「スーパーヒーロー疲れ」はなぜ起きたのか?

「スーパーヒーロー映画疲れ」という言葉が囁かれて久しい。「スーパーヒーロー映画疲れ」というのはマーベル映画のMCUをはじめとするスーパーヒーロー映画を追いかけるのにファンが疲れてしまい、興行収入が下がり始めた現象を指す。
一時は北米での映画の興行収入の3割を占め、長く映画業界のを支えてきたスーパーヒーロー映画に何が起きているのだろうか?

あれは映画ではない

「スーパーヒーロー映画疲れ」の前に「スーパーヒーロー映画批判」から見てみよう。
スーパーヒーロー疲れが指摘される以前から、巨匠と呼ばれる映画監督の大御所たちはスーパーヒーロー映画への批判を行っていた。その代表格が『タクシードライバー』や『最後の誘惑』などで知られるマーティン・スコセッシだろう。
スコセッシはマーベル映画を代表とするスーパーヒーロー映画に対して「マーベル映画はシネマだとは思わない。正直、マーベル映画はテーマパークのような感じで、感情的・心理的体験を他の人に伝えようとしている人間の映画ではない」とコメントした。
その発言は賛否両論を巻き起こした。
『マイティ・ソー』でソーを演じたクリス・ヘムズワースはスコセッシの発言に対して「映画を観る習慣が変わったのはスーパーヒーローのせいじゃない。スマートフォンやソーシャルメディアのせいだ。実際には、スーパーヒーロー映画はそうした変化の中でも人びとを映画館に導いていて、だからこそ観客は(劇場に)戻ってきている。もう少し評価されてもいいと思う」と反論した。
個人的な意見を述べれば、多くの観客を動員したからと言って、その映画が本当に優れているとは言えないだろう。
ミュージシャンの甲本ヒロトの発言にこのようなものがある。「売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ」映画に限らず、例えば音楽ならAKB48やだんご3兄弟のCDは物凄い枚数が売れているが、それは日本で最も素晴らしい楽曲だったから売れたのか?そうではないだろう。

個人的にはスコセッシの意見には同意する。映画にはエンターテインメントの部分も確かにあるが、それと同等かそれ以上に芸術でもあって欲しいと思う。また時には強く何かを考えさせられるような深い問いを投げ掛けて欲しいとすら思う。
その意味ではマーベルやDCなどの多くの映画は真逆だと思っている。エンターテインメントとしては最高峰なのは間違いない。巨額の費用をかけた「商品」ゆえにどうすれば客に受けるのか、計算し尽くされてもいるだろう。
もちろん、私の意見には反論もあるかとは思う。
そもそも映画の成り立ちを思えば芸術よりも見世物的な存在だったではないか。エンターテインメントであるだけではダメなのか?そんな声も聞こえてきそうだ。もちろん、その意見もわかる。私自身もたまには頭を空っぽにして脳天気なエンターテインメント作品を楽しみたい気持ちもある。
だが、映画という表現は芸術性の獲得なしにここまで発展しなかったのではないか。
エレキギターを考えてみよう。世界で最初のエレキギターは1930年代にリッケンバッカーが開発した通称フライパンギターだ。それは真ん丸のボディーにネックが付いていて、名前の通りフライパンの形に見える。だが、エレキギターがずっとその形ならたとえ素晴らしいサウンドであったとしても、ここまで多く人が手に取ることはなかったと思う。やはりカッコいい見た目あってこそ、エレキギターは今日の人気と普及を実現することができたのではないか。ピックアップの種類やボディ、ネックの材質など、音に関わる部分の組み合わせの数よりも、ボディの形の種類やカラーリングの組み合わせのバリエーション数の方が格段に多いはずだ。そしてスーパーヒーロー映画に投資やスクリーンを奪われる形で、芸術的な作家性の強い作品を作り出してきた映画監督たちの新作はどうしても脇に追いやられざるを得ない。また場合によっては制作費すら集まらないケースも珍しくはない。マーティン・スコセッシはスーパーヒーロー映画について次のようにも述べている。
「それらは工業的なコンテンツだ。AIが映画をつくるようなもの」
「素晴らしい監督や特殊効果のスタッフたちが、そのなかで美しい作品をつくらないわけではない。しかし、それは何を意味するのか。それらの映画は、人々にいったい何をもたらすのか」
それは言い換えれば最大利益を生むために計算され尽くしたコンテンツでもあるだろう。
だが、今回の「スーパーヒーロー映画疲れ」はそのような計算の限界を象徴しているのではないか。長くなったが、ここからが本題だ。

「スーパーヒーロー映画疲れ」はなぜ起きた?

スーパーヒーロー疲れの理由として挙げられているのが、ディズニー側の供給過多に観客がついていけていないということだ。
2022年11月に発表されたfamdomの調査結果を見てみよう。同社が13歳から54歳までの5,000人を対象にアンケートを実施したところ、マーベルファンの81%が「マーベルならばどんな作品でも観たい」と回答。しかし、その一方で84%が「MCUの勢いに圧倒されている」と答え、さらに36%が「疲れを感じている」と回答したという。つまり、3人に1人はマーベル映画に飽きているということだ。
さて、マーベルの映画(MCUシリーズ)はいくつかのフェーズに分けて展開されている。ざっくりと見ていこう。
まずフェーズ1は2008年に公開された『アイアンマン』に始まり、2012年公開の『アベンジャーズ』で終了する。
フェーズ2は2013年に公開された『アイアンマン3』に始まり、2015年に公開された『アントマン』で終了する。
フェーズ3は2016年に公開された『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で始まり2019年に公開された『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』で終了する。フェーズ1からフェーズ3までの23作品はまとめて、「インフィニティ・サーガ」と呼ばれる。
フェーズ4は2021年1月に配信された『ワンダヴィジョン』から2022年11月25日に配信された『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデー・スペシャル』までの映画7作品、ドラマ9作品にアニメ2作品を加えた計18作で構成される。
ここで注目したいのは先ほど紹介したアンケートが発表されたのはちょうどフェーズ4の終了の時期だということだ。
ではフェーズ4でマーベルはどう変わったのだろうか?
まず、フェーズ4からDisney+のテレビドラマシリーズが積極的にMCUに組み込まれるようになったことだ。それまでもドラマシリーズはあったものの、映画本編に直接影響を与えることはほとんどなかった。しかし、Disney+のテレビドラマシリーズについてマーベル・スタジオのケヴィン・ファイギ社長「(Disney+のドラマは)現在のMCU、過去のMCU、そして未来のMCUへと完全に織り込まれる」、「(映画とドラマ)それぞれの作品はお互いに絡み合っていくことになる」と発言している。
そうなると、どうなるか。
宇野維正氏の著書『ハリウッド映画の終焉』によると、MCUのフェーズ1から3までの計23作品の合計時間は49時間56分なのに対して、フェーズ4は60時間以上もあるという。フェーズ1からフェーズ3までの約11年の間に作られた作品の総合計時間を、2年に満たない期間に作られたフェーズ4の合計時間が大幅に上回ったことになるそうだ。
前述のように、映画を理解するためにはドラマシリーズまですべて視聴しておかねばならないとなるとマーベル疲れも納得できる。
ただ、フェーズ4の供給過多による「スーパーヒーロー疲れ」への指摘に対してもファイギは強気だった。
「私は22年以上をマーベル・スタジオで過ごしていますが、多分2年目から『アメコミ映画化ブームはいつまで続くんですか?』と聞かれてきた。だが私はこの質問をよく理解できなかったんだ」と言い、「ストーリーを正しく語り、相応しく脚色すれば、観客は22年以上も私たちについてきてくれるということをこれまでの経験で学んだ。私たちはマーベル・スタジオのロゴと、歴史あるコミックからのアイデアを基に、どんなタイプの映画だって作ることができるんだ」とマーベル映画の今後に自信を見せた。
確かにフェーズ4の中の作品でも『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』、『ソー:ラブ&サンダー』、『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』などはヒットした。
しかし、続くMCUのフェーズ5の幕開けとなる『アントマン&ワスプ:クアントマニア』は公開前に大きな期待がかかっていたにも関わらず、『アントマン』シリーズの中で最も低い興行収入になってしまった。なんと2週目の週末成績は初週から70%ダウン。これは当時のMCUで最も大きい下落率だった。
また、それに続く『マーベルズ』の興行的な失敗は「スーパーヒーロー映画疲れ」の象徴として広くニュースになった。
同作の失敗の理由にはハリウッド俳優の一斉ストライキによる出演者のPR不足も指摘されるが、しかし、他のヒットした作品も同じ状況にあったため、それが理由と断言はできないだろう。
むしろ『マーベルズ』にはフェーズ4から続く、ドラマシリーズと映画の結びつきの強さが失敗の原因ではないか。
『マーベルズ』は2019に公開された『キャプテン・マーベル』の続編ではあるのだが、2022年のドラマシリーズ『ミズ・マーベル』の主人公ミズ・マーベルや同じくドラマシリーズの『ワンダヴィジョン』のモニカ・ランボー(テヨナ・パリス)も主要キャストとして映画に参加している。つまり『マーベルズ』の主要人物3人全てを把握するには前作のみならず、最低でも2つのドラマシリーズを観ておかねばならないという、いわば観る前に凄い量の宿題を課される作品なのだ。そんな『マーベルズ』の公開2週目の興行収入の下落率は先ほどの『アントマン&ワスプ:クアントマニア』を超えてスーパーヒーロー映画史上最大の78%減となった。
加えて『マーベルズ』の最終的な興行収入は約296億5000万円となり、MCUの最低興行収入作品となってしまった。『マーベルズ』のマーケティング費用も含めた製作費は約301億円と言われているので、完全に赤字である。
では、これからのスーパーヒーロー映画はどう舵を切っていくべきなのか。
ジェームズ・ガン監督は「スーパーヒーロー疲れはあると思う」と認めた上で、「それは、スーパーヒーロー達とは関係ないと思っている」と語っている。
「スーパーヒーロー映画かどうかは関係なく、根底に感情を強く動かすストーリーがなければ、ただ物と物がぶつかり合うのを見るだけで、そのぶつかり合う瞬間にどんなに精巧なデザインや、巧妙な視覚技術が用いられても、ただ疲れてしてしまうだけだ」とよりエモーショナルなストーリーの必要性を述べている。
また『キック・アス』で知られるマシュー・ヴォーン監督もまたスーパーヒーロー映画の質の重要性を訴えている。「少なくともDCに関しては、ジェームズ・ガンとピーター・サフランは、そうする可能性が随分あると思う。そして(マーベル・スタジオCEOの)ケビン・ファイギも、少ない方が豊かであるということに戻り、今より少ない本数の映画を作り、それらを素晴らしいものにすることに集中することを願っている」

例えばスーパーヒーロー映画でも『ジョーカー』は今回のような批判の対象にはならないだろう。面白さや快感、楽しさなどの前に観たものの心に深い爪痕を残す作品だからだ。また、個人的には『ワンダーウーマン』も単なるスーパーヒーロー映画に留まらないメッセージ性を持った作品だと評価している。
「スーパーヒーロー疲れ」に対してディズニーはスーパーヒーロー映画の本数を削減する方向に舵を切った。これが作品の質を本当に向上させていくのかどうか見守っていきたい。
さて、スーパーヒーロー映画がテーマパークという意見を述べたのはマーティン・スコセッシだったが、個人的には日本でも同じような現象が起きている気がしてならない。スーパーヒーロー映画ではないが、邦画の興行収入の上位に来るのが『名探偵コナン』や『鬼滅の刃』などの少年漫画を原作にしたTVアニメの映画化作品なのがどうも気になるのだ。いくらなんでも幼稚過ぎないか?
もちろんエンターテインメントとしての価値は否定しない。実際に『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』はそんなにヒットしているならどんなものだろうかと観に行ったが、幅広い世代を映画館に集めていて驚いた。だが、作品としての中身がほとんどないことにも驚いたのである。確かに楽しめる作品ではある。その価値はある。だが、観客を成長させてくれるような作品ではない。
そこにスーパーヒーロー映画との共通点を感じてしまった。
同じようにTVアニメの『クレヨンしんちゃん』の映画(『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』)も以前に観に行ったのだが、そちらは格差社会やいじめの問題が作品に盛り込まれてあり、中々考えさせられる内容だっただけに余計にそう感じてしまう。
ジェームズ・ガンが語っていた、感情を強く動かすストーリー、それがスコセッシのいう「感情的・心理的体験を他の人に伝えようとしている人間の映画」ではないのか。
その意味では、確かにスーパーヒーロー映画というジャンルがダメなわけではない。
個人的にはやはり、観客が映画を育て、映画が観客を育てるのが映画と観客の理想的な関係だと思う。

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BLACK MARIA NEVER SLEEPS.

映画から「時代」と「今」を考察する
「映画」と一口に言っても、そのテーマは多岐にわたる。
そしてそれ以上に観客の受け取り方は無限大だ。 エジソンが世界最初の映画スタジオ、通称「ブラック・マリア」を作った時からそれは変わらないだろう。
映画は決して眠らずに「時代」と「今」を常に映し出している。

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