジオ・ルクセンブルクからだった。

16歳の時にジョンは実母のジュリアと再開する。厳格なミミと違い、奔放なジュリアからジョンは多いに影響を受ける。『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』ではジュリアとジョンが立ち寄ったカフェでジョンはロックンロールと出会う。それが『ロケット88』だ。
『ロケット88』は1951年にリリースされたジャッキー・ブレンストンの楽曲だ。
「俺のロケットに遅れるな ベイビー 出発は8時30分」
ジュリアは「ロックンロールの意味をわかる?」とジョンに問いかけ、「セックスよ」と言い、実の息子を困らせるのだが、実際にロックもロールも黒人社会ではセックスを意味する隠語であった。『ロケット88』の歌詞はこう続く。「みんな俺のロケットが好きなんだ。女の子もこいつに惚れるさ」
『ロケット88』はR&Bチャートで一月以上も首位を維持したブレンストンの代表作になった。

エルヴィス・プレスリーの登場

ゴスペルやR&Bにカントリーなどの音楽が合わさってロックンロールは誕生する。『ロケット88』のレコーディングに携わったサム・フィリップスはこのレコードこそ、最初のロックンロールだろうと述べている。
ロックンロールの最初期のミュージシャンとしてはチャック・ベリー、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャードなどが挙げられる。特にエルヴィスは衝撃だった。エルヴィスの登場は当時の人々に強烈なインパクトを与えた。人種差別が当たり前だった当時において、エルヴィスは「白人でありながら黒人のように歌う」最初のミュージシャンだった。
ビートルズのジョン・レノンは「エルヴィス以前には何もなかった」と言う。「エルヴィス・プレスリーがなければビートルズも誕生しなかった」それほどまでにエルヴィス・プレスリーは衝撃だった。エルヴィスの歌う「ハートブレイク・ホテル」はジョンだけでなく、ビートルズの他のメンバーもノックアウトした。ポールは「ルックスが完璧だった」、ジョージは「なんというサウンド、なんというレコードだろう、あの曲が僕の人生の方向を変えてしまった」リンゴは「信じられなかった。とても危険なことをやっている感じがした」とそれぞれその衝撃の大きさを語っている。
『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』でジョンはジュリアに連れられた映画館ではエルヴィスを知る。次のシーンでは早速エルヴィスのようにレザー・ジャケットに身を包み、サイドの髪を撫で付けてリーゼントに髪型を変化させたジョン・レノンが微笑ましい。

ここで映画的な備考を加えると、エルヴィス・プレスリーがレザー・ジャケットを着るようになったのはマーロン・ブランドが『乱暴者』でレザー・ジャケットを着用していたからだ。エルヴィスが音楽界に新しい風をもたらしたならば、ブランドは若者文化に吹いた強風だった。
今のTシャツ文化を広めたのもブランドだ。1951年の映画『欲望という名の電車』ではそれまで肌着として人前に見せる服ではなかったTシャツを普段着として着用するスタイルは世界の若者に影響を与えた。
『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』のジョンのファッションを見てみよう。冒頭、中学生の時はシャツのスタイルだ。如何にも地味な色で保守的にすら見える。
実はイギリスは戦争が終わった後も徴兵制度が残っていた。アメリカの若者が享受したようなモラトリアムは無く、そこにアメリカのような若者文化の盛り上がりは期待するべくもない。だが、1955年に徴兵の年齢が18歳から19歳にからに引き上げられ、1957年には徴兵制にそのものが廃止された。ジョンは徴兵制の廃止について「その時ばかりは神に感謝した」と述べている。
かくしてモラトリアムが与えられたイギリスでも若者文化は花開いていく。ちなみにメガネ着用をを拒否していたジョンも縁の大きなメガネだけは自らを着用している。これもロックンロールの創始者の一人、バディ・ホリーの影響だ。

映画のエンディングでのジョンのファッションは黒のTシャツに黒のレザー・ジャケットにコートを合わせている。ファッションの側面にしても、時代の風俗とジョンの嗜好の移り変わりを見ることができる。
だが、これまではアメリカの後追いだったジョンらがなぜビートルズとしてアメリカでも成功を得ることができたのか、そこを見ていこう。

ロックが死んだ日

アメリカで誕生したロックは一度死ぬ。1959年のことだ。前述のリトル・リチャードは1957年に人気の絶頂期の中突如引退を発表する。 オーストラリアでのツアーに向かっていたリトル・リチャードは、移動中の太平洋上で、乗っていた飛行機のエンジンが火を噴くのを窓から目撃し、「願いがかなったら神職につきます」と、搭乗機の無事を祈った。無事シドニーに到着したリチャードは突如引退し、神学校に入学して牧師となりミュージシャンを引退する。
若者に熱狂的に指示されたエルヴィスは軍隊に入る。このことは反体制側の人間としてエルヴィスに共感していた若者を幻滅させることになった。ジョン・レノンもその一人だ。
また、1959年12月には14歳の少女を不法に州境を越えて連れ回したとしてチャック・ベリーが逮捕される。
その10か月前の1959年2月3日、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、J.P.”ビッグ・ボッパー” リチャードソンら3人のミュージシャンをのせたヘリが墜落。その全員が亡くなった。このことからこの日は「音楽が死んだ日」と言われる。

ロックが死に、空白地帯ともいえるアメリカに新しい風を吹き込んだのがイギリスだった。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、イギリス出身のロック・バンドがアメリカでも人気を得るが、やはりその先鞭といえるのはビートルズだろう。ボブ・ディランは「ビートルズのお陰でアメリカはプライドを取り戻すことができた」とまで言い切っている。

イギリスからの波

話を戻そう。ジョンは停学中にジュリアからバンジョーの手ほどきを受ける。ジョンがロック・ファンからロック・プレイヤーになる瞬間だ。
『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』でほジュリアが『マギー・メイ』を奏でて聞かせる。マギー・メイとはリヴァプールの「水夫の娼婦の名」だとされている。港町であるリヴァプールでは水夫になるのはごく一般的な選択肢であったに違いない。

2019年に公開された『イエスタデイ』はビートルズの存在が世の中から消えた世界を描いている。そんな中でもビートルズを記憶している数少ないひとりでもある主人公はジョンの家を訪ねる。そこには78歳になったジョン・レノンがいた。ビートルズが存在しなかった世界なので、ジョンはミュージシャンではなく水夫として暮らしており、暗殺されることなく平凡に今日まで生きているという設定だ。
だが、ジョンは音楽と出会い、ビートルズになった。

ジョンが最初に組んだバンドはスキッフル・バンドであるクオリーメンだが、『マギー・メイ』はそこでも歌われている。
当時のイギリスにはものスキッフル・バンドがいたという。イギリスの中でも特に貧しい地域だったリヴァプールでは高価な楽器を必要としないスキッフル・バンドとの相性がよかったのだろう。スキッフル・バンドの楽器は洗濯板や掃除のホウキの柄で良かった。
『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』を観ると楽器ができないというメンバーに対して「洗濯板でいい」というジョンの言葉はジョンならではのジョークやユーモアのように聞こえるが、そうではなくそれがスキッフル・バンドの特長でもあったのだ。
やがて「クオリーメン」は実力あるメンバーの加入により、徐々にロックンロール・バンドになっていく。ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスン、後のビートルズのメンバーだ。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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